御門丈五はカイアズマの目を通して四神会の新たな刺客を見ていた。

 呪術のカウンターで生じた繋がりは、カイアズマが後になって必死で除去を試み薄れていたが、教会襲撃時につけたマーカーには気づいていなかった。一ヶ月の間にそれは敗者であり弱者であるカイアズマの魂に浸透し、本人に自覚させぬままある程度の遠隔操作が可能になっていた。

 カイアズマが大喜びで迎えた二人は、一般人の目に触れていないようだった。隠蔽効果を使っているようだ。

 ヴァイレックは外見二十代後半くらいで、白いジャケットとスラックスという服装だった。真っ直ぐに伸ばした黒髪は肩の高さで切り揃えられ、整った顔立ちに大きな目をしている。

 その瞳も常人より大きく、白目部分があまり見えなかった。虹彩がなく瞳全体が真っ黒なのはサネロサ系呪術士にはよくあることだが、瞳の外周に金色の縁取りがあるのは珍しい。

 御門はこれまでヴァイレックとは直接関わったことがなく、噂とガルーサ・ネットのデータベース経由でしか知らなかった。サネロサの直弟子で十四億才、もうじきAクラスに届くのではないかと目されているらしい。

 大体の評判は、残虐を好む性格ではないが、敵には容赦しない、というもの。まあこれは普通のことだ。後は、常に冷静で論理的に行動し、状況に応じて多彩な術を使う、と。

 御門としては一つの術にこだわる相手の方がやりやすかったが、サネロサ系呪術の全てを習得している相手でも後れを取るつもりはない。こちらは二千七百万才で圧倒的な経験の差はあるものの、その時間を全力で解呪と呪術の解析に費やしてきたのだから。

 問題は、ヴァイレックの隣の男だった。大柄で二メートル近い身長に、見た目よりも体重があり最低でも三百キログラム以上だ。

 護衛が一人ついてくるとカイアズマは『首曲がり』との通信で聞いていたが、名前までは知らされていなかった。

 こいつは、科学士だ。世界の法則を歪める我力使用を拒絶し、法則を守るためだけに我力を注ぐ変人達。彼らの数は少ないが、ハイレベルの者なら他のカイストの我力による技や術を封殺し、ただの鉛玉でカイストの我力防壁を貫きあっけなく射殺してみせる。

 男の体は全身機械で、生身なのは脳だけ、或いは脳すらもないかも知れなかった。

 科学士と呪術士・魔術士の相性は非常に悪い。隠蔽魔術も科学士に拒絶されるため、ヴァイレックが使っていたのは周囲の者の意識を逸らす精神操作であったか。相容れない存在を護衛につけるのはどうなのかと思うが、とにかく名前を知りたかった。名前を知ればデータベースからタイプが知れる。歩く工場として短時間で防衛拠点を築くタイプか、それとも直接戦闘を得意とするタイプか。相手の隙のない佇まいからは後者のように見えるが。

 名前を聞くようカイアズマに働きかけるのは危険だった。どうもヴァイレックが探るようにずっとカイアズマを観察しているのだ。情報取得を御門が意識するだけでも感知される恐れがあった。

「どうぞこちらへ」

 カイアズマが先導し、二人は素直についてくる。

 ミニヴァンと運転手はカイアズマが精神操作で手配したもので、荷物の段ボール箱は御門が用意したものだった。隠蔽処理を掛けたダーズの虫達にこっそり運び込ませた。

 全員が乗り込んで空港を出たタイミングで使うつもりだったが、ヴァイレックが怪しみ始めたので仕方ない。

 御門は段ボール箱とカイアズマ、両方を起爆した。まずカイアズマ、そしてほんの僅かに遅らせて段ボール箱を。

 カイアズマの方の爆薬は本人の悪意と魔力を一ヶ月かけて凝縮し、御門の魔力を追加で送り込んだものだった。爆散する破片はカイアズマの性質を受け継ぎ、腐蝕・溶解作用があり魂を侵す呪毒となったが、同じサネロサ系であるヴァイレックは耐性を持っている可能性が高い。よってこちらの爆発は注意を惹きつけることと、魔術的なマーカーを付与することが主な役目であった。

