第29話 生きる時も散る時も平等
「なんだこの子どもは。仲間を殺ったのはおまえか?」
少年は子どもらしいはしゃいだ声で嗤った。
不快な感覚だ。
「んだこのガキ。お前が殺ったんなら覚悟はできてるんだろうな!」
信者たちは熱くなり次々にナイフを抜き出す。アクベンスは警戒して一歩引く一方で、ナイフを構えた信者たちは前に出る。
「待て、それ以上前に進むんじゃない」
アクベンスがそう忠告するが信者たちは聞く耳を持たない。引き寄せられるような妙な雰囲気に信者は呑まれる。少年に近づくのは危険過ぎる。
そこでようやくアクベンスは宙に浮く細長い鋼糸を見つけた。すでに信者たちの首元に忍び寄っていた鋼糸を止める術はなかった。
少年の肩がかすかに揺れると弦を弾いたような甲高い音が鳴る。
瞬間、雨が茜色に色付く。
アクベンスを中心に周囲の信者は細切れに、二本の足だけを残して消えた。
「なっ……」
叫び声すらなかった。
「こんな一瞬で……」
明け方まで残しておくはずだった戦力。中にはベルタゴス陥落の主力までいた。しかし呆気なく死亡。アクベンスの計画はこの時をもって達成不可能となった。
「あ、ああありえません。鋼糸でこんなことできるはずが! それに魔力が高いも者もいたのです!」
危険だとわかっていてもまさかジュースになるとは誰が予想できようか。彼はそんな理不尽に怒りを覚える。
「だけど死んだ。所詮は世界の生き物。どう生きようか、どう死のうか……世界は教えてはくれない。それは皆平等なのだ。すなわち平等な自由意志が他人に何を与えるか、それだけなのだ」
「い、意味がわからない……。その理屈で行けばお前は彼らに死を与えたということに──」
「そう言うことなんだろう。彼らが僕の行動によって死んだのならそれは紛れもなく平等な死だ。理不尽ではない」
「な、何を……。ここで私が罪なき人間を殺しても理不尽にはならないとそう言いたいんですか」
「それは理不尽だ。それは彼らに死に方を教えているようなものだからね。誰も死に方は分からない。だから与えられる生き方や死に方は平等なのだ。それを教えてしまえば平等ではなくなってしまうだろう」
本物の狂人に出会ってしまったのかとアクベンスは酷く顔を引き攣らせる。
「こ、これは酷い……そのような歪んだ思想を持った者に殺された仲間たちが可哀想で仕方ない」
「思想は、何かに寄りかからないと休めないのと同じだ。君だってあの亜神を崇拝している。僕は亜神を崇拝すること自体歪んでいると考えるね」
「彼女は亜神なんかじゃありません! れっきとした女神様なのです!」
人は身近な存在を馬鹿にされることを心底嫌う。自分のことよりも何倍怒りが湧いてくるのだ。アクベンスはフルリエルを亜神と呼んだ少年を睨んだ。
「我らの女神フルリエルを侮辱するのならば私は立ち向かいます。彼女の加護さえあれば来世などいくらでも望めるのですから!」
話すうちに彼は少年の武器である鋼糸の位置を完全に掴んだ。どんなに硬い鋼糸でも彼の爪で簡単に裂ける。少年に近づけば鋼糸の密度は増すが彼の爪の前ではただの薄氷の盾だ。
だから前に出た。勝てる算段が見えたのだ。
「ふんっ!」
魔力が弾け駆け出す。
アクベンスと少年が向き合った。
一直線の最短距離。距離はさほど離れていない。30メートル程だろう。
少年が鋼糸を引く。
位置と形が変わることで彼の思考に変化を与える。だがアクベンスはビチビチと鋼糸を簡単に裂いていく。
「ん……所詮は獣人か」
「間合いを取る戦術には詰める! 獣人が得意とする間合いだ。グルルルルルゥ!」
魔力が高まったことで筋力も増幅する。
