花びらであなたを思い出し、初めて檻が救いと知った

 幼さを感じさせる語り口の中に、覚悟がある。愛がある。それは竜として生きることのさだめだろうか、それともそれこそが「食べる」ことの本質だろうか。

 わけあって樹と別れ、雅樂のもとに預けられた檻の中の竜。「檻」は物理だが、物理以上の意味をもって、彼らを阻んでいるかのようにも感じる。なぜならば、本作で描かれているのは、食であり、そこに絡むのは互助、あるいは従属のみだってありうる関係だから。

(ここでいう従属とは、生きることが食べることなら、差し出された物だけを食べてそれで満足?と問われているような心地、あるいは、食べる(食べられる)ものが限られているため、それを受け入れる感じだろうか)

 では、刑務所のように一律に食事が提供される環境かと言われればそうではない。原因があって、竜とひとが機能し合うには檻が必要だった。檻は制限(それは食という観点では人間社会でのアレルギーやダイエットと言えるかもしれない)と捉えて読むこともできるが、むしろ竜はそれを求めていた。

 本当は制限なんて無いほうがいい、好き勝手食べていたい、「こんな朝ごはんは嫌だ」。食の好みも、ひとに寄せる思いも、さびしさも、葛藤も。流転する感情をこの文字数の中に詰め込んでいながら、食という枠を越えて竜とひとの交流について、たしかに(表面上でなくこころから)描き切った本作の余韻にずっと浸っていたい。思わず即詠してしまいました。昨年に続き企画への参加、ありがとうございました。