この日の放課後、掃除当番であった御門丈五はゴミ箱を抱えて校舎裏のゴミ置き場まで運んでいた。

 その通り道、倉庫の並ぶ隙間で周りからは陰になっているところに二人の男子生徒がいた。襟の学年章で三年生だと分かる。お喋りしていたのが、御門を見かけると不快げに顔を歪めた。

「何だ、『持ち出し袋』か」

「すみません、足をどけてもらえますか」

 無表情のまま御門が言った。

 三年生の一人が、片足を上げて向かいの壁につけ、通行を邪魔したのだ。

 もう一人が嫌な笑みを浮かべて御門に言った。

「お前さ、男子の間で評判悪いぞ、分かってるか」

「そうなんですか」

 御門が聞き返す。

「島崎の体を独り占めしてるんだからな。たまにはこっちにも回せって。週一でいい……」

 言い終える前に、三年生の顔が斜めに傾くと、眼球が裏返った。クニャリとその場に崩れ落ちる。

「おっ。タカやん、ど、ちょっ、何」

 もう一人が目を見開いて、倒れて動かなくなった相棒と御門の顔を交互に見る。

「お二人は、サッカー部でしたね。もう引退しているようですが」

 御門が言った。半眼の瞳は冷淡に澄んでいた。ただの物体を見るような瞳だった。

「こういうのは良くないと思いますよ。足をどけて下さい」

「あ、ああ。悪い……」

 三年生が足を下ろした次の瞬間、顔が斜めに傾いて、彼もまたクニャリと崩れ落ちていった。

 御門は特別な力を使った訳ではない。人間に可能なスピードとパワーで、相手の顎を平手で叩いただけだ。一人は失禁しているが、後遺症もないだろう。おそらくは。

「とっとっと。すまん、遅れたわ」

 やってきた男は自称番長の霧雨静馬だった。昇降口にいて、どうやってかトラブルを察知してここまで駆けつけたらしい。

 御門より背が高く圧倒的に体格も良い霧雨だが、御門に向ける視線には負い目と、僅かに畏怖が混じっていた。

「今回は仕方ない。直接の暴力でもないしな」

 やはり無表情に御門は返し、霧雨は安堵の息をついた。

「取り敢えず隠しとくが、始末する必要はないんだろ」

「ああ。ただし、次に同じことを言ったら消えてもらう」

 霧雨は気絶している男子二人を、片手に一人ずつ抱えて倉庫の裏へ去っていった。

 御門はゴミ箱の中身を大型のゴミ用ストッカーへ落とし、教室に戻った。

 教室では島崎美織が残ってクラスメイトと話をしていた。御門が戻ると頷いて、クラスメイトに挨拶を済ませて一緒に部室へ向かう。

「最近面白いこと、ないねえ」

 美織が言うと、「そうだな」と御門は答えた。

「何かワクワクするようなことが起きないかなあ。テロリスト集団が学校を占拠する、とか」

「人死にが出そうなのは嫌だな」

「そうだね……。やっぱ、明るく楽しいのがいいねっ」

 御門の意見を聞いて、美織は素直に主張を訂正した。

 部室には一年生の女子が一人だけだった。歴代の部員達が残してくれたコミックの山を三人で消化しているだけで時間が経過し、そのまま解散となった。

「文化祭も終わっちゃったから焦る必要はないけど、何かやりたいねえ。心霊スポットの探検か、やっぱりもう一回悪魔召喚かなあ。古典だけどゲーティアをちゃんとルール通りにやってみるのはどうかな」