 段ボール箱内の爆薬は腐蝕毒に、血中に入ればほぼ即死させる生体毒が混ぜ込んであった。御門の我力を注いだこれは魔術より錬金術の範疇に入り、錬金術士が対カイストにしばしば使う毒だ。御門はそれに加え、特殊な毒物を混ぜていた。カイストの内包する我力を急速に吸収し無効化する毒。『神工』レオバルドーが製作した魔剣アイルガラストのように、相手の持つ我力をそのまま相手への破壊力に変換するほどの力はないが、御門はこれで何度も格上を殺したことがある。利点は生きている相手の我力を吸収するだけで錬金毒の我力を弱めないこと。欠点は吸収量に限度があるため莫大な我力を持つAクラスの上澄みには効かないことだ。

 カイアズマの爆散に二人が身構えたところで、別角度から錬金毒の爆発が襲うという戦術。ミニヴァンの運転手を含め、近くにいたバス待ちの乗客やタクシーを巻き込む可能性は高かった。だが、他の多くのカイストと同じく、必要なら犠牲を気にせず実行するだけの冷徹さを御門も備えていた。

 近くのバス一台にタクシー二台、瞬時に肉片に変わり魂まで呪われた犠牲者は二十人ほどであったろう。それらを意識することより、御門は空港敷地外に配置した烏の使い魔に素早く視点を切り替え、標的達の状態を確認しようとする。

 呪術士と科学士はどちらも無事だった。

 ヴァイレックはカイアズマの呪毒を浴びていたが、全くダメージを受けた様子はなかった。体と服の表面を黒い毒がただ滑り落ちていく。呪術対策の防壁か、或いは、身代わりを立てていたか。この時入国審査場でローマから来た実業家が突然全身を腐らせて死に、秘書が絶叫しているのだが、御門がそれに気づくだけの余裕はなかった。

 錬金毒の方は、科学士によって完全に遮断されていた。段ボール箱の爆発に瞬時に反応してヴァイレックの盾となり、展開された高出力の障壁が飛沫を弾いたのだ。我力吸収は相手の体に触れなければ発動しないため障壁には通じず、また、相手は科学士であったため触れても発動したかは疑わしかった。カイアズマ側の爆風を防がなかったのはさすがに反応が間に合わなかったのか、それとも障壁の範囲に制限があるのか。

 最初の奇襲が防がれたが、撤退する選択肢はない。仕掛けた時点で魔術的な繋がりが出来てしまっており、その繋がりを辿って泥沼の呪術合戦となるのは目に見えていた。ならば相手の態勢が整わないうちに全力をぶつけた方がいい。御門は即座に次の攻撃プランに移った。空港を囲むエリアの各所に楔を打ち込み準備していた結界を、標的二人を包む範囲で発動させる。相手の動きを阻害する凍結結界を、五秒で使い切る勢いのフルパワーで。同時に待機していたダーズ・グワイツに思念で指示を飛ばした。

 隠蔽結界に二億匹の虫と共に潜んでいたダーズは、すぐさま虫達を解き放ち敵を包囲させる。凍結結界が消耗する頃には直径二百メートルの新たな結界が出来上がった。反時計回りで高速飛行する虫達の結界が。羽の生えたムカデに似た強力な個体と、充分に我力を含ませた地球の虫達。前者の一部は地中を貫き地下の包囲も完成させている。