膨れた体からは体毛が目立ち一本一本が硬くしなやかだった。
少年が鋼糸を全て引いてミンチにしようとする。だが彼の硬い体毛に阻まれ崩れてしまった。
「……なるほど」
「グルゥア!」
武器を失った少年に巨大な右腕が襲う。
手応えある一撃。
爪で掻き切った。
だが血はつかない。それどころか自身の腕に衝撃が走って内側からくすぶられる感覚に襲われる。
「んぐぅっ!?」
「浅はか。僕が近接は不得意だとでも?」
少年の手には飾っていない質素な剣が握られていた。
「腕が……衝撃を全て打ち返すとは……」
「僕はまだ子どもでね。君みたいな大人気ない力に対抗するために編み出した防御法だ。ほとんどの衝撃を君に返すことができる」
受け流しと反撃を同時にやることで起こる二重衝撃。
「とんでもない技術。おーまえは……人間じゃない。衝撃の伝わる肉、骨、内臓の全てを甲羅で覆っているというのか。だが……」
内側から裂けた腕は次第に回復していく。
膨れ上がった腕は壊れる前の腕より少しだけ太くなっていた。
「女神の加護さえあればなんてことない。壊れたら再生させるまで」
「筋トレと同じ原理か」
壊れたら壊れた分の筋肉を補修しさらに強くなるということだ。
アクベンスは深く息を吸って胸を張る。
「──
「亜神の祝福。禍々しいね……」
黒き魔力は彼に力を与え続ける。大人二人分まで膨れ上がった体はまさに獣。腕は木の幹ほど太くなる。
しかしながら下半身は祝福の影響を受けていないのかアンバランスな体型になった。
「……時間制限があるっぽいね」
「それがどうしたんだ」
「持って十分ってところだろう。それに反動も凄そうだ。逃げ続ければ僕の勝ちだね」
少年は剣を投げ捨ててふわりと距離を取った。
「それができるのなら今ごろ私はあの世だ。油断した相手は全員この巨腕に押し潰される」
「その足でどうやって追いつくのさ?」
「足? いつ私が足で走ると思ったのだ」
柱の如く太い腕は地面を掴んだ。
「そのパターンね──」
巨腕を足代わりに四足歩行で突進。
かなり速い。特に前腕を付いたときが最も速くなる。
少年は向かってくる巨体に怯むことなくヒラリと横に避けた。アクベンスの無防備な脇腹が晒される。少年はそのままボールを蹴るかのごとく斜めに蹴る上げる。
「ごっ……!?」
大した力で蹴られたわけではないもののすぐにバランスを崩して玉のように地面を転がる。
「ダメージを受ければさらに強くなるけど……その状態を維持する時間は短くなるんだね」
アクベンスの体は大きくなりつつ魔力の放出も激しくなってくる。
「くそう! 私には加護があるはずなのにっ。この小さい虫すら潰せないとは!」
唸りを上げる彼は暴力的に力を振う。
大きな手が小さい少年を掴み取ろうと音を立てるが掴まらない。
避ける暇もないぐらいに腕を伸ばしても少年には瓦礫すら当たらない。
一歩一歩踏み出すにつれて距離を取られる。少年は攻撃を大袈裟に避けているのだ。わざと体力を使っている。
「なぜ当たらん! スピードも、リーチも、力もあるはずなのにぃっ!」
地面を抉り掻き取った砂をムチのように薙ぎ払う。それを少年はローブをまくり上げて防いだ。
「隙だらけだ!」
アクベンスが両手を握ってハンマーのように拳を振り下ろす。
速度もリーチも関係ない。
大地を裂くように地面に亀裂が入ると砂埃が舞った。少年にはクリーンヒット。完全に捉えていた。
「入った……これでやつはグチャグチャに──」
「慢心は良くない」
聞こえるはずがない少年の声が聞こえるとアクベンスの腕は大きく弾き返される。
砂埃の向こうから黒い塊が素早く動く。
