2話 パンをくわえた転校生、しかも二人
始業式の朝。
陽馬はいつもより少し早く起き、新年度ということでお気に入りのスニーカーにブラシをかけていた。毛がレザーを掃う音が玄関に響く。
ホワイトをベースに深く濃い青色のオーソドックスなデザインで、スニーカーの中ほどに星マークがちりばめられている。有名ブランドのプレミアコラボキックスだ。
ファンからすれば垂涎モノの逸品なのだが運よく抽選に当たったのだった。
ふと、支度をしながら友達の太平に言われたことを思い出す陽馬。
『お前ってラノベの主人公みたいだよな』
どこが? と返答したと思う。せいぜい妹が居るくらいではないだろうか。竜崎陽馬は高校生にして一人暮らしをしているような身ではないし、料理の腕も不可解なほどプロ並ではないし、性欲を捨てたような御仏でもなければ『竜崎くんって、優しいね』と、没個性をどうにか救済しようとする苦し紛れじみた褒められ方も滅多にない。
当然、お隣の可愛い幼馴染にモーニングコールなどされたこともない。
むしろ起こす側だ。
「巳月、起きろ。朝メシ食う時間なくなる」
優しく起こすと二度寝、三度寝をし始めるので羽毛布団を一気に剥ぐ。
「かっ返せ……それを……」
石の裏に隠れていた小さな虫が光を恐れて体を丸めているようで可愛かった。
「み、導け……わたしを……」
翻訳すると、体を持ち上げて洗面所まで連れていけ、という意味だ。
一か月くらい前、何か予定があった時にいつまで経っても起きて来ないので、業を煮やした陽馬が強引に担いだのだが、どうもそれに味を占めたのか時折こうして怠惰の極みを見せるようになった。
「アホが、置いてくぞ」
女子と言えども、ほとんど一七〇センチ近い巳月の体重はどう考えても五〇キロはある。見た目は細いが上背があるせいだ。
そんなほぼ米俵を担いで一階の洗面所まで行く気にはなれない。
陽馬が放ってダイニングで朝食を食べているとペタペタと足音をさせながら巳月が降りてきた。
「朝ごはんなに?」
「目玉焼きトースト」
「あぁ、いいね。あれ? お母さんは? お父さんも居ないね」
「今日から出張だよ。四月はどっちも、いっつも忙しそうだよな」
「あそっか」
父は美容業界、母はWeb制作の業界と双方が忙しそうにキャリアを築いている竜崎家は繁忙期にあたる四月になると家にほとんど親が居ないのだった。
ちなみに美容業界は新生活・新環境へ向かうにあたって気合を入れるため化粧品の売れ行きが上がり、Web制作系は四半期の始まりに新しい施策等で大きな仕事が降って来るのだそうだ。
それから結局、陽馬が巳月の世話をなんのかんのと焼いてどうにか定刻で家を出発できた。
二人が通う杯羅高等学校は、男子は黒の学ラン、女子は白のセーラー服。制服の着用義務はあるが着崩しにはそれほどうるさくない校風だ。
自転車を漕いでちょうど一〇分くらいの立地にある。
市外や県外から一時間かけて通うような生徒もいることを考えれば「チャリって前髪わちゃってなって怠い」と、ぼやいている巳月のなんと軟弱なことか。
なお、陽馬は短めの黒髪に無造作っぽいパーマを当てており、風に吹かれようが手櫛で何となくそれっぽくなるお手軽な髪型だ。
カラカラとペダルを逆に漕いで空回りさせている巳月を横目で見て、どこかハムスターの姿を連想する。
陽馬もたまにやるこの動作に何か名称はないものか、とそんな泡のような思考が不意な光景によって吹き飛んでいく。
直角に近い曲がり角、ここを過ぎれば校門が見える。その曲がった矢先に人が居たのだ。あわやぶつかりかける寸前で陽馬は神懸った回避を見せた。
自転車から飛び降りると同時に車体を蹴って障害物をかわす。
ぶつかりそうな人は二人組だった。蹴り飛ばした自転車は綺麗にフェードアウトし、陽馬はその二人の間を肩が掠める程度の接触、被害は最小限に収めてみせたのだった。
「あっぶねー……!」
事が過ぎてからようやく息を吐き出せた。我ながら拍手モノのスタント劇だな。
自分に惚れ惚れする傍ら、一応はぶつかったので謝罪しようと二人組の女生徒を見れば、口を開いたのはあちら側で、それから内容と光景にも驚かされるのだった。
「ちょっと! どこ見てんのよ!」
「あ、危ないジャナイ。急に飛び出シテキテ」
こいつら、パンを咥えている。しかも、二人とも食パンだ。
「ったく気をつけなさいよね! ちなみにあたしの方に先にぶつかってたから、あたしの方に責任を重めに感じなさいよね!」と、ツリ目のツインテールが見た目によく合う高い声で言う。
「イイエ、接触の重みで言うと私の方が強カッタ。私のほうが被害は大きいヨ」とは、たれ目の方の台詞で妙に棒読みで嘘くさい空気が漂っていた。
陽馬の中で謝罪がどうのと、そういったマナー的な部分は遠い過去にあるかのようだった。
「え……。お前ら、嘘だろ……? パン、咥えて……登校してたんか?」
