第5章 静かなる海(4)
向かい合い、見つめ合う二人。それ以外、何者も居ない世界。
「さっきの質問、答えて貰ってないけど」
「え、質問……?」
「私と過ごした時間が、幸せじゃなかったのか、ってやつ。……あ、別にもう答えなくていいよ」
ハヤテが何かを言う前に、それを遮るように、ナギは言葉を続けた。同時に、ナギはすっと手を伸ばすと、握りしめたまま突き出されていたハヤテの手に触れる。そして、指の間からするりとUSBメモリを抜き取った。
「私は、割と楽しかったよ」
「え————」
そのままナギは両手を彼の方へ伸ばし、そして、力いっぱいに彼の胸を押した。
当人も気付かない内に、ハヤテは階段のすぐ手前まで追い詰められていた。それにより、突き飛ばされた彼の体を支えてくれるものは背後に何もなく、あるのは開けた空間と、急な斜面にある下り階段だけ。そんなハヤテの姿が、何故かナギにはスローモーションに見えていた。目を見開き、口をぱくぱくと動かして何かを言おうとするが、言葉は出てこない。
——そこで、ナギは気付く。
本当に今更ながら、気付いてしまった。
気付けるはずだったのに、見落としていた。
やっぱり、あるべきものがないことには弱いんだなあ、とナギは思う。
しかし同時に、意識できていなかっただけで、ナギの脳は正しくそれを認識していた可能性に至る。
それ故に、あの夜、彼女のMenDACoデバイスは揺らぎを検知していたのかもしれない。
本来、行き倒れの人間に出会うという非日常程度では動じないはずのナギに生じた揺らぎも、それであれば説明がつく。単に倒れている人への対処の方が優先度が高かったが為に、後ろへと追いやられてしまっていたのだろう。生命の危機がある状況かもしれないのだから、余計な思考よりも対応を優先するのはあまりにも正しすぎる合理的判断だった。
あの夜も、そして今日も。
「MenDACoデバイスの不携帯は、ダメだよ」
ナギのデバイスは、今日も平常運転だった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます