ピースサイン

kirigasa

【学園編】第一章:魔なき者の技

 “王を殺す力”――

それは、誰にも触れられるはずのない、封じられた遺物だった。

けれど、あの日を境に、その力は静かに目を覚まし始めた。


 ルゥト=グラウズは、それに“触れてしまった少年”だと、後に記録されることになる。

 だが今はまだ、誰の目にも映らない、ただの生徒のひとりにすぎなかった。


 放課後の教室に、夕陽が斜めに差し込んでいた。

 木製の机が並ぶその空間は、半ば廃材めいた匂いを残しながら、静かに沈んでいる。

 ルゥト=グラウズは最後列の席に座り、黒革の指輪をはめた親指をそっと確かめていた。


 ふたりの生徒が、机を挟んで彼を見下ろしている。

 ローベル=ブラウンとガルスン=ブランチェト。どちらも優等生、そして術者でもある。

 ここ、リグナ学園では“魔術を使えること”が生徒の評価基準になっていた。


「そろそろ観念しろ、ルゥト」


 ローベルの声には熱が混じっていた。苛立ちとも、焦りともつかない。

 教室には他に誰もいない。静けさの中で、その声だけがやけに響いた。


「魔術が使えるってんなら、それらしいものを見せてみろよ」


 ルゥトは言葉を返さず、机の引き出しから一組の小さな白い札と鉛筆を取り出す。

札は薄く、ほのかに古い紙の香りが残っていた。


「好きな印を描いてくれ」


 その言葉に、ローベルは訝しげに眉をひそめるが、やがて×印を一枚に描く。

グラファイトの線が、軽い音を立てて紙に刻まれた。


 ルゥトは頷き、札を軽く揃える。

「じゃあ、ちょっと手を貸してくれ」


 ローベルが渋々差し出した左手に、ルゥトはそっと自分の掌を重ねる。

 一組の札をゆるやかにシャッフルするような仕草で動かしながら、指先の感覚だけを鋭く研ぎ澄ます。


 その音が、静かな教室に波紋のように広がった。

 「ありがとう」

 ルゥトは静かにローベルの手を離し、札を整える。

 「君の印……探してみようか」


 ルゥトは札を整えた。

 ローベルがそれを手に取り、一枚ずつめくる。


 白い札。

 また白い札。

 最後の一枚まで、×印はどこにもなかった。


「……消えた、のか?」


 ローベルが呟いた時、左手の甲にざらりとした違和感を覚えた。

 目を落とすと、そこに微かな×印が浮かんでいた。

 煤のような線が、肌の表面に転写されたかのように。


「魔術なら、もっと派手な演出もできたかもね」

ルゥトはでも、と付け加える。

「派手さは、魔術の証明にはならないよ。…むしろ隠されてるほうが、厄介なんだ」


 ルゥトは静かに呟き、白札を懐に戻す。

 だがその時、ローベルが顔をしかめた。


「……熱い……?」


 じんわりと、印の痕が火傷のように熱を持ち始めていた。

 触れただけのはずの手に、“何か”が残った。


「何を仕込んだ、ルゥト」


 ガルスンが問い詰めるように身を乗り出す。

 だがルゥトは答えない。ただ、わずかに視線を落とし、窓の外に目をやった。


「さあ」

 ルゥトはそう答えただけで、再び黙った。

 そのとき、教室の扉が開いた。


「まだいたの。もう暗くなるわよ」


 金髪の少女――リリア=ハーシェルが、冷ややかな声で教室を見渡す。

 その視線は淡々としていて、しかし鋭い。場の空気を一瞬で変える力があった。


 ローベルとガルスンは何も言わず、教室を出ていった。

 ルゥトは最後の札を整えると、ゆっくりと立ち上がった。


 窓の外では、森が夕闇に沈み始めていた。

 光は赤から青灰へと移ろい、教室に静けさと、どこか不穏な気配を落としていく。


 まるで、“次の幕”が、見えないところで上がろうとしているようだった。






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