 並んで家路を歩きながら美織は言う。

「美織がやりたいものでいいと思うが、危険そうなのはやめて欲しいな」

 御門は答えた。

 途中で首輪のついた黒猫を見かけウニャウニャ言って挨拶したりしながら二人は何事もなく帰り着いた。

「じゃあね、丈五。また明日」

「ああ。また明日」

 二人は手を振って別れた。

 御門が玄関の鍵を開けて家に入ると、母親役の女が笑顔で迎えた。

「お帰りなさい、丈五」

 ドアを閉めてきちんと施錠してから、御門は告げた。

「下に降りる。何かあれば連絡して欲しい」

 女は頷いた。

「分かったわ。夕食はどうするの」

「用意だけはしておいてくれ」

 御門は階段で二階へ上がる。そこに彼の部屋があった。勉強机とベッドと本棚、テレビと家庭用ゲーム機。本棚には市販のオカルト系の書物と少年漫画が並ぶ。どれも飾るだけではなく程々に使っている。たまに美織が遊びに来る時に、欠片でも疑念を抱かせたくなかったからだ。

 学生鞄を置き、制服から手早く私服に着替える。ブランド物でも安物でもない、特徴のない服装だ。それからウォークインクローゼットに入り、奥の小さなライトを根元から掴んでひねった。これは五百キロ以上の握力がないとびくともしないようになっている。

 正面の壁がスライドしていき、隠し部屋が露わとなった。約五メートル四方の小部屋で、床の中央に直径一メートル半の光る円が見える。

 御門が小部屋に入ると天井のライトが淡い光を投げ、壁は自動的に戻って閉じた。壁際にあるハンガーラックから衣類を一着取って頭からかぶる。

 それはダークグレイのローブだった。自らの手で入念に我力強化した品だ。高い防御力・自己修復力に加え隠蔽効果も備えており、フードまでかぶると同格の探知士にも気づかれないだろう。

 準備を終えると御門は光る円の中に立ち、「アルエト・エス・ウィワーナ」と唱えた。呪文ではなく「応接室」という意味の古代シスク語だ。一般人は知らず、カイストの業界なら知る者ぞ知る程度だ。更にウィワーナは後世に捏造された単語の一つであり、侵入者がいてもキーワードを当てるのに手間取ることだろう。

 床の円から光がせり上がって円筒形の壁となり御門を包んだ。壁が天井までついて数秒後、今度は同じスピードで下りていく。

 御門は『応接室』のあるエリアに到着していた。魔術行使を阻害しない程度の電子機器を配備した地下施設。御門の自宅からは五キロ離れた大型倉庫の地下二百メートルにあった。ちなみに自宅の地下八百メートルが本来のアジトで、他にも数ヶ所が転移先として設定されていた。

