第3話
街の入り口には、一人の女性が立っていた。
シワの具合を見るに、三十か四十くらいだろう。
白いブラウスに、クリーム色のロングスカート。
服装に特徴がないせいか、両目を覆い隠す真っ黒な布が、異物に見えてしょうがない。
「り、リンナ、それっ」
再会の挨拶をすっ飛ばし、シャウルは真っ先に目について言及した。
元からああいう格好をしていたわけではないらしい。
「この十年、色々あってね。今は何も見えないのさ。あぁ、そんな顔しないで、シャウルが気にすることじゃないから。あたしの自業自得だ」
リンナは自嘲気味な声音で言って、僕に鼻先を向けた。
魔術で周囲の状況を把握しているのだろうか。僕を見つけるまでの動作に、一切の迷いがなかった。
……そんな顔、って言わなかったか、いま。
見えてないのに、そんな顔?
「長旅で疲れたろう。頼み事のことはいいから、今夜は休んどくれ」
栗色の髪を耳にかけて、「さぁ、荷物をこっちに」と言い加えた。
女性に重い荷物を持たせるのは気が引けるが、僕の腕はもう限界だった。
「静かな街ですね」
「その上、いい街さ。人は優しいし、空気も水も美味い。この辺りは戦争の被害を免れたから、動物や植物も活き活きとしている。何にもないが、何でもあるところだよ」
虫の鳴き声。夜鳥の囀りに、獣の咆哮。
目と鼻の先の湖では、時折魚が飛び跳ねて、月の光の中に水飛沫を散らす。家々から漏れ出す会話が、電灯のない夜道を照らしている。
確かに、何にもないが何でもある。
骨をうずめるなら、こういう場所がいい。
「何でもって、何があるの?」
「あ、いや、そういう意味じゃなくって。うぅん、こういうニュアンスは、シャウルには難しいかな。そのうち分かる日が来るさ」
「そのうち?」
「あぁ、きっと、そう遠くない未来に。シャウルは頭のいい子だからね、あたしが保障する」
見た目こそ双方共に成熟しているが、会話や雰囲気は親子のようだ。
当然だろう。
シャウルが作られたのは、南北戦争が始まる少し前。つまり現在の年齢は十歳程度、精神もそれ相応に幼い。
「着いたよ。ここがあたしの城だ」
周りより一回りも二回りも大きな家が、そこに建っていた。
一人暮らしには適さないサイズ。十人規模の家族ならば、あるいは。魔術絡みの資料室や実験室が、たっぷり詰まっているだろうか。
「部屋は沢山あるから、寝る時は好きなのを選んどくれ」
家の中の様相は、思っていたよりも普通だった。
ただ、リンナの瞳が光を必要としていないせいか、ランプも蝋燭も見当たらない。辛うじて視認出来る奥の部屋の扉まで、薄っすらとした闇が漂っている。
「リンナ、見えない」
「おっと、そりゃそうだ。これでいいかい」
バンッと壁を叩くと、天井に円形の幾何学的な模様が等間隔で浮かび上がった。
そこからやわらかな光の玉が顔を出し、廊下の、おそらく家中の部屋の闇を追い出す。
「こうやって壁を叩けば、点けたり消したり出来るから。便利なものだろ、寝る時には自分で消しとくれよ」
奥へ奥へと進むリンナ。
最奥の部屋の扉を開くと、そこは食堂なのか、大きな長机といくつもの椅子が設置されていた。
すぐ脇にはキッチン。リンナは食器棚から皿を二枚出し、「あたしの夕食の残りだけど」とそこにスープをよそって僕たちの前に出す。
「悪いね、明日はもっとマシなものを出すから」
と言って、リンナは僕たちの向かいの席に座った。
二十人は入れそうな部屋に、たった三人だけ。
机の表面や壁の傷を見るに、元々ここでは多くの人が顔を合わせて、楽しい食事を毎日行っていたのだろう。黄色い時間の残滓も相まって、僕は淡い寂寥を覚えながらスープをすする。
仄かに温かいスープは、遠く彼方の、母の味がした。
◆
よほど疲れていたのだろう。食事を終えたシャウルは、糸の切れた操り人形のように、ぱたりと意識を失った。遊び疲れて眠る子供そのものである。
仕方ないので適当な部屋まで運び、ベッドに転がして、布団をかけた。
ひと息ついて食堂に戻ると、リンナはお茶の準備をしていた。
「大変だろう、あの子の世話は」
「ええ、本当に。子供を持った気分ですよ」
出された紅茶に口をつけて、熱い息と共にそう吐き出す。
リンナは苦笑して、茶菓子のクッキーを手に取ると、
「君、
そう言って、クッキーを一口齧った。
何の脈絡もなく突き出された言葉に、僕は上手く反応することが出来なかった。
頭の中で、点と点が繋がらない。
行き場を失った線が、グチャグチャと妙な軌道を描く。
「混乱させてしまったかな。いや、会った時から気になっていてね。確認しておきたかったんだ。別に他意はない、もしそうだったとしても誰にも言わないよ」
緊迫した空気は感じない。敵意も害意もない。
その発言通り、単純な好奇心なのだろう。
僕は少し迷って、戸惑って、リンナの顔色をうかがって。
熱さも構わずに紅茶を飲み干し、「えぇ、まあ」と肯定する。
「やっぱりそうかい。うんうん、そうだと思った」
