第2話 薬師、引き留める

「はぁ……はぁ……」


 苦しい。心臓が破裂しそうだ。


「お気を確かに!」


「もうすぐ砦です!」


「もっと早く走れないのか!?」


「これ以上は揺れが酷くなりお体にさらに負担がかかってしまう!」


 いつもそうだ。僕のことで周りは声を張り上げる。


 脆弱な身体が忌々しい。


 こんな身体でなければ、王都も国も世界も綺麗にできるのに。


 いや、父上にこの地に追いやられたのだ。遅かれ早かれ僕の当初の計画は停滞していたか。


「ぐっ……」


 ドコォォン!、とけたたましい音と同時に馬車が大きく揺れる。


 今、この馬車は僕と敵対する勢力に襲撃を受けている。


 父上は療養と勢力争い鎮火のために僕を王都から離れたカミーナ辺境伯領へ送った。しかしその旅路は堅牢な檻から戦場へ放り出すに近いこと。これを機にと次々と刺客が送られる中での旅路は僕の体には堪え、ここ数日はほとんど動けず、意識もまばら。


 病で死ぬか、敵対勢力に殺されるか、どちらが早いか程度の違いしか今はないかもしれない。


 生まれたときから『魔力飽和症』という病を患い、ほとんどベッドから離れたことがなかった。だから僕は僕の手足となる者たちを動かすことでしか外の世界に干渉することができない。今後の計画は残してある。僕が死んでも僕の目的は果たされるだろう。


 だから手足である彼らを失うわけにはいかない。


「…………と……めて」


「なりません!」


「追いつかれてしまいます」


「……いい」


「よくねーよ!俺はお前が作る世界に、なりよりお前自身にいてほしいんだよ!」


 言葉を話すのも疲れるのに。


 こいつだけはいつも反発する。一番動ける手足だが一番扱い辛い。


 どう言えば伝わるだろうか。


 そう考えていた矢先に馬車が大きく傾き、外へと放り出された。


 落ちた先は地面がはるか下にある崖だった。


 あいつが何かを叫んで体ごと手を伸ばしてくる。


 相変わらず頭よりも体が先に動くやつだ。僕とは正反対。


 追ってどうする。助けてどうする。


 あいつの背後から斬りかかろうとする者が見えた。


 あいつは気づいていない。


 お前には僕の計画を成し遂げてくれなければ困る。


 僕はもう助けられないことを理解しろ。




 ここはどこだろう。


 痛みも寒さもない。これが死だろうか。


 暖かく柔らかい。あと……薬くさい……。


 すっと意識が浮上すると木目の低い天井が見えた。


 妙な虚脱感を感じたが苦しくない。大半の魔力が抜けていた。体の傷も手当てされていた。


 おそらくここで突っ伏して眠っている女が僕を助けたのだろう。


 ――死にぞこなったか。


「んん……」


 青みがかった灰色の髪の女が唸り声を上げる。目が腫れて、隈もある。睡眠不足に疲労が顕著だ。寝ずに看病してくれたのか。


「せん……せぃ……」


 恋しそうにその名を呼んだ。


……†……


 ――これは……鼻歌……?


 なんだか落ち着く。こんなに落ち着いたのいつぶりだろう。


 先生と暮らしていていた頃を思い出す。なんて幸せな夢だろう。


 ゆっくりと意識が浮上する。


 歌声がまだ聞こえ、夢の延長にいるのかと思った。


 だが、頭に触れる感覚が現実であると知覚させる。


 ラピスラズリのような紺碧色の瞳と視線がまじあう。


「……いい曲ですね」


 少年は口角を少し上げて微笑む。


 子供に歌を聴かせられながら、頭を撫でられ、寝ていた気恥ずかしさをうちに隠しながら上体を起こして乱れた前髪を整え、咳払いをする。


「も、もう起きても大丈夫なんですか?」


 少年は頷いた。


「私はエレン・リィンゼルと申します。ロージャ村で薬師をしています」


 少年は小さく首を傾げる。


「カミーナ辺境伯領の村です。山奥で倒れていたあなたを勝手ながら診療所を兼ねる私の家に連れ込み治療させていただきました」


 少年は握りこぶしを出し、私の手のひらの上に宝石を手渡す。


「え、これ……」


 少年は軽い会釈をすると家をでようとした。


「ちょ!?どこ行く気ですか!?この村は『砦』の内側にありますけど魔物もでるんですからね!」


 折れそうなほど細い手首を掴んで出て行くのを止める。


 カミーナ辺境伯領はジルヴェスタ王国の北部に位置し、魔物が蔓延る大樹海と隣接している。そのため、大樹海との境界である渓谷には砦が築かれ、万全の軍備をしき、魔物の流入を防いでいる。しかし、まれに軍の目をかいくぐり渓谷を越えてくる魔物もいる。


