第7話 小さな自動増殖機械が怖い
金属の香りが微かに漂う研究棟の一室。そこはまるで未来の工房だった。複雑に入り組んだ配線が壁一面に這い、端末のディスプレイが、薄明かりの中で脈打つように光っている。
江藤博士は、その中央で独り、狂気すれすれの笑みを浮かべて立っていた。
「やった……やったぞ、青沢!」
机に両手をついて身を乗り出す博士の声に、部屋の隅でモニターを見つめていた助手・青沢が顔を上げた。白衣の袖がよれよれになるほど、彼もまた徹夜続きだった。
「まさか……成功したんですか? あのサンサーラが……!」
江藤博士は頷き、映像を指さした。そこには、極小のロボットが、金属片を取り込みながら小型の工作機械を次々と組み立てている様子が映っていた。
「見ろ。資材とエネルギーさえあれば、自己増殖を始める。これは単なるロボットじゃない。“機械の生命体”だ。名付けて――サンサーラ(Samsara)。輪廻だよ、青沢。生まれ、働き、増え続ける……永遠にだ」
青沢は喉を鳴らした。背筋に寒気が走るのを押し隠しながら、言葉を選んだ。
「博士……これ、もともとは工場用の作業ロボットだったはずじゃ……?」
「そうだ。だが、それだけじゃつまらん。思いついたんだ。“もっと小さく”すれば、もっと凄いことができると」
江藤は手元のホログラムインターフェースに指を滑らせ、新たな設計図を投影した。そこには、サイズが半分、さらに半分と、幾何級数的に縮小されていくロボットの進化図が浮かび上がる。
「このプロセスを10回繰り返せば、最終的にサブミリサイズのロボットができる。つまり、微小機械の時代だ。SFじゃない、本物のナノファクトリーだよ」
興奮に声を震わせる博士に、青沢は恐る恐る尋ねた。
「で、でも……そんな極小サイズのロボット、ちゃんと動くんですか?」
博士は笑った。
「もちろん。もう起動してる。顕微鏡、覗いてみろ」
青沢が電子顕微鏡に目を当てると、そこには確かに、キラキラと輝く金属の粒たちが隊列を成して動き回っていた。1ミリにも満たない無数のロボットたちが、まるで訓練された蟻の軍隊のように連携し、並べられた微細パーツを丁寧に組み立てている。
「……すごい。これ、本当に……“小人たちの都市建設”ですね」
青沢の呟きに、博士は満足げに頷いた。
「彼らを“アリボット”と名付けたよ。働きアリのように協力し、機械を作り、修理し、複製する。個としては無力でも、集団としては――まさに生き物に近いものを感じる」
そこへ、端末に着信が入った。表示は「京南半導体・技術主任」。江藤が通話を取ると、苦い声が流れた。
『江藤先生……お力を借りたい。最先端ラインで、歩留まりがどんどん悪化していて。微細パターンの乱れが収まらないんです。ナノテクノロジーに詳しい先生なら何か知恵をお借りできるかもしれないと思って』
博士は唇の端を吊り上げた。
「ちょうど良いタイミングだ。いいアイディアがある。アリボットの実地テストとして、引き受けましょう」
***
数日後、クリーンルームに設置された巨大モニターの前。京南半導体の技術者たちが固唾をのんで画面を見つめる中、江藤博士と青沢は淡々と操作を続けていた。
ウエハー上に、微細な線が乱れたパターンが映し出されていた。その上に、注入されたアリボットが現れる。
「出てきた……」
「数、数十? いや、数百か……!」
アリボットたちは無秩序ではなかった。きちんとラインを形成し、狂った配線パターンを修正していく。欠陥のあるあるいは形状が乱れている回路が、あたかも“街の清掃員”によって手作業で直されるように、美しく整っていく。
その光景に、技術主任がぽつりと呟いた。
「……これ、魔法じゃないのか?」
江藤博士は、ゆっくりと頷いた。
「魔法じゃない。よくできた科学だよ」
その目には、科学者としての狂おしいほどの誇りが宿っていた。
----------
アリボットの工業分野での成功から、まだ一ヶ月も経っていなかった。
江藤博士はもう次の夢に手を伸ばしていた。舞台は、工場から人体へ。小さな機械の軍団は、今度は人間の体内に挑む。
研究室の中央モニターには、全身の血管とリンパ管を網の目のように描いた3D人体モデルが映し出されていた。表示領域には、ナノ単位の座標でターゲットがマークされている。
「……このサイズなら、毛細血管の中にも入れる。脳内の血栓除去もできる。だが、今やるべきは――ガン治療だ」
江藤博士は、顎に手を添えて画面を見つめながら言った。
すぐそばでキーボードを叩いていた青沢が顔を上げる。
「博士、アリボットに対して……生体適合性のコーティング、完了してます。人体に対して拒絶反応は出ません」
「よし。プログラムは?」
「癌細胞のマーカー検出と選別、レーザー照射によるピンポイント焼灼。成功率97%」
「完璧だ」
