第3章 論理的放棄と非論理的蜂起(5)

 終業後、ナギは会社から徒歩5分程度のところにあるイタリアンバルに来ていた。常連とまで言えるかは分からないものの、月に一回程の頻度で訪れている馴染みの店だ。ナギはアルコールがまったく飲めないという訳ではないのだが、酔いによる思考力の鈍化を好ましく思っていないため、進んで酒を飲むことはしない。今もナギの前に置かれたグラスの中身はジャスミンティーだ。

 対照的に、向かいの人物はかなりのハイペースで生ビールを水のように流し込んでいた。

「またやっちゃったあああああーーーー」

 阿虎ミヅキが、がっくりと肩を落として項垂れながら、深い溜息と共にそう吐き出した。彼女のMenDACoがフル稼働しているが、次々に押し寄せる感情の波に間に合っていないようだ。

 ナギとミヅキは同期として、たまに食事を共にしたりする。所属課は違えど同じ職場、同じ立場で働く友人として会話ができる相手がいることを、ナギもそれなりに有意義に感じている。ミヅキ側もナギがそこまで人付き合いが得意ではないことは承知しているため、たまに夕食に行く程度の距離感を保っている。だが時々今回のようにミヅキから急な飲みの誘いをすることがある。そう言う時は大抵、彼女が後輩に対して強い当たり方をしてしまった時である。

「なんでさぁ、あたしいつもあんな言い方しちゃうんだろうなぁ。キツすぎるって分かってるのにさぁ」

 盛り合わせの皿から摘み上げたチーズを口に放り込みながらも、苦虫を噛み潰したかのような渋い顔でミヅキは言う。

 後輩やチームメンバーに対する当たりのキツさは自覚しているものの、いつもその場では自身を律する事ができず、事後になって初めて自分の振る舞いを客観的に評価し、打ちひしがれるというのが彼女の恒例だ。その聞き手を担うのがこの飲み会におけるナギの役割だ。

「ミヅキはきっと、真面目すぎるから」

「そうなのかなぁーー。それにしたって言い方ってもんがあるでしょ。ほんと、あたしただの嫌味だらけのガミガミおばさんじゃんかーー。自分で自分が嫌すぎるんですけどーー」

 はあああ、とミヅキはまた大きな溜息を吐き出す。それから、軽く深呼吸をした。ようやくMenDACoの効果が出たのか少し落ち着いたようだが、まだ表情は暗い。

 いくら今の気分が安定したとしても、失敗したという記憶がなくなる訳ではない。胸の内にあるそれと向き合う度に、人は何度だって傷付いたり、凹んだりしてしまう。

 それをどうにか出来るのは真の意味で根本的な解決を齎すか、あるいは時間が傷を癒すしかない。その点においては、残念ながらMenDACoの力は及ばない。


「こんなイヤな女じゃ、ずっと独身かなぁ」

 そんなことをミヅキがぽそりと呟く。

「やっぱり、このままマッチングサービスは使わないの?」

 就職のように、WHATA*2MEによるAIマッチングは結婚相手についてもサポートしている。単純な性格一致診断程度であれば昔から行われていたが、WHATA*2MEを用いたそれでは、趣味嗜好といった性格だけでなく生活習慣や行動パターンといった実生活を共にしていく上での相性も加味される。

 それにより、成婚率だけでなくその後の離婚率も過去の婚活系サービスに比べて優良な数値を叩き出している。

「そりゃあ、使えば相手は見つかるかもしれないけど。やっぱり、ナチュ派への憧れはどうしても捨てきれないのよ」

 マッチングサービスを用いない恋愛結婚のことを、最近ではナチュラル結婚などと呼ぶらしい。そして恋愛結婚志向の人達はナチュラル派とされ、ナチュラル派としての出逢いや結婚の目指し方について恋愛指南の特集を組む女性誌はコンビニなどでナギも見かけて知っている。

 だが、やはりナギとしてはそこまでして恋愛結婚にこだわる必要性について、納得に至る答えに未だ辿り着けていない。今現在恋人がいるのであれば兎も角としても、パートナーがいない状態で結婚願望を叶えるのであれば、ほぼ確実に相性の良い人を見繕ってくれるサービスに頼る方が効率的に思える。

 今後共に過ごす相手との間に生じる軋轢や問題というリスクを事前に回避できるのであれば、精神衛生的にも得でしかないはずだ。何より時間を無駄にすることもない。

 人生の残数は未知のものではあるが、有限であることは揺るがない事実である。それを不確かなものに費やすことによる取り返しのつかないリスクは、避けられるのであればそちらを選択する方が建設的ではないか。

 そのようなことを以前ミヅキへ伝えたところ、ナチュ派を自称するミヅキは「ロマンがないなあ」と唇を尖らせていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る