 敵二人をこの場に封じ込めつつ、結界を縮小して密度を高めていきダメージを与えたいところだ。おそらく殺すまでは無理だろうが、少なくとも消耗させたい。

 ダーズが虫の結界に近づいていくので警告する。

 ……結界の中には入るな。科学士に瞬殺される危険がある……

 ……じゃがわしが結界の中におらんと、虫達が最高の力を発揮出来んぞ……

 ダーズの思念が返ってくる。

 ……構わない。中からは外の様子は見えていないな……

 ……殆ど感知出来ておらん筈じゃ。わしからは中が見えておるがな……

 ……ならそれでいい。気をつけて削り殺せ……

 結界の前に立つダーズのかぶり笠から「カカッ」という笑い声が洩れた。

 さて、科学士の力量はどんなものか。御門は亜空間ポケットから通称『刹那の滅び』を取り出した。一メートル四方とコンパクトにまとまった機械は科学文明末期に現れる究極兵器の一つで、指定したエリアを障壁など無視して瞬時に消滅させる。単なる科学兵器であり、Bクラス以上のカイストであれば生き残るだろうが、物理法則を全肯定する科学士には必殺となるだろう。手早くパネルを操作してエリア指定を行い、虫の結界より二百メートル以上の余裕を持って囲んでおく。

 最初の爆発から今の時点で八秒経過。周囲の一般人は何が起きたのか分からず呆然としていたり、そのまま虫の結界に呑まれたりしていた。あまり被害が大きくなると委員会に嫌な顔をされるが、四神会相手なら必要な犠牲と許容してくれる筈だ。

 機械の設定とチャージ完了。コンパクトタイプなので連発は出来ないしエリアの指定範囲にも限度がある。科学兵器に頼るのは魔術士として忸怩たるものがある……のが普通であろうが、御門はそれより優先するものがあるので気にしなかった。

 もう発動するか。御門が僅かに躊躇したのは、科学士の本体が別にいて、重力波通信の遠隔操作でロボットを操っているという可能性を考えてしまったからだ。いや、それでもあのボディを破壊しておいて損はない筈だ……。

 瞬間、虫の結界のドーム状となった表面に、内部から光線の閃きが生じて斜めの裂け目が出来た。

「むうっ」

 ダーズの位置は凡そ感知されていたようで光線は近かったが、数メートル外れていたため素早く跳びすさって逃れる。破れ目は反時計回りに流れながらすぐ他の虫達が集まって塞ごうとする。

 が、そこからダーズの様子がおかしくなった。着地した後に動きが固まっている。

 ダーズに植えつけた魔術回路を介して、金色の輪が二つ、見えていた。既に結界の壁は修復されているのに、内部にいるヴァイレックの目が見えているのだった。ダーズの視界はそれだけとなっており、御門は危険と判断して『刹那の滅び』の発動ボタンを押した。

 本来なら直径六百メートル、地中を含めた高さ五百メートルの範囲が瞬時に微粒子レベルまで分解され、残るのはヴァイレックとダーズ、そして強い我力を持った一部の虫のみになる筈だった。

 だが作動を知らせる電子音と内部機構の唸りを洩らす筈の機械は全くの無反応で、虫の結界も周辺エリアもそのままだった。

 やられた。御門は内心舌打ちする。呪術を機械に食らって故障させられたのだ。『グレムリン・タッチ』など、電子機器にも様々な不調を生じさせる呪術は存在する。科学士によって科学強化された機械ならそんなことはなかった。だが魔術士である御門が扱い、魔術による亜空間ポケットに収納しておくには科学強化は相性が悪いのだ。

 それにしてもいつの間に呪いを掛けたのか。結界に裂け目が出来てダーズとヴァイレックの目が合った瞬間か。或いは、虫で囲んで結界を張る前にダーズは見られていたのか。

 いや、もしかすると、ダーズ経由ではなく、カイアズマから御門まで繋がりを辿られていたのか。

 そのどれだとしても、この瞬間まで御門に気づかれなかったのだからヴァイレックは相当な手練れだった。

 ダーズに見えているヴァイレックの瞳から、声が聞こえてくる。肉声ではなく呪力を伴った思念。

 ……死人が……

 まずい。御門はダーズを起爆した。

 ……動くな……

 死人が動くな。

「むっ、何を」

 斜め上に吹っ飛ぶ生首状態でダーズが言った。腹部を中心に爆裂し無数の肉片と毒を撒き散らしていく。ダーズの体内に直接仕込んだ爆薬は段ボール箱内のものとほぼ同じであったが、やはり敵科学士の障壁に弾かれたようだ。

