第2章 選択しない選択、或いは選択肢のない選択(4)
MenDACoが社会に与えた影響は、もちろん恩恵の面が多いのだが、一部にとっては望ましくない結果も生んだ。エンタメ業界、特に映画やドラマ等に大きな打撃を与える事となる。
一種の苦痛や不快感があってこそ、その後に待つカタルシスが一層のエンターテインメントとなるような場合、前段階の「苦痛や不快感」の時点でMenDACoが検知してしまう。
MenDACo運用の基盤となる精神的健康及び衛生向上特別法において、精神的負荷の生じる行為や働きかけは処罰の対象となり得ると規定されていた。娯楽の一環であったとしても、そこに例外はなかった。
『暴力的なシーンやグロテスクな表現を含む』という注意書きは昔からされることはあったが、MenDACoの記録上に視聴者側のストレスが事実として数値を伴うデータとして残るということは、事前に注意を促せば良いという話ではなくなってしまった。
「嫌なら見るな」は通用しない。例え偶然ザッピング中に刺激的なシーンを見てしまっただけだとしても、「そのシーンを見た事で精神に負荷がかかった」と言われればおしまいだ。
その結果、自主規制によってドラマや映画は一時期姿を消し、テレビで流されるのは愛らしい動物や美しい風景といったヒーリング効果を期待した映像ばかりとなった。
映画館も、暴力的シーンの含まれる映画の上映を断念せざるを得ず、子供向けアニメ映画しか扱わない劇場だらけとなっていた。そうなってしまえば閑古鳥が鳴くまで時間はかからない。
暫くしてから、業界団体らのに抗議活動によって法改正が行われ、精神的健康及び衛生向上特別法に特別要項として映画館や遊園地などの「意味のあるストレス」に限り除外する旨が明記された。ただしゲームやテレビドラマに関しては、未だに調整が続いている。
ちなみに読書に関しては、自身で読むペースを調節することでストレスコントロールが可能として、極めてグレーな扱いとなっている。
ナギはミステリ作品が好きだ。小説はもちろん、かつてはドラマや映画もよく享受した。ミステリ作品では、所謂「日常の謎」と呼ばれる系統を除けば、大抵の作品で人が死ぬ。殺人シーンの為に自主規制されるのは、MenDACoの開発運営側に所属する人間としては仕方ないとは思いつつも、どこかで寂しさは感じていた。それ故に、ようやくまた以前のように映画が観られる状況となった今、どこかで機会を作って観に行きたいとは思っていた。
──とは言え、まさか週末に二人で映画館に行くことになるのは想定外だった。
ナギとしては映画のチケット代さえ貰えれば良かったのだが、「じゃあいつ行きます!?」と日程調整に入ったハヤテに対して、強く拒絶することも出来なかった。初手でそういう旨では無い事を明言しなかった事を悔いた。幸か不幸か、翌日は互いにフリーだった。
そして翌日。
ポップコーンと飲み物のカップを乗せたトレーを運ぶハヤテと共に、チケットに記された番号の座席を探し、腰掛ける。
今回観るのは、没後数十年経った今でもミステリの女王と呼ばれる作家が生み出した、とある探偵のシリーズ作品の一つだ。異なる製作陣によって映像化は幾度もされている作品ではあったが、ナギ自身は原作を読んだだけで映像化作品を見るのは初だった。
スクリーンでは上映前の注意事項を伝える映像が流れている。ふと、隣の席のハヤテを横目で見ながら、ナギは思う。この人はこういう作品は好きなんだろうか、と。
着いて行くと決めたのは彼ではあるが、はたから見ればナギが彼を付き合わせている形とも言える。もし微塵も興味がないような作品なのであれば、申し訳ないことをしたかもしれないと、一抹の不安が過ぎる。
彼の肩に、彼のMenDACoデバイスが静かに着地し、ライトの点滅が弱くなる。映画館ではMenDACoデバイスに対して特殊な信号が発信されている。それにより、仮にMenDACoがストレスを検知したとしても特例扱いになる。また、上映の妨げを防ぐ為に発光を抑えたマナーモードのような状態になるようにプログラムされている。
上映中、ナギは彼のMenDACoがストレスを検知しないかが気になってしまい、映画の内容だけに集中することは出来なかった。
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