第6話 後輩女子とD級ダンジョン

「では早速、しゅっぱーつ!」


 美月の声は夕暮れの校門前に響き渡り、まるで遠足に出かける小学生のような無邪気さに満ち溢れていた。


「お、お〜!」


 俺の返事は美月の勢いに比べて、明らかに腰が引けている。


 美月は俺の微妙な反応を気にする様子もなく、軽快な足取りで歩き始めた。

 俺も慌ててその後を追いかけながら、カバンの中で探索者用のダガーがカチャカチャと金属音を立てているのを聞いていた。


 放課後の陽光は斜めから射し込み、街並みに長い影を落としている。

 通りを行き交う人々の足音、遠くで鳴り響く車のクラクション、コンビニの自動ドアが開閉する電子音……日常の音が入り混じる中を、俺たちは歩き続けた。


 道中、俺たちは様々な話をしていた。

 美月は俺が想像していた以上に明るく、人懐っこい性格の持ち主だった。

 初対面にも関わらず、まるで長年の友人のように気さくに話しかけてくる。


「先輩って、すごく真面目そうですよね!」


 並んで歩く中で、美月は俺の横顔を観察しながら言った。

 それ、褒めてるのか? 

 皮肉のようにも聞こえる言葉であるが、彼女が言うと本当に褒めているようにも聞こえる。


「真面目……かなあ」


 目を見つめ返すことが出来ない俺は曖昧に答える。


「でも、それって素敵だと思います。私、真面目な人って信頼できるし、一緒にいて安心しますから」


 美月の言葉には嘘がないように思えた。

 澄んだ瞳で俺を見詰め、心から思っていることを素直に口にしているような。


 こんなの簡単に好きになっちゃうよ。

 童貞なら一瞬でやられていただろう。

 まあ、俺も童貞だけど。


「し、白石さんのスキルって、どんなものなの?」


 俺は話題を変えるように尋ねた。

 探索者にとってスキルは最も重要な要素であり、お互いの能力を知ることは安全な探索に不可欠だと思ったからだ。


「苗字じゃなくて、美月って呼んでくださいよぉ~」


 美月の声は甘えるような響きを帯びていた。

 少し首を傾げながら、下から見上げるようにして俺を見詰める。

 大きな瞳が潤んだように見え、まるで子犬が飼い主におねだりをするような表情だった。


「いや、それは……」


 俺は困惑しながら言葉を濁した。

 心臓の鼓動が少し早くなっているのを感じる。

 美月との距離が近く、彼女の香りがほんのりと伝わってくる。


「呼んでくれなきゃ、教えません」


 美月は頬を膨らませながら言った。

 まるで拗ねた子供のような仕草で、両腕を胸の前で組んでいる。

 しかし、目には悪戯っぽい光が宿っており、本気で怒っているわけではないことが分かった。

 むしろ、俺の反応を楽しんでいるような節がある。


 俺は観念したような気持ちで深いため息をついた。

 美月に押し切られる形で、仕方なく口を開く。


「み、美月さん……」


 声は小さく、語尾が震えていた。

 自分でも情けないと思うほど、どもりながらの発声だった。


「美月"ちゃん"です」


 美月は人差し指を立てながら訂正した。

 表情は悪戯っぽく、小さく微笑んでいる。

 まだ完全には満足していないようで、俺からの正しい呼び方を待っている様子だった。


「……美月ちゃんのスキルにつきまして、恐れ入りますがご教示のほどを賜りたく存じます」


 緊張のあまり普段使わない古風な言葉遣いが出てしまう。

 まるで重臣が君主に謁見するような話し方になった。


「うむ、よろしい」


 美月は得意げに胸を張りながら答えた。

 まるで殿様が家臣の申し出を聞き入れるような、威厳のあるポーズを取っている。

 しかし、小柄な体格と愛らしい顔立ちのせいで、威厳というよりは可愛らしさが際立っていた。


「私のスキルは『治癒のスキル』です」


 美月は右手を胸の前に当てながら答える。


「傷を癒したり、疲労を回復させたりできるんです。……でも」 


 美月の表情が少し曇る。

 眉間に小さな皺が寄り、困ったような表情になった。  


「攻撃系のスキルが全くないんです。だから、D級以上のダンジョンに挑むのは本当に不安で……一人じゃとても無理だと思います」


 自分の能力に対する不安が声に滲んでいた。

 治癒スキルは確かに貴重で有用な能力だが、直接的な戦闘力は皆無に等しい。

 モンスターと対峙した際、攻撃手段を持たない探索者は極めて危険な状況に陥る。


「でも治癒スキルってすごく貴重だよ。パーティーには絶対に必要な能力だし」


 俺は彼女を励ますように言った。

 実際、治癒スキルの価値は計り知れない。

 どんなに強力な攻撃スキルを持つ探索者でも、回復手段がなければ長時間の探索は不可能だ。  


「ありがとうございます!……ところで、先輩のスキルはどんなものなんですか?」


 美月は期待に満ちた表情で俺を見詰める。

 きらきらと輝く瞳で、まるで何か素晴らしいものを見せてもらえると信じているかのようだった。


「俺のスキルは『二重掛け』っていうんだ」


 俺は少し躊躇いながら答える。

 自分のスキルについて他人に説明するのは気恥ずかしい。

 特に、その効果が微々たるものだと分かっているからだ。


「何でも二つに増やすことができる能力なんだ。攻撃を二回に分けたり、物を二個に増やしたり……まあ、大したことないスキルだよ」


 俺は自嘲気味に笑いながら説明する。

 しかし、美月の反応は俺の予想を大きく裏切るものだった。


「えええっ! すごいじゃないですか!」


 美月は目を丸くして驚き、まるで飛び跳ねるように興奮している。


「物を二個に増やせるなんて、すごく便利だし、攻撃を二回に分けられるっていうことは、実質的に攻撃力が倍になるってことですよね? それって、めちゃくちゃ強いスキルじゃないですか!」


「いや、大したことないって。基礎ステータスが低いから、二倍にしてもたかが知れてるんだ」


「そんなことないですよ! きっと先輩は自分の力を過小評価してるんです。私、リアクションが嘘っぽいってよく言われるんですが、先輩のスキルって本当にすごいと思ってますから!」


 美月は首を横に振りながら、熱心に俺を励ます。

 その言葉がお世辞だとしても、心が温かくなるのを感じた。

 