本当にただ、確認したいだけだったらしい。
それ以上何も聞くことなく、彼女は一枚目のクッキーを食べ切った。そして紅茶を一口、二枚目のクッキーに手を伸ばし、モサモサと咀嚼する。
「……え、それだけですか?」
「それだけだよ。君だって、根掘り葉掘り聞かれたくはないだろう。もしかしたら、あたしのことが殺したいほど憎いかもしれない。あたしたちが
南の大国・グランツリオと、北の大国・ノストポールの戦争。
ノストポールの少数民族・白銀の隣人は、魔術への適正がエルフに匹敵するほど高く、戦場で絶大な力を振るっていた。
「だからこそ、本当に驚いた」
邪魔な魔術師たちを蹴散らすため、この国が取った策はこうだ。
里を襲い、若い芽も古株も、焼き尽くす。女も子供も老人も、一人残らず焼き滅ぼす。呆れるほどに、一周回って感服するほどに単純である。
「実際に作戦を実行したあの子と、君が一緒にいるんだから」
厳重に守られた極寒の冬山へ侵入し、魔術師たちの決死の抵抗に晒されながら、その場全員を殺し尽すなど、並の戦士には出来ない。
グランツリオでそれが可能なのは、たった一人だけ。
言うまでもない。
シャウル・ディルベルト――のコピー。
「言っておきますけど、僕は別に、あなたのことも、あの人のことも、憎んでなんかいませんよ。もう昔のことですし……それに、
「ほぉー、だったら色々聞いちゃおうかな」
恐ろしく早い手のひら返しだった。
僕は彼女を半眼で睨む。
「冗談だよ。そういう顔が出来るってことは、ある程度は気にしているようだね」
遊ばれた。いや、試されたのか。
別に悪い気はしないが、少しだけ、ほんの少しだけ、イラッとした。
「そっちこそ、聞きたいことはないのかな」
「聞きたいこと? リンナさんに?」
「うん、例えば――」
ティーカップをソーサーに置いて、リンナは表情を引き締めた。
「シャウルのこと、とか」
その言葉は、二人っきりの広大な食堂に、やけに大きく響いた。
「君が一番知りたいのは、あの子が死にたがっている理由だよね」
ズバリ、核心を突いた。
この人には、僕の何が見えているのだろう。
「それは罪悪感だよ。あの子は白銀の隣人殲滅作戦を経て、すっかり変わってしまった。殺し殺されて、誰もがケダモノになって行く中で、あの子は人間になったんだ。身体だけじゃない、心にも血が通って、同情することを覚えたんだ」
「同……情……?」
「そう。死んだ人を可哀想だと思う、あたしたちには至って普通の感覚だよ。君たちを殺して、あの子はそれを覚えた。覚えて、耐えられなくなった。帰って来たあの子の顔は、今でも忘れられない。ただでさえ感情を持たないホムンクルスが泣くなんて、構造上あり得ないことだからね」
泣く。ホムンクルスが、涙を流す。
特殊な個体だと理解していたが、まさか、そこまでの感情表現が可能とは知らなかった。
特別な事情など、何もない。
帰還兵や退役軍人が、殺戮の正当化と罪悪感の中で揺れ動き、最終的に自死を選択するのはよくある話。
彼女の場合、その選択を実行するのが困難なだけ。
たった、それだけだ。
「あと、人形を持ち帰ったのも印象的だったね。一人も残さず殺せって命令されてたから、あれはたぶん、あの子なりの抵抗だったんだろう。人形は一人にカウントしないから」
「……それ、女の子の人形でしたか?」
「そうだね。スカートを穿いていたような気がする。君が知っているってことは、今でも持っているのか」
今朝のことを思い出す。
ススまみれの傷まみれ。あの炎の中から持ち帰ったのだとすれば、ボロボロなのも頷ける。
「白銀の隣人の一件がきっかけで、あの子は戦場に出ることを拒否し始めた。ちょうどシャウルの有用性が証明されたのに、当の本人が戦いから退いたものだから、現場もお偉い方も大パニックだったよ」
里が襲撃されてから半年後、南北戦争は和平で決着した。
ノストポールは白銀の隣人を、グランツリオは
互いに
双方共に士気が地に落ちていては、続けたくとも続けられなかったのだろう。
「にしても、あの時殺し損ねた相手にエリクサーの精製を頼むなんて因果なものだね」
静かで寂し気な声に滲む、どことない全能感。
「……あ、あの、どうしてそんなに色々と知っているんですか? 僕とシャウルさんのことが噂になっていて、それで彼女が弟子を取ったのだと勘違いするのは理解出来ます。だけど、僕の出自や、気になっていることや、エリクサーのことまで……魔術で心の中を覗いているのなら、あまりいい気はしませんよ」
「こりゃ悪いことをした。いやね、別に心を覗いたわけじゃない。知ってるわけでもない。ただ、あたしには分かるんだ」
何の実体もない言葉に、僕はただ混乱した。
すると、リンナはおもむろに目隠しを外した。
目が見えていようと見えていなかろうと、本来眼球があるはずのそこには。
ぽっかりと、二つの暗闇が収まっていた。
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