現れては消えてを繰り返す黒い塊。それは彼の体中を殴打していた。
肉を叩くような生々しい音が連続で聞こえ、アクベンスの筋肉を破壊していった。
「うるがぁぁぁあ!!」
吠えて、暴れる、何も起きない。しかし殴られる。
また吠えて暴れる。しかし空気を掴んだだけ。次は蹴られる。
見えない何かと戦っているようだ。理性を捨て本能のままに邪魔なものを払おうと暴れるアクベンス。
それではいつまで経っても敵を捉えることはできない。
すぐに消える、何をしても何も得ることはできない。
彼は砂埃の中で一人暴れていた。少年はそんな彼を遠くからじっと見つめていた。
「どこだぁあ! うらぁぁあ!」
次第にアクベンスの体が萎んでいく。予想より5分も早かった。たったその時間で彼は魔力切れを起こしたのだ。
「時間切れのようだ」
「そこかぁぁぁあ!」
背後から聞こえた声に反応する。
ついに少年を捉えた。今度は逃がすまい。
そう右から拳を突き出すが少年も同じく拳を突き出す。
「なっ……!」
「強化前より弱くなってる。これじゃあ衝撃を跳ね返した意味がなくなるじゃないか」
またもアクベンスの右腕は内側から破壊され全身の骨に衝撃が伝わる。
痛がっている暇はない。
少年はうるさい口に拳をぶち込む。目の焦点が揺れると今度は左頬を振り抜いた。
「背が高い……」
文句を添えて膝を蹴り、折る。
「これで丁度いい」
六発を瞬きよりも速く顔に叩き込とと、アクベンスの意識は刈り取られた。仕上げに首元に強い蹴りを打ち込むとクルガのいるところまで吹っ飛ぶ。
「十分も掛からなくてよかったー。あっ、聖騎士の方ですか? 僕ってば手加減が下手で一人しか捕まえられなかったけど……許してください」
「えっ……ああ。別に構わんが……」
「よかったです。それに実はまだ幼い子どもでして……前科者になりたくないのでここはうまいとこ誤魔化してください。ほら、助けてもらったお礼に」
少年は図々しい態度で接するもクルガは不快そうに聞くことはなかった。むしろ刺激しないようにできるだけ従順である態度を示す。
「30人以上殺害し1人を重傷に……こちらでうまく報告しておく。お前のことは話さないほうが良いのか?」
「お願いできますか?」
嘘でもここは肯定するしかない。もしもできないと言ってしまえばここに血の海を作るだけだ。
「ああ」
そう言いつつもこの件を黙っているわけにはいかない。子どもの背丈で30人以上殺害し、亜神の加護を得たアクベンスを赤子のように捻ったのだ。
そんな人物を野放しにするわけにもいかない。クルガは慎重に言葉を選んでできるだけ情報を引き出そうとする。
「あんたの名前は?」
「今はただの悪党です。名前はまだないと言っておきます」
「なるほど……なぜそんな悪党が聖騎士を助ける?」
「人生の門出にはオーディエンスが必須です。一人でデビューというわけにもいきませんから今回はたまたまです。しかし次回からは盛り上がりのために一人残らず消し去るかもしれませんね」
「な、なるほど……」
少年はローブの向こうで不敵に口角を上げた。
「……ふむ、聖女様が近くに来ているようなので僕はこれで失礼しますね。あなたとはどこかでまた会えそうだ」
少年はそう言うと雨に紛れて消えていった。自然な消え方でクルガは彼が消えたあとでもじっとその跡を見続けてしまった。
その後クルガは途中合流したソリスとルイスに事情を全て話した。
聖騎士団が壊滅したと報告を受けたソリスだったが、首を横に振るだけで亡くなってしまったのはほんの一部だったという。
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