終祓ノ儀(しゅうふつのぎ)

『ゆらゆら様の事案の記録集』

最終章 ― 終祓ノ儀(しゅうふつのぎ)


地下収容施設第零号。

冷たい岩盤をくり抜いたその空間は、もはや「研究室」とは呼べぬ異質な場と化していた。

赤黒い瘴気が天井から滴り、空間の中心には、いびつに膨れた人影――いや、“塊”が蠢いている。


それはかつて、“筆者”と呼ばれていた者の成れの果てだった。

人の言葉を操り、人の思念を吸い、人の形を捨て、人の概念にすら及ばぬ何かへと変わった存在。

無数の目が蠢き、書き殴られた古代文様が体表を覆っている。触手の一本一本が空間を引き裂くように伸び、天井の記録カメラがその全てを捉えていた。


記録名:対象M(旧名:明智)

状態:変異第四段階・知性継続。言語能力あり。現実改変能力一部獲得。

コードネーム:《新ゆらゆら様》


その日、特祓局と防衛省、国家神道局、文化財保全機構の四機関が合同で、前例なき「儀式」を実施することになった。

かつてない“神格”に挑むために、政府が密かに温存してきた最終手段――**“祝詞ではなく、歌による祓い”**が用意された。


その歌を紡ぐのは、佐原みき。

かつて、ゆらゆら様と最も深く繋がった“観測者”であり、“半神”にして“継承者”たり得る存在。


― 開始:午前 1:13 ―

みきの前には、かつて“神の座”だった板の欠片が台座に据えられていた。

黒焦げに崩れた破片から微かに霊気が漂う。

その中心に、かつて板に刻まれていた旋律の断片――「ゆらゆら様ノ神歌」が封じられていた。


「私が……歌うのね」

みきは頷いた。どこか遠くを見つめながら、自分の胸の奥から記憶を呼び起こすように。

幼いころ、祖母に口ずさんでもらった、忘れていたはずのあの子守唄。

いや、それは“子守唄”ではなかった。神への供物だった。


音叉のように、霊気が部屋に満ちていく。

儀式用の円環が光りはじめ、みきは静かに唇を開いた。


歌「ゆらゆら神謡」※断片抜粋

ゆらり、ひずみの こゑをきけ

ねむれぬうたを きざみゆく

ほのぐらき ちのなかに

われを ゆりかごに いだきませ……


ゆらり、わたしも ゆらゆらと

あなたの夢に とけてゆく

もどれぬ ことば なげいれて

うまれぬ 神に なりかわる……


歌が進むにつれ、“塊”が震えた。

蠢く触手が止まり、無数の目がみきを凝視する。

そこに宿るのは――驚愕、ではなく郷愁だった。


「……みき。おまえが、わたしを……」

低く濁った声が空気を震わせる。

筆者の意識が、残滓となってまだ内部に残っているのだ。


「そうよ。わたしが、終わらせる」

みきは叫んだ。

「あなたはもう、ここにはいられない。人を狂わせ、祟り、神になろうとした。……でも、その全ては、歌に帰る。音に、還る」


彼女の足元の陣が輝きを強める。

神道局の祝詞部が詠唱を重ね、地下全体に浄化の波動が駆け巡る。

自衛隊は封印空間を外から守り、空には人工衛星が儀式の結界を可視化して監視していた。


それはまさに、現代日本が総力をあげて挑む、

“ひとつの神を終わらせる戦い”だった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る