第1章 素晴らしき哉日本(4)

 ナギは、そんな日本の平穏を享受しながら、今日も生きている。波一つない彼女の精神は水面鏡のように彼女の目にする世界を映し出す。その瞳に映るものが彼女の世界の全てであると同時に、彼女そのものでもあった。

 人間とはつまるところ、その人間の属する社会における一要素でしかなく、生きる価値も生きる意味も、どこに居るかによって決まる。例えばその人間の「出来ること」というスキルはそれが活かされる場所があるからこそ価値が生じる。逆に、その人の「出来ないこと」は、それが足枷となる場所にいることによって初めて負の価値が発生する。

 例えば、サッカーに秀でた能力を持ってはいるが、逆にその人が最も不得手とする手先を使った繊細な作業に向き合うだけの職に就けば、残念ながら社会的評価は望めない。

 宝の持ち腐れと言えばまだ救いはあるかもしれないが、適材適所に反することはその人を無価値に落とし込むことすらある。

 ——それは決して、その人自身に価値がない事を意味するものではない。しかし、社会のコミュニティに属して生きる以上は、社会的評価に基づく価値は、避けては生きられない。

 どんな能力を持つか。そしてどんな場所で生きるのか。そのマッチングの成功度合いこそが、その人の成功度合いとイコールと言っても過言ではない。

 そういった意味では、ナギは恵まれていた。

 彼女が勤めるのは、『株式会社ノーチラスシステム』。所謂システムインテグレーターと呼ばれる、情報システムの構築や開発を行うIT企業だ。創立からまだ日は浅いベンチャー企業だが、代表の竜宮りゅうぐうツカサは若手ながらIT業界に限らず注目を集める経営手腕を発揮し、会社は急成長を遂げた。最新技術をいち早く取り入れる革新的なサービスやアプリを次々リリースしては、各種メディアで話題の人として取り上げられた。

 そして数年前、国に対して『MenDACo』システムの売り込みを成功させた事で、ノーチラスシステムは確固たる地位を確立させた。

 『MenDACo』の中身であるシステム開発はノーチラスシステムが担い、インターフェースであるシステム用専用デバイスはAtlantisTechnology株式会社という電子機器開発企業が担当している。この2社による共同プロジェクトという体にはなっているものの、旗振り役はノーチラスシステムが——と言うより、『竜宮ツカサ』氏が進めた事によって成功に導いたことは、周知の事実である。

 現在のシステム保守業務の大部分は大手システム会社が人員を出しているものの、システムに関するプロジェクトの主体は今でもノーチラスシステムが担っている。


 そのノーチラスシステムで、ナギはシステムエンジニアとして働いている。ナギと竜宮は帝都大学の先輩後輩の関係だった。学部は違ったが文芸サークルで面識があり、竜宮は在学中に起業していたため、ナギも会社については知っていた。その後、ナギが卒業するタイミングで竜宮から声をかけられ、そのまま流れで入社を決めた。竜宮の交友関係は途方もないほどに広く、あくまで特別な意味ではなく顔見知りである自分に声をかけたまでということは、ナギ自身がよく弁えている。

 ちょうどその頃は特に国内情勢が最悪化の一路を辿っていた時期で、周囲で就活に苦難する声を耳にしていたナギとしては、内定が得られなければ地元に帰って家業の農家を継ごうかなぐらいに考えていたので、その誘いを断る理由も思いつかなかった。

 そうして、気付けばあっという間に入社5年目の春を迎えた。

 始まりは少人数だったノーチラスシステムも、年々規模を拡大させ、社員数も随分と増えた。ナギもチームリーダーを任されながら、日々業務に追われている。

 論理的に、そして合理的に考えるのは、ナギの性に合っていた。それはシステムエンジニアとしての適性としては申し分のないものであり、それを活かせる職に付けたのは僥倖であった。

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