 ダーズを始末したのは攻撃のためではなく、死人をそれと自覚させず操っていた瑕疵を、逆手に取られてこちらへの攻撃材料にさせないためだった。

「あ、ああ、そうか。わしは……」

 だが遅かったようだ。ダーズ・グワイツの生首が虚ろな声で唱えると、みるみる黒い塵となって崩壊していった。飛び散った肉片も同様に塵と化していく。虫の結界も破綻して羽つきムカデも無数の虫達もバラバラな方向へ飛んでいってしまった。

 車両や地面が削り食われた跡地に、無傷のヴァイレックと科学士が残っていた。

「おやおや。魔術士か呪術士だと考えていましたが、死人をこき使うとは、随分と性根の腐った人のようですね」

 ヴァイレックが薄い微笑を浮かべて告げた。呪術士の声は肉声と思念の両方で御門に届いた。直接の繋がりが確立してしまっていた。

 死体や死者の魂を強制的に使役する者は死霊術士と呼ばれるが、御門は厳密にはそうではなかった。熟練の死霊術士でも、死者に生前と同レベルの技量を発揮させるのは難しい。特に思考力が劣化して臨機応変な判断が出来ず、不必要に攻撃的になりがちだ。また、使役される側もする側も、独特の不吉な空気を纏ってしまい一般人にも気づかれるレベルとなる。

 御門はそれらのデメリットを嫌い、『ダーズ・グワイツは死んでおらず、御門と契約して働いている』とダーズ自身と世界を騙したのだ。そのペテンが暴露されたため術者である御門は魂に傷を負い、傷口にヴァイレックの力が染み込んできたのだった。

 金色の縁取りを持ったヴァイレックの瞳が御門を見つめていた。二キロ離れた高層マンションの屋上に立つ御門と、ヴァイレックの目が合った。隠蔽処理もまた破られた。

 「死霊術士」または「欺瞞死霊術」という言葉を使わず「死人をこき使う」と表現したのは「性根の腐った」の意味合いを強めるためだろう。御門の内臓がジクジクと疼き始めた。まだ致命傷ではないが、心理的な形勢はこちらが不利になっていた。

 ヴァイレックは言霊を扱うことも得意としているようだ。だがそれは御門も同じことだった。左手親指を曲げて自らを守る多重防御結界を張りつつ、言葉で切り返す。

「腐っているのはそちらじゃないか。カイアズマの後任だろう。『苦渋の棘』に触れて溶け死んだ犠牲者の責任を取ってもらおうか」

 二キロ先の呪術士に、御門の言葉は肉声と思念両方で届く。

 ヴァイレックは微笑を僅かに深くしただけだった。向こうのダメージにはならなかったが、こちらのダメージは軽減したようだ。内臓の疼きが軽くなる。

 御門は間髪入れずにもう一言、つけ加えた。

「それに、お前も死人のようなものだろう。誰に使役されてるんだ」

 まず一回。微かに繋がる感触があった。これは御門にも少し意外だった。当たれば儲けものだと思っていたが、ひょっとするとこの辺りが敵の弱点かも知れない。

 ヴァイレックの表面的な反応は、大きな目を少し細めただけだった。

 横に立つ科学士が何か言いたげにヴァイレックを見る。御門は右手親指の第一関節を曲げ、自己強化魔術を発動させ感覚身体能力思考速度を十六倍にする。ヴァイレックが頷くと科学士の両肩が光って数条の光線が閃いた。スーツの破れからそこに照射装置があると察していたため御門は即座に横に跳んで躱した。科学士といえどカイストの我力を無条件に封殺出来る訳ではない。特に飛び道具は距離があるほど、スピードが速いほど弱くなる。破壊光線で二キロの距離ともなればこちらの我力防壁が通用するかも知れないが、真正面から受けてギャンブルをするつもりもなかった。

