ぼくたちは生まれ、そして死んでいく— 還らざるロケット推進戦闘機隊
cyanP
01話 空と毒薬
『ぼくたちは生まれ、そして死んでいく。
ただそれだけだ。 ただ……それだけだ……』
カウンター席でカイトが呟いた。
ぼくはカイトらしい言葉だと彼の長いまつ毛を見ながら聞いていた。
穏やかなコーヒーの香り。
蓄音機の奏でる静かな『亡き王女のためのパヴァーヌ』
新聞紙をめくるかすかなノイズ。
ニスで塗られた艶のある黒く太い梁が渡る天井には、シーリングファンがゆっくりと回り、木造カフェー店内の空気をわずかに撹拌させる。
朝の光が窓から深く差して、軽く炙ったクロワッサンを優雅に照らしていた。
ここは発進基地に隣接しているぼくら航空隊員のたまり場だ。
我が国の逼迫した物資とは無縁の特別待遇は、5分後には死にゆく者への手向けの趣であることは誰でも知っている。
昨日の事故のことは店内の誰も口にはしなかったが、カイトの言葉が殉職者と、ここにいる搭乗員全員への哀悼であると皆痛いほど理解していた。
「ドウシャ、行こう」
カイトに名を呼ばれ、一緒に店を出る。発進基地へと向かうぼくとカイトを、年老いたマスターがいつもの優しい笑顔で見送ってくれた。
ひとたび地表を離れるや、搭乗員に明日は知れない──。
「空の上ならまだしも、地上の事故で命を落とすとは」
「あの機体の危うさはもう少しなんとかならんのか」
事故現場では航空整備兵の曹長と整備一等兵曹が悔しさをこぼす。
滑走路には消火剤と焼け焦げた痕跡が、まだ生々しく残っていた。
彼らの胸にやるせない気持ちが持ち上がるのも無理はない。
同盟国から秘密裏にもたらされる予定だった機体や設計図は、潜水艦ごとことごとく沈められ。やっと空路で持ち帰った三面図を元にでは、コピーどころかエンジン含めてほとんどの新規開発を余儀なくされた。
そんな経緯で生み出されたロケット推進戦闘機
菱星航空機 キ201【麁正(アラマサ)】は。
あまりにも信頼性の低い危険な機体だったのだ。
我が皇国のロケット技術が未熟であったのではない。むしろオリジナルより性能自体はあがっている。問題は、根本的な設計思想にある。
だがそれでも僕らはその機体を望み、志願した。
従来のプロペラ機や開発中のジェットエンジンでは眼前に迫る危機に、もうどうにも間に合わないからだ。
機体が砕け、ヒドラジンでドロドロに溶けた仲間のニュースは
さきほどのカイトの静かなつぶやきで締めくくられる。
その目はどこまでも深く涼しげであり、仲間の死に憂いを帯びてなお美しかった。
カイトの発する言葉は、それが希望などあるはずがない文字列であっても
ぼくらの心に、青く広い空を指し示した牧歌のように響く────。
『ヒドラジン』ってのはロケット燃料の事だ。
ぼくたち伊豆箱根航空隊、少年航空兵からなる『素戔嗚(スサノヲ)部隊』の仕事は、生物にとって恐ろしく危険な毒物でもあるヒドラジンや過酸化水素がたっぷり詰まったロケット推進戦闘機で上昇し、はるか高空を征く敵爆撃機を迎え撃つことにある。
敵との工業力の差は、実戦において搭乗員の技量と人命で埋められる。
あまりにも搭乗員の損耗が激しいため数年前から少年航空兵の応募資格年齢が引き下げられた。
ここにいるぼくら少年たちはみな自ら志願し、高倍率の試験を突破し、厳しい訓練を耐え抜いた者たちだけである。
だが、ぼくやカイトのように大陸、南洋と戦い巡った古参航空兵はもう数えるほどしか残っていなかった。
少年たちが憧れ続けた輝かしい碧空(へきくう)への切符は
今や爆裂する毒薬の瓶にくくりつけられて打ち上がる花火の如くだ。
──でも、それも悪くないかもしれない。
カイトと一緒に居るとそう思わずには居られない……。
それは男と表記するには出来すぎたその美貌からだけではない。
命を散らす現場でさえ浮世を忘れさせるだけの圧倒的カリスマがカイトにはあった。
身長たった160センチメートルほどの、色白で小さく華奢で、だが野生動物のような躍動を秘めたその肉体には、想像もつかない実力と胆力が備わっている。
カイトが用いる対爆撃機用の必殺技。
『背面垂直降下戦法』
それはこの世のありとあらゆる兵器の中で、もっとも美しい挙動を示す。
命と、勇気と、選ばれし者だけが成しうる技術がひとつとなって
例えようもなく尊い輝きを天空に描く。
敵爆撃機の飛行高度よりさらに1000メートル上空、空気のかすれた高みから、走り高跳び選手が体を反らして背面跳びをするように、グルリと機を反転させ敵に機体上面を見せながら急降下を開始する。
理性も慣性もなにもかもが理解を嫌がる機動だ。
なにせ今まで下に見ていた敵を、一転頭上に見上げて真っ逆さまに突っ込むのだから……。
猛烈なる空気抵抗、機体が今にも空中分解しそうにガタガタ・ギシギシと荒ぶり、一瞬でも操作を誤ればもう取り戻せないギリギリのスピードで降下をしつつ、ひねりこんで髪の毛一本の繊細さで敵を照準に捉え、射弾を浴びせかける。瞬きなど一切許されない。
爆撃機から生えるハリネズミの毛針の如き隙間のない防御砲火の弾線。その唯一の死角となる巨大な銀翼の直前を通過する。
…………高速飛行する翼の前をだ!────。
そんな危険極まりない攻撃法が対重爆撃機への背面垂直降下戦法だ。
そいつをカイトは難なくやってのける。
そのあまりに芸術的な技術と度胸の離れ業を一度でも目にした者ならば、眩しいほどの憧憬を抱かずには居られない。空に生きる男ならなおのことだ。
それは『死』でさえ『ただそれだけ』と言って差し支えない説得力を持つほどのまっすぐな真理から来る言霊。
今朝までふざけあっていた気の合う顔が消えようとも、どうせ明日も敵はやってきて、また同じことが繰り返されるのだから……。
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