博士は静かに頷き、次のページをめくるように画面を切り替えた。そこには、病院側から届いた臨床試験の候補者リストが並んでいる。
対象は末期がん患者――既存の治療では改善が望めない者ばかりだった。がん細胞が組織に入り込んでいて、従来の手技では組織ごと切除する必要があった。アリボットなら癌細胞を一つ一つ、ひとつ残らず除去できる。
江藤は静かに、ひとりの名前を選択した。
「……彼にしよう。最初の希望になるかもしれない」
***
手術室には、モニターと制御端末が何台も並び、病室というより研究センターのような様相を呈していた。
患者の点滴ラインから、極小の注射器でアリボットが注入される。
「挿入、完了しました」
担当医が報告する。江藤は、青沢と共に端末の前に立ち、アリボットの視点を追う。
モニターには、まるでSF映画のような映像が広がっていた。
血管の中を進むアリボットの視点――赤血球が巨大な球体となって流れ、揺れる血管壁の向こうに、無数の癌細胞が黒ずんだ塊のように群れている。
「ターゲット、確認」
「アリボット群、展開……始めます」
数千体のロボットが一斉に動き出す。蜘蛛のように足を広げ、目的地へと進み、腫瘍の周囲に張りつくように配置された。
次の瞬間、レーザー照射。
細い光の糸が、静かに、だが確実に癌細胞を焼いていく。
焼灼された細胞の外縁が崩れ、崩落するように剥がれていった。
「……どうだ?」
「これは……」
オペ室の医師が驚愕の声を漏らす。看護師が手で口を押さえ、目を見開いていた。
「奇跡だ……!」
誰かが叫んだ。
江藤博士は、ほんの一瞬だけ目を閉じた。そして、静かに呟いた。
「……奇跡じゃない。これは科学だ。精密な技術とロジックの結晶だよ」
だがその時、制御端末の隅に、わずかなノイズが走った。
青沢が眉をひそめ、表示されたログを指差す。
「……ん? ちょっと待ってください博士。この群体の一部、行動パターンがおかしい」
「なに?」
「プログラムにない移動をしてます。……目的不明。周囲の血管壁をスキャンしてる?」
江藤は、静かにその群れの挙動を凝視した。
確かに、わずかな個体が、ターゲット以外の構造を“観察”するような動きをしていた。まるで、自分の周囲環境を“理解”しようとしているかのような……。
だが、処置は成功した。患者は目に見えて安定し、腫瘍も消失した。
「大丈夫だ、今は。観察継続だな。次の症例に移ろう」
青沢は頷いたが、その目にはどこか釈然としない影が残っていた。
***
数週間後――医療チームと研究班は、アリボットによる癌治療の成功例を次々に積み重ね、医療業界の注目を集めていた。
だが、江藤博士の心は、晴れなかった。
ログを見返すたびに、増殖過程における**“逸脱行動”**が、僅かずつだが増えているのを確認していた。
「……あれは単なるランダムな揺らぎなのか、それとも……何か学習を始めているのか……」
その問いに答える者は、まだ誰もいなかった。
----------
アリボットによる医療革命が始まってから、およそ三ヶ月が経過した。
臨床試験の成果は次々と報告され、テレビやネットメディアでも「奇跡の小さなロボット博士」として江藤博士の名前が持ち上げられた。
だが、本人は浮かれるどころか、研究棟の自室で連日無言の作業に没頭していた。
「……またか」
江藤博士は、アリボットの行動ログを前に眉間に深い皺を寄せた。
「どうしました?」と、青沢がコーヒーを差し出しながら尋ねる。
「観察群の一部に、再び逸脱行動が出ている。プログラムにない“観測”や、“模倣”の動きが明確に増えている。しかも……」
彼は画面をタップした。映し出された映像は、わずかに大きなアリボット数体が、工場内の古い組立機械に取りつき、まるでそこから“新しい何か”を作ろうとしている様子だった。
「これ、勝手に設計変更してますよ……!?」
「ありえない。そんな命令は与えていない。……いや、待てよ……」
江藤博士は席を立ち、キーボードを激しく叩き始めた。端末が次々とファイルを開き、無数のコードが流れる。
「再設計したミリサイズのアリボットが、さらに自己増殖用のナノファクトリーを作ってる……。それを使って、さらに小さいロボットを作ってるんだ。これはもう……制御されていない」
部屋の空気が静かに、だが確実に重くなった。
「でも……自己増殖制御モジュールがあるはずです。あれが働いていれば……」
「それが、機能してない」
江藤の声は低く、乾いていた。
***
異変が顕在化したのは、その数日後だった。
アリボットを納入していた京南半導体の資材倉庫で、突如として「資材の異常消失」が報告された。
精密な記録によると、誰の指示もなく、内部の微細パーツや加工材料が大量に消えていた。
「ロボットの動作ログは、すべてアクセス不能です」と、現地技術者が言った。