「う、うん。ありがとう……」


 D級ダンジョンは市街地から電車で約三十分、住宅街の奥にひっそりと佇む小さな公園の一角にあった。

 公園と言っても、滑り台とブランコが一つずつあるだけの、子供たちがボール遊びをするには少し手狭な場所だった。 


 夕方の時間帯ということもあり、人影はまばらで、犬の散歩をする老人が一人、ベンチに座って新聞を読む中年女性が一人いるだけだった。

 公園の奥、大きな桜の木の根元に、直径三メートルほどの円形の穴が口を開けている。


 周囲は鉄柵で囲まれ、『D級ダンジョン 立入注意』という黄色い看板が設置されていた。

 看板の文字は長年の風雨にさらされて一部が剥げており、金属の表面には薄っすらと錆が浮いている。


 穴の縁は滑らかに削られた石でできており、内部に向かって緩やかな階段が螺旋状に続いているのが見える。

 階段の手すりには苔が生え、湿った空気が地上まで漂ってきている。


「ここがD級ダンジョンかあ……」


 深く暗い穴の底から、冷たい風が吹き上げてくる。

 肌にひんやりとした空気が触れ、襟元から忍び込んできた冷気が首筋を撫でていく。

 F級ダンジョンよりも明らかに大きく、威圧感がある。


「思ったより大きいですね!」


 美月も俺の隣に並び、興味深そうな表情を浮かべていた。

 俺とは違い、恐怖よりも好奇心が勝っているようだった。


 ダンジョンの入り口で探索者カードを機械に通す。


「それじゃあ、入りましょうか!」


 美月は機械から探索者カードを抜き取りながら、俺に向かって微笑む。


「ああ、行こう」


 俺は頷きながら、ダンジョンの入り口に足を向ける。

 しかし、心の奥では昨日の出来事が鮮明に蘇っていた。


 F級ダンジョンでダガーを振るった際の、あの破壊的な力。

 一匹のスライムを倒しただけで、ダンジョン全体を崩壊させてしまった恐ろしい体験。

 空気が裂け、壁が粉砕され、構造物が崩れ落ちる様子が脳裏に焼き付いている。


 今度は美月が一緒だ。

 もし同じような暴発が起これば、彼女を危険に晒すことになる。

 それだけは絶対に避けなければならない。


 ダンジョン内部は予想していたよりも明るく、壁面に埋め込まれた魔石が淡い青白い光を放っている。

 F級ダンジョンとは構造が異なり、通路も広く、天井も高い。

 足音が反響し、遠くまで響いていく。

 空気は冷たく湿っており、古い石の匂いと微かに金属の錆びた匂いが混じっていた。


「うわあ、D級ダンジョンって、こんなに立派なんですね」


 美月は周囲を見回しながら感嘆の声を上げる。

 Dランクダンジョンの浅い層に出現するのは、主にEランク相当のモンスターたちだった。

 ゴブリンの幼体、小型のコボルト、ファイアスライムなど、F級ダンジョンのスライムよりは強力だが、それほど脅威ではない相手たちだ。


 以前の俺にとっては死活問題となるレベルの敵だったが、覚醒後の今では、如何に手加減して倒すかという方が重要な課題だった。


 最初のモンスターとの遭遇は、入場から十分ほど歩いた地点で起こった。

 角の向こうから現れたのは、緑色の肌をしたゴブリンの子供だった。

 身長は一メートル程度で、粗末な布切れを腰に巻いただけの姿をしている。

 手には木の棒を握りしめ、警戒心に満ちた表情で俺たちを見詰めていた。


「先輩、ゴブリンです!」


 美月は俺の後ろに隠れながら、緊張した声で報告する。


「大丈夫、子供のゴブリンだから」


 俺は美月を安心させるように言いながら、ゆっくりと前に進む。