 術者の矜持より組織としての役割優先か、言霊と術の応酬で勝負をつける気はないようだ。御門は仕方なく亜空間ポケットから虎の子を出した。ごっそりと引き抜いた十二本の短剣は『使い手殺し』と呼ばれた魔剣キャベラーのレプリカだ。標的を強く意識しつつまとめて投擲する。魔剣達は御門の我力を吸いながら自動的に軌道を変えて二人の敵へ飛んでいく。

 光の爆発に一瞬御門の思考が停止した。攻撃力はなく目を眩ませるだけの閃光だが、科学士によるそれはよく効いた。すぐに立ち直るも、その時には科学士の巨体が数百メートル先をこちらに向かって飛行していた。体を水平にして、腰部からジェット噴射孔が数個顔を出している。両肩から再び光線。御門は躱そうとして左足がついてこないことに気づく。それと左腕。思考停止の間に既に光線で斬られていたようだ。屋上の鉄柵が熱で溶け落ちている。距離が近づいたのもあるが、あっけなく我力防壁が破られていた。高防御力のローブも一時退避のマントも役に立たなかった。

 それでも強化された身体能力で身をひねり、光線による致命傷を避けた。脇腹が十センチほど斬り込まれ腸が焼ける。

 左手に仕込んだ魔術のストックは使えなくなった。右手人差し指を曲げてすぐに伸ばす。指先から発生した雷撃は科学士にも効く可能性があったが、直撃しても耐電機能を備えていたらしく無意味だった。相手のスーツが焦げた程度だ。

 科学士の口が開いている。その奥に砲塔が見え、回避困難と判断した御門はキャベラーに破壊を命じた。勝手に飛び回り殺し過ぎる、しばしば使い手をも斬り殺すと評された魔剣だが、御門の調整によってある程度は指示に従うようになっている。科学士の近くを高速で飛んでいた数本が口へと向かう。

 科学士の腕から刃が生えてキャベラーを迎撃した。躊躇なく接近してくる科学士との距離はもう百メートルを切っている。御門は亜空間ポケットから純粋水爆手榴弾を取り出し、ピンを引き抜いた。科学士対策で比較的簡単に作れる武器の一つ。しかし相手の強力な障壁を破れるか。

 手榴弾は起爆しなかった。また、呪術による故障。

 次の武器を取り出す暇はなかった。近距離から発せられた光線を避けられず右腕を肘から切断され、続いて右膝も斬られた。四肢を失って倒れるところを、科学士の腕が首筋を掴んで吊るす。

「チェックメイト、という奴かな」

 初めて科学士が喋った。口を動かさずに喉奥のスピーカーで。その左頬を貫くキャベラーの一本を歯で噛み止めていた。頬部の人工皮膚がめくれて金属の装甲が見えていた。

 他にも数本のキャベラーが肩や胴に刺さっていたが、科学士を殺すほどのダメージではなかったようだ。逆に触れることで力を失って自律機動を停止していた。

「自爆に気をつけて下さい。どうやらその魔術士は爆破が好きなようですから」

 御門は自爆する気はなかったが、科学士は片手で御門を吊るしたまま答えた。

「分かった。すぐに障壁展開可能だ」

 ヴァイレックの警告する声はすぐ近くで聞こえていた。科学士より少し遅れ、呪術士が空中を走って屋上に到着した。空間座標確保の技術。

 呪術士は左手に黒い網を持っていた。手首に傷があり、そこから流れ出た血液が網の材料になっているようだ。六本のキャベラーが網にまとめて捕獲され、大人しくなっていた。その前に数ヶ所斬られたり刺されたりしたようだが、ダメージは浅そうだ。ジャケットの大きく裂けた左胸部分は血が滲んでどす黒く染まっていた。