 常に魔物の脅威に脅かされる土地柄ゆえに領民らにも、もちろんただの村人であってもここの人たちはそれぞれそれなりの戦闘力を持っている。


 それでもこの子はまだ子供、加えて傷病者だ。とても村の外へ行けるとは思えない。


「帰る場所があるなら軍に連絡――」


「だめ!」


 鼻歌以降から終始無言無表情だった少年の突然の大声に驚いた。


「大丈夫ですよ。軍の人に保護して貰えればちゃんとお迎えが来てくれますよ」


 少年は掴んでいた手を振り切り走り出す。


「あ!待って!」


 軍の保護をあんなに嫌がるなんて。とにかく追いかけ――


 少年を追って部屋を出たが、少年は部屋を出てすぐのところで蹲り、全力疾走でもしたかのように肩で息をする。


 少年を抱えて部屋へと戻り背中をさする。


「大丈夫ですか?三日も寝てたのに急に走るからですよ」


 ほとんど走ってもいないのにこれとは……。昔の私より体力ないんじゃない?


 こんな奇縁もあるものね。


「行くところがないのならば私としばらく暮らしますか?」


 訝しむような目で私を見る。


「軍に保護されるのは都合が悪く、行くところもないのでしょう?この村には私しか薬師がいないので毎日大忙しなんです。元気になったら仕事を手伝ってくれませんか?」


 少年はまだ私を信用できないようで逡巡する。疑り深い慎重な子のようだ。


『ラキュースが起きた!』


 ゆっくりと話したいところなのに精霊たちが来てしまった。


 あれ……。話したいと思ってたけどこの子ほとんど話してなくない?


 異国から来て言葉がわからないのかな?でも言葉に反応しているから話すのが苦手なのかな?


 そんなことを考えていると少年が私をまじまじと見る。


「見える?」


 喋った。さっきは大きな声を張り上げていたけど普通に話せば静謐な声。彼の瞳のように静かで冷たい声。


「はい、見えます」


 半分精霊のこの子にも見えてるのだから隠しても仕方ないだろう。ただ、魔法使いというのは隠しておこう。


「この子たちにあなたを助けて欲しいと頼まれたので助けました。あなたのことも少し聞きました。カーラヴィスさんという父君がいることやあなたが半分人間でないことも」


『そうだっ!カーラヴィスに伝えてこないと――ふぎゃ!』


 飛びだそうとした精霊を少年は魔力の網で捕らえる。


『何するんだよお……』


「不都合」


『よくわかんないけどカーラヴィスはラキュースが死にそうだったのも、ここにいるのも知ってるよ』


 親御さんはこの子のこと知ってるのか。ならそのうち迎えが来るのかな?


「お話しに割り込んですみません。この子はしばらく私が預かりますが保護者はいつ頃迎えに来ますか?」


「やだ」


 スカートの裾をギュッと握る。なんて可愛い……じゃなくて帰りたがらないってことは家出なのかな?


「親御さんが心配しているのではないですか?」


「見てる」


「すみません。要領を得ないのでもう少しわかりやすく説明してくれませんか?」


「父上は知ってる……でも……また部屋から出られなくなる……」


 この子もどこかに閉じ込められていたのだろうか。それで逃げてきた。それなら帰りたがらないのも言葉が苦手なのも頷ける。人というのは言葉を話す相手がいて、初めて言葉を覚えて理解する。


 向こうもどうやら魔法使い。居場所も割れていているならこの子を追ってくるかもしれないわね。


 私一人ならさっさと旅にでも出ちゃうけどこの子には難しいわね。どうしたら――。


 バサッという大きな羽音がする。開けていた窓の窓辺に一羽の鷹が止まった。


『俺だ。愛しき我が子よ』


 鷹がこちらに語りかけてきた。

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