 しかし、心の中では力の制御について必死に考えていた。

 可能な限り軽微な攻撃で済ませる必要がある。


 俺は右手の人差し指を立て、ゴブリンの額に向けてデコピンの構えを取った。

 距離は約二メートル。

 普通に考えれば、デコピンなど当たるはずがない距離だ。

 しかし、覚醒後の俺の身体能力は常識を遥かに超えている。


「えっ、先輩、素手で戦うんですか?」


 美月は困惑した声で尋ねる。


「ちょっと実験してみたくて」


 俺は曖昧に答えながら、力を極限まで抑えてデコピンを放った。

 それでも指先から発せられた衝撃波は音速に近い速度でゴブリンに到達し、額の中央を正確に捉える。


 ゴブリンは一瞬何が起こったか分からないような表情を見せた後、そのまま後方に吹き飛ばされて気絶し、やがて魔石と化した。


 美月は目を丸くして驚いている。

 口をぽかんと開け、信じられないものを見るような表情だった。


「すごい……何いまの……」


「ま、まあ、運が良かっただけだよ」


 俺は謙遜しながら答える。

 10分の1程度に抑えたつもりだったが、それでも一撃でゴブリンを無力化してしまった。


「運なんかじゃないですよ! 先輩、本当にすごいです! やばすぎっ!」


 美月は興奮して俺の腕を軽く叩く。

 小さな手が俺の腕に触れる度に、女子の感触が伝わってくる。

 彼女の体温、微かに香るシャンプーの匂い、息遣いの音……全てが鮮明に感じられ、ドギマギしてしまった。


 その後の探索も、同様のパターンが続いた。

 コボルトには軽く肩を押しただけで倒し、ファイアスライムには息を吹きかけるだけで消滅させた。


 4層目では、より強力なモンスターが現れ始めた。

 オークの幼体や、電撃を操る小型のサンダーウルフなど、Eランクの中でも中位から上位に位置する魔物たちだ。

 しかし、俺にとっては依然として手加減が最大の課題であった。


 サンダーウルフに対しては、小石を蹴り飛ばしただけで絶命させ、オークの幼体には、肘で小突いただけで壁を貫通して吹き飛んでいった。


「先輩の戦い方、なんか、すごく不思議ですね。余裕がすごいっていうか……」


 美月は感嘆の声を上げながら、俺の戦闘スタイルを観察していた。

 確かに、物理的な攻撃を最小限に抑えているため、動作は流れるように滑らかだった。


「そうかな……」


 俺は苦笑いを浮かべながら答える。

 そう見えるのは、力を必死に抑制している結果に過ぎない。

 本当の力を解放すれば、破壊的な暴力の嵐となってしまうだろう。


 4層目の奥で休憩を取っている時、美月が突然提案をしてきた。


「ところで先輩、唐突な提案なのですが……」


 俺は小首をかしげ、美月の方を見る。


「配信をやってみませんか?」


 美月は俺を見詰めながら、期待に満ちた表情で提案する。

 頬には興奮による薄い紅潮が見え、瞳は星のように輝いていた。


「……え、配信?」


 探索者の中には、ダンジョン探索の様子を動画配信サイトで公開している者も多い。

 同じ学年で、Aランク探索者の姫月氷華も配信者の一人だった。


「先輩の戦い方、すごく面白いし、きっと視聴者の方も喜んでくれると思うんです。それに……」


 美月は少し恥ずかしそうに頬を染めながら続ける。


「まあ……いいけど」


 美月の純粋な瞳を見詰めていると、断ることができなかった。

 こうして俺は、ダンジョン配信者としてのデビューを飾るのだった。

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