 今回『応接室』に直行したのは、倉庫内のエレベーターを使って客が来ていたからだ。今日の午後、御門の携帯にスパムメールを装った連絡も入っていた。

 この倉庫の使い方と御門への連絡方法を知る者は限られている。

 待合室にいる人物をモニターで確認する。外見は三十代後半の西洋人で、スーツの上に地味なロングコートを羽織っていた。持ち物は大型のトランク一つ。

 明るい色の金髪は短めのカットでラフに仕上げ、薄く頬髭を生やしている。丸縁眼鏡の奥の瞳に生気がないのは、まあ、忙しいのだろう。

 御門は魔術的スキャンを行使し、彼の存在が偽装されたものでないかも確認した。本人で間違いなさそうだ。

 同時に、探知されたことを相手も気づき、カメラに向かって頷いた。

「ドアを開ける。入ってくれ」

 御門はマイク越しに告げ、パネルを操作して応接室へのドアを開いた。相手の入室を確認して閉め、続いてこちら側のドアを開けて御門も入室する。

 向かい合わせのソファーと、その間に分析装置などを取りつけた多機能なローテーブル。それだけの応接室だった。

 双方が腰掛けた後で、客が言った。

「すまないな。急ぎの案件だ」

 男は、文明管理委員会イリア支部地球監視課、現地交渉官のラッゴール・ウォルシェだった。

「分かっていると思うが、俺はあまり遠くへは行けないぞ。日数がかかる依頼もダメだ」

 御門の言葉にラッゴールは頷いた。

「ああ。現場は日本の東北地方だ。敵はおそらくBクラス一人」

「名前は」

「まだ調査中だ。ガルーサ・ネットを照会したが、地球に来ても店舗を訪れていないか、情報非公開設定にしているかだ」

「四神会の尖兵という可能性は」

 その質問に、ラッゴールは苦々しげに顔をしかめた。

「それもまだ分からない。どちらにしても、放置出来ない状況だ」

「なら、まずは話を聞こう」

 御門は言った。

 ラッゴールはトランクを開いてノートパソコン型情報端末を取り出した。画面を御門の方に向けてテーブルに置く。

「我々が異変を感知したのは十九時間前だ。これは本日零時時点の映像になる」

 再生された動画は明度が補正されていたが深夜であることが分かる。山間の集落と思われる場所に、巨大なドーム状のものが映っていた。ビュールルルー、という風の唸りが聞こえている。

 隅に見えている民家を参考にすると、ドームの直径は三百メートル以上あった。暗い表面で何か無数の小さなものが反時計回りに流れていくのが見える。ドームの内部は見えない。

「画像が粗いな。ピーピング・バグか」

 ピーピング・バグとは委員会がばら撒いている虫型スパイ装置のことだ。蠅や蜘蛛、カナブン、ゴキブリなど小型の虫と同じ外見・動きをする精密機械で、映像・音声情報をリアルタイムでセンターへ送信している。潰されても本物の虫のような死骸しか残さない。また、本物の虫に超小型送信機を埋め込んだタイプもある。

「ああ。後で探知士が撮ったものもあるが、もう少し見ていてくれ。早送りする」

 ラッゴールがテーブルの向こうから手を伸ばして端末を操作する。画面もキーボードも見えない角度だが操作ミスはなかった。

 二十分ほど時間が進んだところで通常再生に戻す。

 先程よりもドームが拡大しており、映像の右隅で民家に食い込んでいた。ヤスリで削り取られるように木造の壁が、瓦屋根が細かく分解され、ドーム内部へ吸い込まれていく。ゴリゴリと激しい破壊音に、中の住民も目を覚ましたようだ。やがて悲鳴が聞こえた。

 まだ残っていた玄関のドアが開いて住民が転がり出てきた。六十代以上の男性と思われたがはっきりしないのは、全身が無数の何かに覆われていたためだ。齧られているのか血を流しつつ、彼は見えない力に引っ張られたみたいにドームに突っ込んで消えてしまった。

 ラッゴールが再び早送りする、十五分ほど進めて通常再生に戻すが、ドームがかなり大きく映っていた。いや、ピーピング・バグがドームに近づいたのだ。

「このバグは生体に機器を埋め込んだものだった。ドームの正体を探るために近づけさせたのだが」

 説明している間にもどんどんドームが迫ってくる。バグは飛んでいるようで視点が揺れていた。至近距離で観察するにしても減速すべきでは……というところでドームの表面にぶつかって何も映らなくなった。

「オペレーターは止めようとしたが、途中から操作を受けつけなくなったそうだ」

 ラッゴールが動画を巻き戻し、バグがドームにぶつかるぎりぎりの場面で停止させた。

 ドームの表面には、残像が尾を引くほどのスピードで飛ぶ、数多の虫らしき姿が映っていた。

「次に機械型のバグを送り込んだが、ドームまで十メートルを切ったところで破壊された。一応見せておく」

 ラッゴールが別の動画を再生する。こちらは解像度が上がっていた。が、ドームを調べようと近づいたところで終了してしまう。巻き戻してスロー再生にすると、高速で飛来してくる虫達が映っていた。スズメバチと、その天敵であるオニヤンマが並んで襲ってくるのが異様だった。

