第3章 論理的放棄と非論理的蜂起(8)

「ただいま」

「おかえりー。お疲れっすー」

 玄関を開けると、明るい声が出迎える。大学入学のタイミングで実家を出て以降、ずっと一人暮らしを続けてきたナギの生活において、つい最近まではなかったものだった。

 ——そういえば、ミヅキにこのことを言うの忘れてたな。

 そんなことを今更ながら考える。

 リビングではソファにハヤテが寝そべっていた。彼は現在、ナギの家に転がり込んできている。彼の家をどうしても人に貸さなくてはならないとのことで、それならとナギの方から提案したのだった。1LDKでそれほど広くはない部屋だが、たまに遊びに来る母を泊めることもあるので、一人増えるぐらいならば問題はなかった。人に貸すという事情の詳細についてはいまいち要領を得ない説明だったものの、人に言い辛いこともあるだろうと納得した。

 また、ナギにとってもハヤテはもはや何も知らない仲では無い。流石に他人を家に住まわすのは抵抗はあるが、寝床を提供する程度なら構わないと思える程度の関係性にはなっていた。

 基本的にハヤテはバイトで忙しいため寝る場所さえ確保できれば良く、常に一緒に家で過ごさないとならない訳では無い。清掃のバイトの日は主に夜勤となるため、日中はハヤテが部屋で過ごし、夜は入れ替わりでナギが帰ってくることもある。そのため、ハヤテには合鍵を預けていた。

 果たしてそこまで信用して良いのかという当然の疑念を、ナギとしても持たなかった訳では無い。だが、思案した上で安全と判断した。彼は、嘘がつけない。

 これは直感などではなく、単なる観察により導かれた結論だ。何かしら取り繕うとしたり、本意とは違う言葉を口にしたりそんな発言をしようとする時、ハヤテはあからさまに挙動不審になる。目が泳ぎ、身振り手振りが増え、そして次の瞬間には彼のMenDACoが稼働し始める。メンタリズムなどに精通している訳でも無いナギが見ても分かるそれを見て、まさかMenDACoが嘘発見器として機能することもあるんだなあと感心した。

 故に、ナギはハヤテを信頼している。ナギに対してまだ開示していない手札はあるのだろうけれど、そんなものは誰にでもある。隠し事はあってもそこに悪意を持った嘘がなければ、さして問題はないとナギは判断した。


「会社の人と飲み行ってたんすよね? 楽しかったっすか?」

 洗面所でメイクを落としているナギに、背後からソファに寝転がったままのハヤテが廊下越しに問いかける。帰宅が遅くなる旨は事前に連絡していた。

「まあ、それなりに」

「それはなによりっす」

 ハヤテは自分ごとのような嬉しそうに言った。

「ナギさんって確か、ITの会社なんすよね? システムエンジニア、だっけ。そういう人ってどんな会話するんすか」

「いや、別に会話は普通だよ……たぶん。他の人の会話と比べたことはないけど。少なくとも、私たちは仕事の話はしない。仕事とプライベートを切り離すのは、みんなそうなんじゃないのかな」

 機密事項が多過ぎて外で話せることなどないというのが理由の大部分だが、それを抜きにしてもナギもミヅキもプライベートにおいて仕事論を語るタイプではなかった。

 はえー、とハヤテは間の抜けた声で返す。

「ちなみに、その人はタメなんすか? 先輩?」

「あー、どうだろう。同期だから年齢は一緒だと思ってたけど、ちゃんと聞いたことはないな。大学は違うけど、同じ年にノーチラスに新卒採用されてるから、同じはず」

「——はあああっ!?」

「えっ?」

 突然ハヤテがそんな反応をしたので、ナギは変な事を言ってしまったかと戸惑った。

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