第8話 新ダンジョン
スマートフォンの画面が眩しく光る。
俺は土曜の朝、ベッドの中で探索者専門サイト「エクスプローラーズ・デイリー」を開いていた。
指先で画面をスクロールすると、ページ最上部に赤い「速報」の文字が躍っている。
タップすると、記事の詳細が展開された。
『【速報】中野区に新ダンジョン出現――推定ランクA級、東京では三年ぶり』
記事は詳細に綴られていた。
10月12日早朝4時47分、中野区の中央公園地下駐車場において、突如として直径約15メートルの円形の穴が出現。
周囲の地面に亀裂が走り、建物の一部が崩落する事態となった。
幸い人的被害は報告されていないが、駐車場は全面封鎖され、緊急調査チームが派遣された。
探索者管理局の初期調査によると、ダンジョン内部から検出される魔力量は既存のA級ダンジョンに匹敵するレベルであり、推定ランクはA級と判断された。
ただし未調査のため、実際のランクはさらに高い可能性も否定できないという。
東京都内で新たにダンジョンが出現したのは、三年前の品川区以来。
都心部での大規模ダンジョン出現は異例の事態であり、管理局は周辺住民の避難を含めた対策を急いでいる。
それに伴い、管理局は緊急探索者募集を開始した。
参加条件は最低Dランク以上の探索者。
ただしEランク探索者の場合、D級以上の探索者とパーティーを組むことで参加が認められる。
報酬体系も破格だった。
参加報酬:一人につき5万円
成果報酬:最大500万円(最奥部到達、またはボス討伐時)
魔石報酬:採取した魔石はすべて探索者に帰属
開催日時は10月20日午前9時。
つまり、今から一週間後。
参加報酬だけで5万円。
成果報酬を合わせれば500万円。
魔石の価値を考えれば、さらに数十万円は上乗せされるだろう。
俺がF級ダンジョンでスライムを倒して稼いでいた金額の、何百倍だろうか。
しかし、A級ダンジョン。
画面に映る文字列が、まるで警告のように見える。
A級ダンジョンに潜るのは、A級以上の探索者でなければ命の保証はない。
俺の実力がどれほどのものか、まだ完全には把握できていないが、美月と配信した時の感覚を思い出す。
あの時、D級ダンジョンのモンスターは赤ちゃん同然だった。
もしかしたら、A級ダンジョンでも同じかもしれない。
いや、違う。
俺は頭を振った。
危険な考えだ。
過信は死を招く。
探索者の世界では、油断した者から死んでいくのだ。
時計を見ると午前10時。
こんな時間まで寝ていたのはいつぶりだろう。
いつもなら既にダンジョンで二、三十体のスライムを倒している時間だ。
階段を降りると、リビングから母親の声が聞こえる。
「おはよう、輝明。今日はゆっくりね」
「うん、久しぶりね」
母親が作ってくれた朝食が、テーブルに並んでいる。
「輝明、今日はダンジョンには行かないの?」
母親が不思議そうに尋ねる。
「今日は休むよ」
「そう……それがいいわ。たまにはゆっくり休まないとね」
母親は安心したような笑みを浮かべる。
ニュース番組が中野区のダンジョン出現を報じており、現場の映像が流れている。
封鎖された公園、集まった野次馬、警備にあたる警察官たち。
「輝明、この新しいダンジョン、危険そうね」
母親は心配そうな表情で俺を見る。
額には小さな皺が寄っている。
「大丈夫だよ、俺のランクじゃ立ち寄れないから」
「そう……でも、気をつけてね」
母親は小さくため息をついて、再びテレビに視線を戻した。
画面では専門家がA級ダンジョンの危険性について解説している。
過去のA級ダンジョン攻略では、平均して参加者の20パーセントが重軽傷を負い、5パーセントが命を落としているという統計が示されていた。
俺は食事をとったあと、自室に戻り、再びベッドに横になった。
マットレスが体を受け止める。
