梅雨の始まり
第31話
「”さて、本日より関東は梅雨入りとなりました。晴れているところもあるようですが、お出かけの際は傘を忘れずにお持ちください。以上お天気でした”」
……梅雨かぁ。
テーブルでパンに齧りつきながらテレビをぼーっと眺め、憂鬱な予報に心の中で溜息をつく。
視界の四分の一がショートヘアの小麦肌中学生で、私のことをじっと見ているのが気になり、テレビからそっちに視線を移してみた。
「瑠琉ちゃん、梅雨だってさ~」
「椎菜は梅雨嫌いなの?」
口の周りにパンの欠片を付けた瑠琉ちゃんは、テンションが下がっている私を不思議そうに見ながら訊いてくる。
……中学生は梅雨でも平気なのか。それとも瑠琉ちゃんだけか。
「うん、嫌い。じめじめするし、ずっと曇ってて気分も下がるから」
「じゃあ瑠琉も嫌いかな」
私に合わせて気持ちを変えてくれたのはちょっとだけ嬉しい。
パンを食べ終えると、瑠琉ちゃんはいつも通り牛乳をパックから直接喉の奥に流し込む。
そしていくらか飲んでから「はい」と言って私の前に置いてくれる。
飲む前に瑠琉ちゃんの口に付いたパンの欠片と牛乳を指で拭おうと手を伸ばしたら、瑠琉ちゃんが一瞬身体を後ろに引いた気がした。
……まさか嫌がられた?
でもそんなこと認めたくなくて、躊躇わず指で拭いそれを自分の口へ運ぶ。
涼葉ちゃんも食事をすると分かってから、朝食では六つ入りのロールパンを毎日3袋買っているのにその全てを消費していて、今日もテーブルには空になった袋が三つある。
日に日に瑠琉ちゃんの食事量が増えているのと、涼葉ちゃんが瑠琉ちゃんに対抗して沢山食べるから、私の分はロールパン2つだけ。
梅雨で食欲が落ちているにしても、これだとちょっとばかり物足りない。
でもこれ以上買うとなると出費も嵩むし、どうしたものか。
私も牛乳をパックのまま飲んでから、残った分を涼葉ちゃんに渡した。
「おお神よ、お恵みに感謝しますぞ」
四分の一ほど残っていた牛乳をごくごくと流し込む涼葉ちゃんを微笑ましく眺めていると、ふとあることに気付き隣を見る。
二人で平均8つ前後も食べていて、涼葉ちゃんは霊力が強いのか消えたことが無いから忘れていたけれど、最近になって瑠琉ちゃんも消えてない気がする。
おかげで毎晩ソファで瑠琉ちゃんをぎゅーって出来てるし、私にとっては嬉しい限り。だから気にする必要なんて無い。
……はぁ。仕事行かないでみんなとゆっくりしたいなぁ。
「椎菜、遅刻しちゃうよ?」
「あ、うん。そうだね」
瑠琉ちゃんの言葉ではっと我に返り、席を立つ。
袋のゴミや空になった牛乳パックを取ろうとすると涼葉ちゃんが搔き集めてくれて、「我にお任せを」と言ってキッチンに片付けに行ってくれた。
お利口幽霊ちゃんが増えたことは本当に嬉しい。どうやら涼葉ちゃんは家事が出来るタイプの地縛霊ちゃんらしく、上手いこと瑠琉ちゃんのできない部分を補ってくれているから、今では私もいくらか楽をさせてもらっている。
後片付けを全て任せて仕事の準備を進め、家を出る直前になると先にベッドへ向かい、最近新しく買った”春には百合が咲き乱れる”を読む七子ちゃんに声をかける。
「それ、面白い?」
「はい。春乃と知秋の関係が今までの百合作品にないドキドキを与えてくれて、百合の新しい可能性を感じられます。私個人としてはもう少し……」
七子ちゃんは1カ月で立派に感想を述べられるほど漫画にハマっていて、感想を訊いたら止めるまで喋り止まない。
いつも通り、私はそんな美少女幽霊ちゃんの持っている単行本が潰れない程度に軽く抱き寄せる。そうすることで止めてくれるので、惜しくも身体を離しそっと頭を撫でる。
「いってきます」
「はい、いってらっしゃい。お気をつけて」
最近は特に、私が仕事に行こうとすると寂しそうな表情を見せる七子ちゃんが恋しくて仕方がない。特に今日のような月曜日は、前日までの幸せ時間が忘れられなくて仕事に行きたくない鬱が私の気力を奪う。
もういっそ、仕事を辞めて引きこもろうか……。
そんなこと叶えられるはずもなく、もう一回だけ七子ちゃんをぎゅってしたい欲をぐっと堪えながら、クローゼットの前へ移動する。
二週間前までは私が開けていたけれど、最近になって私が近付くと扉が開く。
そして6月の高温多湿でダッフルコートを使わなくなった沙李奈ちゃんが、膝を抱えながら私を寂しそうに見つめてくるので、迷わずぎゅーってしながらキャミソールの裾から手を差し入れ、冷たくて柔らかい肌の感触を味わう。
耳元でいってらっしゃい、という小さな声が聞こえ、「いってきます」と返してから身体を離して頭を撫で、そっとクローゼットの扉を閉めた。
次にソファへと向かい、瑠琉ちゃんを脚の間に収め抱きしめる三夕ちゃんにも「いってきます」と伝え、二人揃っていってらしゃい、と返してくれる。
二人まとめてぎゅってしたいけど、三夕ちゃんが他の子を抱いてる時に邪魔したら怒るから、仕方なくそれぞれの頭だけを撫でて挨拶回りを終える。
最後に、キッチンで後片付けをしてくれてる涼葉ちゃんの元へ行くと、私に気付きつつ振り向かずに反応してくれた。
「神よ、もう行かれるのですか」
「うん。家のことよろしくね」
「我にお任せください!」
最初は中二病を拗らせたやばい幽霊ちゃんだと思ったけど、ごはんをあげていたら言うことを聞くようになってくれたし、なによりも家のため、私のために家事をしてくれる涼葉ちゃんが可愛くて可愛くて幸せ。
これもまたいつも通りで、洗い物をする涼葉ちゃんを背中から抱きしめ、いってきます、と伝える。でもまだ離れるのが惜しくて、Tシャツの裾から手を差し入れ気を悪くしないようにお腹だけを撫でながら、キッチンにある時計を確認しつつギリギリまで涼葉ちゃんを堪能した。
それから玄関で靴を履き替え、家を出発。
5人の地縛霊ちゃんたちと暮らし始めて1カ月。
決して普通では無い日々に心の底から幸せを感じられていて、仕事の憂鬱もみんなのことを想えば乗り越えられる。
……今日の晩ごはん、何にしよっかなぁ。
なんて食べ盛り幽霊ちゃんたちの可愛い笑顔を思い浮かべるのも、日々のモチベーション維持であり、楽しみのひとつ。
雨は降らずともどんよりとした雲の下で思わず鼻歌を口ずさんでいると、憂鬱な気分が少しだけ晴れたような気がした。
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