パンを咥えている登校途中の女生徒とぶつかった、その古典のような展開が起きたことにしか目が行かない。
「あっ! いっけなーい! ちこく遅刻!」
「アッ、ソっ、ソよ。遅刻しちゃウ」
まだそんな時間じゃねえだろ、と腕時計も見ずに心の中だけで陽馬がツッコミを入れる。いつもこの時間に登校しているのだ。ここから自転車ではなく歩いたとしても優に間に合う。
珍妙な事件が突風のように過ぎ去った。
巳月も呆気にとられており「え、だ、大丈夫?」と声をかけてくる。
「大丈夫。っていうかアイツらの方が大丈夫か? って感じだったよな」
「うん。……二年の制服だったよね? あんな子たち居たっけ? なんか気に食わない」
巳月ってたまにヤンキーっぽいとこあるよな、と思いつつ。なぜぶつかりそうになったのか、そこのところが陽馬には不可解だった。
この曲がり角は視界が効きにくいのでミラーがある。曲がる時はもちろん陽馬もそれを見てから曲がっていた。通学路であり人通りも多いので誰だってそうするのだ。
今日だって意識せずとも見るくらいには染みついていた行動だった。
何はともあれ無傷で、あの珍獣たちもどうやら怪我はなかったと見ていいだろう。
陽真お気に入りのダサいママチャリにも大した被害はなかった。
校門を抜けて駐輪場に着けば、目指す先は体育館だ、館前の掲示板に自分のクラスが掲示されえており、今学期が始まって真っ先にワクワクする瞬間といっても過言ではない。
「ワサップメーン!」
生徒たちの雑踏の中、聞き慣れた明るい声が飛んできた。
「おう、調子はどうだい、太陽と月の双子たちよ」
「お前の流行らせたそれ、フツーに恥ずかしいからやめろ。そんでお前も天下の双子だろうが」
太陽と月の双子とは陽馬の太『陽』と巳月の『月』にちなんだそのままネーミングだった。
いつかどこかのよもやま話で通り名でも考えようぜ、ということになって命名された。そして太平の方はというと、フルネームで
そして双子の妹は
「おはよう、ハルくん、ツキちゃん」
調子良さげな太平の後ろからスラリと現れたのが吹雪だ。
中学から同じでお互いに双子という共通点もあってか四人共に仲が良かった。特に巳月と吹雪には他の女生徒たちを寄せ付けない絆の深さのようなものがある気がする。
巳月に負けず劣らずの背丈と見栄えから、この二人がツーセットの時は雪月風花コンビと呼ばれているそうだが、これは太平のほら話だと思う。
高校二年の新クラス発表は陽真が太平と、巳月は吹雪と同じクラスだった。中学一年からお互いにそうなので三年に上がっても同じなんじゃないだろうか。
これから先の一年を過ごす新クラスへ向かっている途中で、太平がホットニュースを知らせてくれた。
「なんかさ、俺らの学年は転校生くるらしいぜ」
「……。当ててやろうか、女で、二人だろ?」
「え、マジ? お前が外界を気にする日が来るとはね」
「俺はそんな仙人みたいな扱いなのか……?」
「しかもけっこう可愛いってさ、ツンツンした感じの子と、大人っぽい感じの子らしいよ」
「じゃあ、今朝の二人で違いないっぽいな」
今朝ってなに?
当然食い付いてくる太平にパンを咥えた女生徒とぶつかり「いけない遅刻しちゃう!」と言って走り去ったと言えば、ひとしきり笑った後に陽真が真顔なことに気付き「え、マジなの?」と事の異常さを認識した太平なのだった。
新クラスの顔ぶれを確認するのもそこそこに陽馬と太平は噂の転校生について話し合っていた。
春は出会いの季節だから運命の相手が現れた説。
転校生の二人は重度の少女漫画オタクで転校を機に憧れの恋愛コミックな立ち回りをしたかったのかも知れない説。
もしくはただ単にヤバい奴が二人揃って転校し遭遇した天文学的な低確率を引いてしまった説。
あーだこーだと予想してみる二人だが新クラスの担任教師がやってきたので、二人は自席に帰った。
今学期初のホームルームは教師からの挨拶もそこそこに、去年も聞いた行事説明と学年が上がって受験も意識して動き出さないといけませんよ、という月並みな内容だったので陽真は早々に聞き流していた。
担任の戸村教諭は経験も豊富そうな四十代の男性で、こういった新学期の説明を何度もこなしてきたのだろう。なまじ聞きやすいだけに耳に引っかかるところがなくてするすると流れていく印象だった。
なので、
「じゃあ、入って」
と、言った時、陽馬は目が覚めるような気分だった。
朝に会った二人だ。
二人?
この二人が転校生だということは分かっていたことだが、二人ともが同じクラスになるのは少々おかしな事ではないだろうか。
学校側の生徒を振り分ける事情を考えれば大概は別々のクラスを充てられるだろう。
竜崎兄妹、千賀兄妹しかり、何か事情でもない限り分散するのが常のはず。
それじゃ二人とも自己紹介を、と戸村教諭が促した。
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