じんわりと沈み込んでいく感触に、思わず小さく息を吐く。
探索者になって以来、土日を返上してダンジョンに潜り続けてきた。
週末にベッドで昼間から横になるなど、一体いつ以来だろう。
いつもなら、この時間には既にダンジョンの入口に立っている。
装備を確認し、魔石袋の紐を締め直し、次のスライムを探している。
体常に緊張し、神経は研ぎ澄まされ、一瞬たりとも気を抜けなかった。
D級ダンジョンの魔石を換金した3万円が財布に入っている。
この金額があれば、週末くらい休んでも生活に支障はない。
むしろ、体を休めるべきだ。
合理的な判断として、休息は必要なのだ。
結局、俺は本を読んだり、ゲームをしたり、普通の高校生らしい週末を過ごした。
いつしか窓の外では、夕日が街を染め始めていた。
オレンジ色の光が部屋に差し込み、壁に長い影を作る。
一日が終わろうとしている。
何もしなかった一日。
久しぶりの休息。
ダンジョンのことを忘れようと努めたが、しかし頭の片隅には常に新ダンジョンのニュースがちらついていた。
*
月曜日の朝、俺は普通に学校へ向かった。
秋晴れの空は高く澄み渡り、通学路の街路樹は色づき始めている。
葉が風に揺れる音が心地よく、足取りも軽い。
制服のブレザーの下に着たシャツが、朝の冷たい空気で少しひんやりとしている。
教室に入ると、既に数人の生徒が席についていた。
窓際の席では女子生徒が談笑し、後方の席では男子生徒がスマートフォンをいじっている。
日常の光景が、なぜか新鮮に感じられた。
「よお、昼行燈」
背後から聞こえた声に、俺の体が強張る。
振り返ると、案の定そこには吉田がいた。
茶髪を無造作に掻き上げ、制服のシャツは相変わらずボタンを開けている。
両脇には取り巻きのAとBが控えており、三人とも妙に上機嫌な表情を浮かべてい
た。
「……おはよう、吉田君」
俺は警戒しながら答える。
喉の奥が乾燥し、唾を飲み込む音が妙に大きく聞こえた。
「聞いてくれよ、昼行燈。俺、探索者になったんだ」
吉田は得意げに胸を張る。
白い歯を見せて笑い、まるで何か偉業を成し遂げたかのような態度だった。
「……探索者に?」
俺は驚きを隠せなかった。
吉田が探索者になる。
想像もしていなかった展開だ。
彼は危険を嫌い、楽をすることばかり考えている人間だと思っていた。
まさかこの休日の間に、探索者になっていたなんて。
「そうそう。で、スキルがやばいんだよ」
取り巻きAが横から口を挟む。
「吉田のスキル、『武器錬成』っていうんだ。空気中の魔力を武器に変換できるんだぜ。剣でも槍でも弓でも、何でも作り出せる」
「しかもよ」
取り巻きBが続ける。
「初期ランクがBランクだったんだ。探索者になって三日も経ってないのに、もうBランク。才能の塊だよな」
Bランク。
俺の頭が一瞬空白になる。
探索者になったばかりでBランクは、相当すごいことだ。
通常、初期ランクはFかE。
才能がある者でもD止まりだ。
それがいきなりB。
「すげえだろ?」
吉田は俺の反応を楽しむように、顔を近づけてくる。
息が顔にかかり、整髪料の匂いが鼻を突く。
距離が近すぎて、不快感が背筋を這い上がってくる。
「……ああ、すごいね」
「でさあ、中野区に新ダンジョンできたじゃん。あれに参加しようと思ってんだ」
吉田の言葉に、俺の心臓が跳ね上がる。
まさか、と思いながらも、嫌な予感が胸の奥で膨らんでいく。
「Bランクなら、Eランクの奴らを連れて行けるんだよな。同行者って扱いで」
取り巻きAが嬉しそうに言う。
「俺たちもEランクになったばかりだから、本来なら参加できないんだけどさ、吉田のおかげで行けるんだ」
「でよ、昼行燈」
吉田は俺の肩に手を置く。
その手が重く、まるで鉛のように感じられた。