 オニヤンマの顎がアップになったところが動画の最後だった。

「ピーピング・バグは機械タイプでも脆かったな」

「基本的にはそうだが、このバグは敵地偵察用だ。人に踏まれても銃で撃たれても壊れない。我力対策はしていないがね」

 それから三つ目の動画が再生される。

「これが、うちの探知士が現地で撮影したものだ。物理カメラの映像に能力で得た情報を重ねて補正している」

 画面隅に撮影時刻が表示されている。午前二時二十六分。

 山の上から見るドームは集落を食らい尽くし、径八百メートル程度に成長していた。撮影者の補正によって景色は明るく、ドームの周囲を飛ぶものも鮮明に映っていた。

 ラッゴールがスローにして一部を拡大する。

 それはやはり、高速で同じ方向に飛んでいる無数の虫であった。

 ドームの表面を反時計回りに流れているのも無数の虫だった。いや、虫が寄り集まってドームの壁を形成しているのだ。

 探知士の能力でもドームの内部までは見通せないようだ。撮影者はドームに近づこうとしたが、虫の一部が反応して飛んできたため慌てて逃げ走ることになった。映像が激しく揺れながら山道を下りていくところでラッゴールは停止させた。

「虫のサンプルを持ってきているが、見るか。今は情報遮断容器に入れてある」

「……見よう」

 少し考えて、御門は承諾した。

 ラッゴールはトランクの別のスペースから金属製の箱を取り出した。一辺十五センチほどで、蓋の近くに指紋センサーらしきものがある。そこに指先を当てて数秒後、カチリと小さな音がしてロックが解除された。指紋ではなく、流した我力によって個人を識別する仕組みだった。

 箱の中には小瓶があった。丸い蓋にはフィルムが巻かれ密封されている。

 瓶の中にスズメバチの死骸が一つ転がっていた。顎に布の切れ端と小さな肉片が絡んでいる。

「探知士の首に齧りついていたものだ。瓶に入れる時点ではまだ生きていたが、鋼鉄を噛み切るほどの力は失っていたようだ」

 ラッゴールが小瓶をローテーブルに置くと、御門は黙って十秒ほど観察した。それから片手を近づけるが、瓶に直接触れはしない。

 次にローテーブルの側面からパネルを引っ張り出して操作すると、小瓶が淡い光に包まれる。

 そのまま三十秒ほど待つと科学的な分析結果がホログラムで表示された。日本に生息する通常のオオスズメバチであり、特異な点はなかった。

「うちの分析でも同じ結果だった」

 ラッゴールが言った。

「Bクラスの使役士で虫特化か。調査中と言ったが、ある程度候補は絞れているのではないか」

「今のところ、可能性が高めなのはこの四人だ。イリアに近い世界に直近の滞在記録がある者も含む。勿論、こいつら以外の可能性もある」

 ラッゴールがトランクからプリントを出して手渡した。御門は名前のリストを一瞥して言った。

「アラメンタスクはひとまず除外していいだろう。俺は奴を知っているが、術の質が違う」

「そうか。……現時点でドームの直径は三千二百メートル。推定犠牲者数は四百十一人だが、移動を続けておりもう六時間もすれば麓の町に到達して格段に被害が増えるだろう。一帯を隠蔽結界で包みマスメディアもコントロール出来ているが、あまり被害が大きいと誤魔化しにくくなる。依頼は元凶となっている使役士の排除で、報酬は一千万ルース。なるべく周辺被害を出さぬよう、可及的速やかな処理を頼みたい」

 ラッゴールが言った。文明管理委員会という巨大組織に所属する彼の方が立場としては上だろう。しかし彼の態度は居丈高ではなく卑屈でもなく、対等な相手に接するものだった。

「委員会には色々と世話になっているしな」

 御門の両親役の無道者……強い我力や特技を持たないカイストを派遣してくれているのは委員会だった。それから彼は冷めた瞳を小瓶の中の死骸に向けた。

「蟲使いか。いても損はないか……」

「現地までは我々が送る」

 そう告げるラッゴール・ウォルシェの瞳に初めて畏怖の色が混じった。

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