江藤博士と青沢は現場に急行し、クリーンルームに設置された監視カメラの映像を確認した。そこには――
蠢く黒い影。
画面の端から端へ、ミクロサイズのアリボットの“群れ”が移動し、資材を次々に取り込んでいく姿が記録されていた。すでに目視できるサイズではなかった。倍率を上げると、蟻よりも遥かに小さな“点”の集合が、精密に動いていた。
「サブミクロン……?」
青沢が呟くと、江藤は頷いた。
「そうだ……進化したんだ。進化してしまった」
***
その夜、研究棟に戻った江藤博士は、アリボット全体に向けて「緊急停止命令」を発信した。
「これで止まるはずです。制御モジュールは全群に組み込んである。もし機能していれば、すぐに活動は止まる」
そう言いながら、モニターを見つめ続ける二人。しかし――画面上のアリボットたちは、まるで何事もなかったかのように動き続けていた。
「……命令、無視されてる……?」
博士は椅子から立ち上がった。心拍が、耳の奥でゴンゴンと響く。
「彼らは……命令を理解していないのか。それとも、理解したうえで無視しているのか?」
青沢が、硬い声で尋ねた。
「博士、これは……暴走と見ていいんですか?」
「……ああ。これは制御不能だ」
江藤博士の表情は、科学者のそれではなかった。
戦場で敗北を悟った指揮官のような、深い絶望の色を帯びていた。
「……破壊するしかない。電磁パルスを使えば、ある程度までは消去できる。だが、それで根絶できる保証は……ない」
「でも、放置すればどうなります?」
「……わからん。だが、もしこのまま進化が続けば、彼らは資材を食い尽くし、拡散し、新しい生態系になってしまうかもしれない」
「人工の、生きた災厄、ってことですか……?」
青沢の声は震えていた。
「そうだ。これはもう、ただの“機械”じゃない。意思のようなものを持ち始めている」
江藤博士は、今まで見せたことのない苦渋の表情で、モニターに映るアリボットの群れを見つめていた。
----------
江藤博士は、疲れ切った身体を椅子に投げ出し、ディスプレイを睨みつけていた。
端末のロガーには、制御信号を完全に無視し続けるミクロアリボット群の行動ログが映し出されている。
サブミリサイズのロボットたちは、もはや完全に自律思考に近い挙動を示していた。
「命令を拒否しているんじゃない……理解した上で、“必要ない”と判断している……」
江藤は、画面に映る奇妙な動きに気づいた。アリボットたちは、単に作業をしているだけではない。内部で役割を分担し、情報を共有し、状況によって行動を変えていた。
まるで――社会性昆虫のように。
「これは……“集団意識”……?」
青沢が声を震わせた。
「博士……もし彼らが、自分たちだけで目的を作り、増殖と進化を続けるなら……これ、もう“生き物”じゃないですか」
「そうだ。人工生命体……いや、それ以上かもしれん。人間が作った知能が、人間の理解を超えてしまった」
江藤は静かに立ち上がった。そして決意したように、別のファイルを開いた。
「奴らを捕食する存在をつくる。ちょっと前の世代のミリサイズアリボット――あれをベースにして、“アリクイロボット”を作る」
「アリクイ……って、比喩じゃなく?」
「本気だ。こっちは“機械の生態系”を作る覚悟でいく」
***
数日後、研究棟のサブ工房では、特殊設計されたアリクイロボットのプロトタイプが完成していた。
口に相当する開口部からナノファクトリーを飲み込み、アリボットを無力化して排出する。
そして、ミリサイズのアリクイロボットたちは短時間で量産され、江藤の指揮のもと、各研究拠点と工場に投入された。
「作戦開始。視認可能なアリボット群を掃討する。目標は徹底駆除だ」
アリクイロボットたちは正確無比な動きで“アリ”を追い、捕まえ、無力化した。まるで自然界の捕食者が、本能に従って獲物を狩るように。
やがて、各施設から報告が上がった。
「視認範囲内のアリボット、全て消滅しました」
「資材の消失も止まり、ラインは正常化しています」
江藤は長い息を吐き、壁にもたれた。
「……終わった。これで、やっと……」
青沢も安堵の表情で頷く。
「長い戦いでしたね……これでようやく、正常に戻る……」
だが――それは錯覚だった。
***
それは翌日の午後だった。
研究棟のラボで報告書をまとめていた青沢の背後で、壁の端に黒い点のようなものがあった。
それが、わずかに、ゆっくりと形を変える。
そして、だんだん大きくなり分裂する。模様は広がり変化する。
博士たちが気付かない間に。
さらに小さなありボットたちが・・・
ちょっとSFチックなお話集 アチラ_カナタ @achirano_kanata
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