「お前も一緒に来いよ。荷物持ちが必要なんだ」
荷物持ち。
言葉の響きが、俺の耳に棘のように刺さる。
探索者としてではなく、召使いとして連れて行くということだ。
「えっと……」
断ろうとした俺の言葉を、吉田が遮る。
「もちろん参加してくれるよな、昼行燈。お前、俺たちの先輩探索者なんだし」
取り巻きBが畳み掛ける。
「拒否権ないでしょ。探索者の先輩として、後輩の面倒見るのは当然だよね。え、まさか怖いの? 先輩なのに?」
先輩。
その言葉が、俺を縛る鎖のように感じられる。
確かに俺は吉田たちより先に探索者になった。
だが、ずっとF級ダンジョンで雑魚狩りをしてきただけだ。
探索者としての、経験らしい経験なんて積んだことが無い。
「参加報酬5万円、成果報酬500万円だぜ? お前がちまちまスライム狩ってるより、よっぽど効率いいだろ」
吉田の言葉は正論だ。
確かに、一回の探索で得られる報酬は、俺が何ヶ月もかけて稼ぐ金額を遥かに超える。
金銭的な合理性だけを考えれば、参加しない理由はない。
しかし、A級ダンジョン。
命の危険がある。
「……分かった」
気づけば、俺はそう答えていた。
吉田たちの表情が、一気に明るくなる。
まるで獲物を捕らえた肉食獣のような、満足げな笑みを浮かべている。
「よし、決まり。10月20日、朝7時に中野駅集合な。来なかったら殺すから。覚悟しとけよ」
吉田は俺の肩をぽんぽんと叩いて、取り巻きたちと共に去っていった。
教室に残された俺は、自分の席に座ったまま、ぼんやりと窓の外を見詰める。
空は相変わらず青く澄んでいる。
雲一つない快晴。
しかし、俺の心は灰色の雲に覆われたように重かった。
なぜ断れなかったのか。
自問しても、明確な答えは出てこない。
恐怖か、義務感か、それとも……期待か。
様々な感情が入り混じり、頭の中を掻き回す。
ただ一つ確かなのは、一週間後、俺は吉田たちと共に、未踏のA級ダンジョンに潜るということだった。
チャイムが鳴り、教室が騒がしくなる。
生徒たちの話し声、椅子を引く音、教科書をめくる音。
日常の音が耳に入ってくるが、どこか遠くで聞こえているように感じられた。
俺の日常は、また一つ、不可逆的に変化しようとしていた。
授業中、俺は教科書の文字を目で追いながらも、頭の中では別のことを考えていた。
A級ダンジョンについて、吉田たちとの関係について、そして自分の力について。
荷物持ち。
召使い。
ATM。
吉田たちにとって俺は、利用価値のある道具でしかない。
しかし、俺にも選択肢はあるはずだ。
断ることもできた。逃げることもできた。
しかし、俺は承諾してしまった。
なぜか。
答えは、心の奥底に沈んでいて、掬い上げることができない。
ただ漠然と、何かが変わるかもしれないという期待があった。
この状況を打破する何かが、A級ダンジョンの奥に待っているような気がしていた。
こうして俺は一週間後、吉田たちと共に、未踏のA級ダンジョンに潜ることなった。
それが俺の人生を、どう変えるのか。
まだ誰も知らない。
俺自身も含めて。
二度覚醒したモブの逆転無双 ~万年Fランク探索者の俺は、二度の覚醒を経てSランクをも超越し、鬼バズる~ 猫飼いたい @ohohohoh
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
フォローしてこの作品の続きを読もう
ユーザー登録すれば作品や作者をフォローして、更新や新作情報を受け取れます。二度覚醒したモブの逆転無双 ~万年Fランク探索者の俺は、二度の覚醒を経てSランクをも超越し、鬼バズる~の最新話を見逃さないよう今すぐカクヨムにユーザー登録しましょう。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。