彼女がビッチに見える理由

丘野 境界

彼女がビッチに見える理由

「またあの子、男と歩いてたよ」

「ついに次は生徒会役員らしいぜ」

「付き合うだけ付き合って、キスもさせないとかマジ罠だよな」

「……あんなのに引っかかる方がバカだよ」


 呆れ、嘲笑、あるいは嫉妬混じりの声が、春星高校の廊下の隅から漏れ聞こえていた。

 筑後ちくご湯介ゆうすけは、立ち止まらない。

 ただ歩きながら、耳を傾ける。

 話題の中心は、八戸やと雪音ゆきね

 成績も運動も申し分なく、見た目はまさに『儚げな天使』。

 でもその実態は、来る者は拒まず去る者は追わず。

 付き合った男子の多さと別れの早さで有名な『ビッチ』扱い。

 評判は最悪だ。


 ◇◇◇


 ――そんな彼女はある日、突然フリーになった。


 周囲がざわついたのはその翌日だった。


「ねえ、筑後くんは確か……帰宅部だったよね?」


 そう言いながら、雪音は湯介に近付いてきた。

 いつもの、何を考えているのか分からない笑みを浮かべていた。

 クラスメイトなので、声を掛けてくること自体は珍しくない……が。


「おいおい、今度は筑後に声かけたらしいぞ」

「マジで? あの地味男に?」

「最近ちょっと見た目マシになってきたとは思ったけど、雪音狙いってことか?」

「だな。勉強も頑張ってたし、女子からも“意外と悪くないかも”って声聞いたし」

「でもあいつ、持たねえよ。何日続くか賭けようぜ」


 そんな言葉が、湯介の耳にも届いてくる。

 まあ、それはそうだろうなあ、と湯介は思った。


 ◇◇◇


「ねえ、帰り、ちょっと寄り道しない?」


 その日の放課後、雪音から直接声をかけられた。


「……いいけど」


 そのまま入ったカラオケボックス。

 二人きりの個室。

 ドアを閉める音が、思ったより大きく響いた。


「はー……」


 ソファに身体を預け、湯介は大きく息を吐いた。


「……ほんとに、気が気じゃなかったよ」


 雪音を恨めしそうに見ながら、湯介はボソリと呟いた。

 雪音は、長い髪をかき上げて笑う。


「寝取られに目覚めそうだった?」

「この場合は寝取らせじゃないかな?」

「え、違うの?」

「厳密にはちょっと違う」

「ま、とにかく頑張ったよね、私!」

「雪音の『頑張る』の方向が、おかしすぎる……」

「おかしくないもん。もう誰も私に近づかない。男子はみんな私を避けてるし、女子の友達は……まあ、減ったけど」

「……後悔してないの?」

「しなーい! だって、これで堂々と湯介と付き合えるもん」


 雪音が満面の笑みを浮かべる。

 高校に入ってから、ずっと仮面を被っていた八戸雪音の『素』の顔だ。


 雪音は、中学の頃から付き合っていた彼女だった。

 けれど、それを知られた時、男子からは「マジで?」「釣り合わねえだろ」と冷やかされ、雪音には直接「あんな地味な男より、俺の方が似合ってるだろ?」と迫る男子すら現れた。

 雪音は笑ってスルーしたけど、湯介はその度に胸を抉られるような思いをした。

 もちろん湯介は、そんな男子と雪音の間に割って入った。

 しかし湯介を侮る男子は、湯介を突き飛ばしたり、殴ったりし、何度も問題が起こった。

 湯介の側に非はない。

 暴力を振るうのは、雪音に迫る男子の側だ。

 けれど、湯介がもっと逞しければ。

 見た目がもっと頼もしければ。

 湯介が思ったことは一度ではない。

 しかし湯介はどれだけ食べても体重が増えないし、明らかに運動向きの身体をしていないようだった。

 これでは高校に入っても、同じことが繰り返されるだろう。

 そんな時、雪音が言い出したのだ。


「私に考えがあるの」


 高校に入ってから、彼女の演技は始まった。

 雪音が自分から、誰かに告白することはなかった。

 必要なかったのだ。

 放っておいても、男子は雪音に群がってきた。

 そのどれも、雪音は断ることはなかった。

 またある程度の接触はするが、キスなどはサラリと回避した。

 男子と決して二人きりにはならない。

 渡してくる飲み物には、口を付けないか付ける振りをする。

 勝手に諦めてくれる人は楽でよかった。

 しつこい相手には、別の男とブッキングさせた。

 男達は言い争い、時には喧嘩に発展した。


 そんな中で、印象的な一件があった。

 二人の男子が、別々のタイミングで雪音にピアスを贈ってきた。

 どちらも「似合うと思って」とか、「つけてきてくれたら嬉しいな」とか、ありがちな文句を添えて。

 数日後、雪音は体育の前に着替えながら、わざとらしくこう言った。


「……あれ、これ、どっちがくれた方だっけ?」


 その一言を、近くにいた男子達が聞き逃すはずもなかった。

 次の日には、廊下でその二人が口論になり、さらにその翌日には一人が「俺のだったって証拠がある」と言い出して、面倒な騒動になった。

 雪音は、どちらのピアスも一度も身につけていない。

 けれど、どちらにも「ありがとう、気に入ってる」とだけは言った。

 本当に誰から貰ったかなんて、どうでもよかった。

 あくまで目的は『雪音と付き合うことのコスト』を理解させることだったのだ。


 そうして、男子達を淘汰していった。

 来る者は拒まず去る者は追わず。

 こうしてようやく『八戸雪音と付き合うのは割が合わない。貢がせるだけ貢がせて、あとはポイと捨てられる』という評価を得たのであった。

 そんな物好きを付き合うことになった、筑後湯介だ。

 周囲の評価は『釣り合わない』よりも『いつまで持つか』となるのは、自明の理であった。


「でも本当によかったのかな。せっかくの高校生活、台無しじゃ……」

「湯介と一緒にいられない高校生活の方が、台無しだよ」


 さらりとそう言って、彼女はスッと身を寄せてくる。


「ちょっと。場所、考えようよ」


 湯介はため息をついて、天井を指差す。


「多分、カメラあるよ」

「……これぐらいは許されるでしょ。他の男には許さなかったんだし。大丈夫大丈夫。ヤらせない女って評判、知ってるでしょ?」

「いや、それは学校での評判で……!」


 抗議を無視して、雪音は湯介を押し倒してキスしたのだった。

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