午前2時のクリーニング屋

@Linzofod

第1話 深夜バイト

 「時給2000円、深夜2時から5時まで、週2日。仕事内容は簡単な受付と軽作業。現金手渡し」


 バイト情報アプリでその募集を見たとき、私は二度見した。

 東京の23区内、それも駅近でこの時給は異常だった。もちろん怪しいとは思った。でも、貯金は底を突き、親にも頼れず、後期の学費はまだ払えていなかった。


 「変な仕事じゃなきゃいいけど……」


 そう思いながら、私は面接場所のクリーニング店へ向かった。

 西日暮里駅から徒歩7分、昭和の面影が残る小さな商店街の一角に、その店はあった。


 看板には『ナカムラ・クリーニング』とだけ書かれている。

 外観はくすんだ緑のテントにガラスの引き戸。シャッターには「営業時間 午前2時〜午前5時」とだけ書かれていた。


 ――なぜそんな時間に?


 私は店の前で躊躇した。でも、そのとき扉が音もなくスライドした。


 「……あなたが、彩乃さん?」


 出てきたのは50代後半くらいの男性だった。髪は七三で、無表情。白衣のようなクリーニング用の作業服を着ている。

 この人が店主、中村という男だった。


 面接は簡単だった。名前と年齢、大学名を確認され、健康状態と夜勤への耐性を聞かれただけ。


 「女性客が多いから、女性スタッフを探してたんだ。体力的に大丈夫なら、今夜から来てくれて構わない」


 即決だった。

 不安よりも、生活の焦りが勝っていた私は、その夜から働くことにした。


 店内は想像以上に静かだった。

 夜の街灯の明かりが差し込むだけで、照明は最低限。湿った布と洗剤の匂いが漂う。

 奥には業務用の洗濯機が三台と乾燥機が一台。左奥には作業台があり、白いシートがかけられていた。


 中村さんは機械の扱いを簡単に教え、受付で使う紙の伝票と金庫の場所を説明した。


 「客は1時間に1人か2人。黙って荷物を受け取って、伝票を書いて、料金をもらえばいい。余計な会話はいらない」


 そして、最後にこう付け加えた。


 「……預かった袋は、絶対に開けないこと。たとえ中が透けて見えても、覗くな。いいね?」


*****


 最初の勤務日は、深夜2時を10分ほど過ぎてから始まった。

 表の通りにはほとんど人影もなく、眠っている街の中でポツンと営業しているこの店だけが異様に思えた。


 2時半、最初の客が来た。


 黒いコートを着た細身の女。無言で白いビニール袋を差し出した。

 私は伝票を書きながら、袋の中身をちらりと見てしまった。


 ──薄い赤茶けた色。シミだらけの布。布の間から、何か細いひも状のものが垂れていた。


 私は背筋を凍らせながら顔を上げたが、女は視線を合わせず、すぐに店を出ていった。


 「何……だったの、あれ……」


 私は動悸が収まるのを待ちながら、注意されたことを思い出した。

 “中は見ないこと”

 でも、それはもう手遅れだった。


 それから、3時を過ぎてから立て続けに客が来た。

 どれも無言で袋を差し出し、会計を済ませるとすぐに立ち去る。

 若い男、老婆、スーツ姿の中年――共通していたのは、「目が死んでいる」ということだった。


 そして、全員の持ち込む袋の中身が――どれも“異様”だった。


 血のようなシミ。焦げたような布。ときには硬質な何かが袋の中でぶつかり合う音。


 5時になり、閉店したときには私は膝が震えていた。


 「お疲れさん。どうだった?」


 中村さんは淡々と聞いてきた。


 「……あの、みなさん、持ち込んでるものが、少し……」


 「見たのか?」


 私は黙った。


 「見ない方がいい。ここに来るのは“訳アリ”の人ばかりだ。俺たちは洗う。それだけの仕事だ」


 私は頷くしかなかった。


*****


 帰宅してから、眠れなかった。


 シーツを洗うときの、生乾きの匂いが鼻から離れなかった。

 でも、私は翌週もそのバイトに出た。生活のためだった。


 そして三回目の勤務で、私は“本物の異物”に触れてしまうことになる。

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