存在しない映画のレビュー

霧野三日月

0-1. 記憶の断片:私は映画雑誌の記者、神崎 悟。


私は映画雑誌の記者、神崎 悟と申します。

低月給で伴侶もおらず、死なぬように生きていれば良いと、ただそのように人生に何の目的もなく生きておりました。そんな私の誇りは、自分がしたいと思える仕事についている、ということでございます。それはつまり、映画のレビューを書くことです。新作の話題作から、忘れ去られたカルト映画まで、誰が見るとも知りませんが、暇な時間をただひたすらにスクリーンに映し出されるあらゆる物語に目を凝らし、その光と影を言葉で捉えてきました。私のレビューは、たまたま見た人がお情けでつけてくれた星が一つ、二つとたまにつくだけの、ただネットサーフィンで流れ着いた者が、その日限りで適当に書いたレビューと同じ扱いです。しかし、今、私は途方もない困惑と、拭い去れない違和感に苛まれています。信じてもらおうとは思っちゃいませんが、私はたった今、決して存在しないはずの映画のレビューを書いてしまったのです。

その映画のタイトルは『永劫回帰の迷宮』。そもそも英国や米国の映画の邦題なのかどうかもパッと見ただけではわかりません。監督は、どうやらその名を聞いたこともない新鋭、エミール・デュポン。エミール•デュポンだというのです。これだけ聞くと邦画ではなさそうです。主演は、これまた無名の俳優ばかり。公開はおろか、製作に関する情報すら一切見当たりません。インターネットの海を隅々まで探しても、映画データベースを徹底的に調べても、この映画に関する情報は私の書いたレビュー以外、何一つ出てこないのです。事の発端は一週間前。いつものように映画雑誌の編集者から、近日公開予定の話題作の試写状が送られてきました。その中に、不気味なほど簡素な、黒い無地のケースに入った DVD が一枚

紛れ込んでいたのです。ケースには、手書きで『永劫回帰の迷宮』とだけ書かれていました。

他の作品のプレス資料には一切この映画の記載はなく、編集者に問い合わせても「そんな映画

は知らない」という返答。不審に思いながらも、私はその DVD の異様な存在感に抗えませんで

した。

私はその DVD を自宅に持ち帰り、プレーヤーの前に座りました。しかし、その時、何かが私を

躊躇させました。あるいは、私の指が再生ボタンに触れた次の瞬間から、記憶が曖昧になって

いるのかもしれません。まるで、そこから先の時間が、薄い霧に包まれてしまったかのようで

す。にもかかわらず、なぜか私の頭の中には、その映画の「記憶」が鮮明に残っています。モ

ノクロームの陰鬱な映像。迷路のように入り組んだ古びた屋敷。登場人物は、どこか憂いを帯

びた表情の男女数名。彼らは、終わりの見えない回廊を彷徨い、意味不明な言葉を交わします。

物語は、明確な起承転結を持たず、観る者を不安と混乱の渦に引きずり込みます。まるで、悪

夢の中に閉じ込められたような感覚でした。

上映時間は約 2 時間。見終わった後、私は深い疲労感に襲われました。しかし、同時に、この

奇妙な映画に対する強い興味が湧き上がってきたのです。これは一体何なのだろう?自主制作

映画にしては映像のクオリティが高い。俳優たちの演技も、素人とは思えないほどリアルで

す。だが、やはりどこか不自然なのです。まるで、過去の記憶の断片を繋ぎ合わせたような、

歪んだ時間感覚が全編を覆っています。

私は、この得体の知れない映画について何か手がかりを見つけようと、あらゆる手段を講じま

した。監督の名前で検索をかけても、映画祭の出品リストを探しても、何も出てきません。

SNS で映画のタイトルを検索しても、私のレビューに関する投稿以外は見当たらなかったので

す。まるで、この映画は最初から存在しなかったかのようです。

しかし、私の頭の中にあるその「記憶」は鮮明です。あの陰鬱な映像、俳優たちの囁くような

声、迷路のような屋敷の冷たい空気感。それらは決して私の妄想ではありません。私は確かに

『永劫回帰の迷宮』を「観た」のです。あるいは、「観た」と強く認識しているのです。そし

て、その強烈な印象を忘れることができず、私はレビューを書きました。詳細なあらすじ、印

象的なシーンの描写、そして私なりの解釈。自信を持って書き上げたそのレビューは、編集者

の元に送られ、既に雑誌の次号に掲載される予定だといいます。

レビューが掲載されれば、読者からの反響があるでしょう。映画館に問い合わせる人、インタ

ーネットで情報を探す人が現れるはずです。その時、彼らは何を知るのでしょうか?この映画

が存在しないという事実を知った時、彼らは私のレビューをどのように受け止めるのでしょう

か?私は嘘をついたことになるのでしょうか?それとも、私は何か途方もない秘密に触れてし

まったのでしょうか?

夜になると、私の「記憶」の中のあの映画の映像がまぶたの裏に蘇ります。終わりのない回

廊、憂いを帯びた表情の男女たち。彼らは一体何を探しているのでしょうか?そして、私が見

たものは一体何だったのでしょうか?

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存在しない映画のレビュー 霧野三日月 @habou

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