 わざわざやってきた呪術士に御門は告げた。

「変だな。『死人が動くな』よ」

 二回目。科学士に掴まれているため進みがやや浅いが、内部に食い込む感触があった。悪くない進捗だ。術士であるこいつは気づくだろうし、放置も出来ないだろう。

 絶体絶命の状況ながら、まだ勝負はついていなかった。

「うーむ」

 ヴァイレックは眉をひそめて首を軽く振った。

「これは暗示を使った精神操作の一種でしょうか。しかし、頭の中に潜ってきたものを解除出来そうにありませんね。『万能鍵』と呼ばれる強力な暗示魔術があると聞いたことがありますが……。ところで、まだあなたの名前を聞いていませんでしたね」

「名前を聞く前に自分が名乗るのが礼儀じゃないのか。性根が腐っているのなら仕方がないが」

 呪術士は苦笑して改めて名乗りを上げた。

「私の名はもうご存知でしょうが、名乗っておきましょう。術士同士の名乗りは意味がありますからね。私は呪術士ヴァイレック。『呪殺神』サネロサの直弟子です。十四億才になりますね」

 御門も堂々と名乗りを返した。

「俺はジオ・カーディス、二千七百万才の魔術士だ」

 科学士が僅かに動揺する気配があった。が、御門を吊るした腕は微動だにしない。

 ヴァイレックは嬉しそうに目を見開いた。

「ほう。それはそれは、奇遇ですね。『暗黒塔』ザム・ザドルの直弟子ではありませんか。過酷な研究に耐えかねて他が軒並み発狂・変質していく中で、現在唯一正気を保っている弟子だとか。まあ、まだ若いですし、一億才を過ぎる頃にはまともでなくなっているかも知れませんがね」

「そちらはそちらで大変そうだな。もしかして、サネロサ系の呪術とは相性が良くないんじゃないか。合わないことをやっているから心が死ぬんだろう」

 これで三回目。ヴァイレックが眉をひそめたが、動いたのは科学士の方だった。御門を吊るしているのとは別の手を横に振り、腕から伸びていた刃が御門の下顎と舌をうまく切り飛ばしていた。四肢の傷も含めて多大な損傷に肉体が神経を麻痺させており、痛みは軽かった。科学士の攻撃は我力によるダメージ増大目的のおまけがない分、ある意味優しいが、こちらも我力による肉体の再生が阻害されるのは難点だ。

 科学士が言った。

「これで喋れなくなったな。ヴァイレック、こいつ何かおかしな術を仕掛けていたんだろう」

「まあ、そうですね。喋れなくして終わるようなものではありませんが」

「もう始末した方がいいんじゃないか。それともこいつは人形で、本体は別にいるとか。そんな感じでもなさそうだが」

「それが本体です。……が、どうもよろしくないですね。今殺しても、頭に刺さった鍵が抜けそうにありません。ここはじっくりと、生かしたまま情報を吸い上げた方が良さそうです」

「半端な対応は命取りになることがあるぞ。……だが、お前がそうしたいのならすればいいさ。俺はお前の護衛と補助だからな」

「頼りにしていますよ」

 呪術士が亜空間ポケットから黒い布を出した。高密度の魔力が込められたそれは簡易捕獲封印用の魔道具だ。通信も遮断するため後から救助を求めることは困難になる。サネロサ系呪術士は『深淵のとばり』と呼んでいるが、似たようなものは他の魔術士達も使っているし御門も持っている。

 さて、保険は掛けておいたが、どうなるか。

 成功するにしても、間に合うかどうか。ヴァイレック達の役目は佐久間総理の呪殺だ。他人の行動に命運を委ねるのは嫌だが仕方がない。

 漆黒の布が御門の視界を覆い、全身を包んでいく。我力を急速に吸い取られ思考力が低下し、御門丈五の意識は闇へ落ちていった。

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