第2章 選択しない選択、或いは選択肢のない選択
仕事において、大抵の事はナギにとって大して問題にはならなかった。特段優秀という訳ではないが、かと言って能力値が低いということもなく、大概のものはそれなりにこなせるだけの器量は有していた。
ただ唯一欠点があるとすれば、ナギは人付き合いというものがあまり得意ではなかった。リーダーである以上はメンバーを纏めなければならず、また後輩の指導育成も担わなければならない。それについては日々苦戦を強いられていた。
人の思考、そして感情は、時に論理的な理屈が通用しない非合理的な選択を取る。それがナギにとって時折コミュニケーションの障壁となった。人間とはそういうものであり、それが自然である事は理解しているものの、それは彼女からしてみれば予測困難な変数として介在してくるモノでしかない。
感情は厄介だ。
感情論は「論」とは言うが、論理とは最もかけ離れた位置にあるとナギは思う。確かに感情という変数を元に構築されているという点ではロジックとしての体裁は保てているのかもしれない。だが、そもそもその感情自体があまりにも不定であり、混沌であり、再現性に乏しい。論理とするには前提条件からして不十分に思える。どれだけ数式がホワイトボックスであろうとも、xという一つの変数に収めるには「感情」は複雑すぎる。
──結局のところ。世界情勢が悪化したのも人々の感情というコントロール困難な流れによって生じたうねりが一因なのだろう。常々そんな事を考えていた彼女だからこそ、「論理ノイズ理論」を初めて知った時、彼女の目には何よりも魅力的なものに見えた。
「論理ノイズ理論を使って、人々の心をコントロールするシステムを作り上げたい」
ナギを会社に誘う際、竜宮ツカサはそう声を掛けた。その時点では既に竜宮は会社を起こしており、またMenDACoプロジェクト──その時点では名称はまだ未定だったが──の基本方針も固め、政府との調整段階に入っていた。プロジェクトを進めるにあたってシステム構築の為のエンジニアとして人員を必要としており、サークルの後輩であり情報工学部に在籍していたナギに声をかけたという流れだ。
竜宮から渡された資料に目を通した後、ナギは自分でも論理ノイズ理論に関する論文を読み漁った。純粋に、彼女はそれをすごいと思った。
扱うには余りにも乱数が過ぎる感情というものを、極限まで収束させる。それはナギにとって理想的な在り方だった。
ある調査によると、MenDACoによる恩恵を最も受けたのは接客業に携わる人々だと言う。
現代における人と人が直接関わる機会は、一昔前に比べれば格段に減っている。大手ファミレスチェーン店ではロボットによる配膳システムやタッチパネル式の注文が殆どなり、大手スーパーや書店などではセルフレジが導入されているところも多い。
国産AIであるWHATA*2ME(わたつみ)が開発されてからは特にその流れは加速した。WHATA*2MEの開発以前、自然言語処理を可能とするAIが爆発的に進化した時期があった。インターネット上の膨大なデータからの学習によって構築された会話能力は目を見張るものがあり、それを元にした対話型AIサービスも多くリリースされた。だがそれらは基本的には英語圏で開発されたものであったこともあり、日本語特有であったり「綺麗ではない」言葉の扱いが完全ではなかった。正確な結果を得るには、正しい日本語で対話を行う必要があった。
それを補完する為に作られたのがWHATA*2MEだった。それは一部では、「空気を読むことに特化したAI」などと呼ばれることもある。コミュニケーションはその殆どを言語によって行うにも関わらず、言外にある非言語要素に拠るところが重要な因子と成ることが多々ある。
例え同じ言葉であっても、それを発した人間の性別や年齢、表情や身振り手振り、またそれが発せられた状況や場所、時間やタイミング、前後の文脈によって意味合いが変わる。
だから、ややこしい。
だから、面倒臭い。
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