チョコ争奪戦
第17話
休み明け二日目の仕事は、昨日とは少し違った。
平日の朝7時から昼の12時までシフトに入っている春日部さんが今日はおらず、レジでは夜勤の熊谷さんがワンオペで死にそうな顔で接客をしていたため、私はそろりとバックヤードへ向かう。
「おはようございま~す……」
バックヤードには誰もいないようで、私の挨拶は虚しく消えていく。
なのに更衣室の仕切りのカーテンが閉じていて、薄っすらと人影も見える。
「おはようございます!」
もう一度大きな声で言うと、カーテンが開かれた。
「多摩川さん、おはようっす」
「あれ?井田くん、今日シフト入ってたっけ?」
ひょっこりと現れた夕勤の井田くんは、両耳にワイヤレスイヤホンを着けスマホを右手に持ち、私を一目見てからすぐスマホへ視線を戻す。
「春日部さんの代わりっす」
「熊谷さん、死にそうな顔してたから、早めに来れたんなら出てあげたら?」
「強制っすか?俺、多摩川さんと同じ8時からシフト入るって店長に言ったんすけど」
たしかに、ヘルプで入ってくれた人は多少は優遇されるべきだろうけれど、シフトの不足時間内での早出は問題無いし、思いやりくらいあったって良いのでは。
「良いよ、私すぐ出るから。あと着替えるからそこ退けて」
「多摩川さん、なに怒ってんすか?」
「井田くんはもっと協調性と客観的思考を身に付けた方が良いよ」
「なんで説教?意味分かんないっすよ」
これがみんなが言う厄介な学生の井田志苑というやつなんだ。
私はそれを身に染みて実感しながら、更衣室から動こうとしない井田くんの肩を軽く押して無理やり入った。
「邪魔」
「俺、出勤前っすよ?ここにいても良くないっすか?」
「着替えを覗く気なの?良いから向こう行ってて」
「はいはい」
そう言ってなんとか出て行ってくれたは良いものの、着替えを終えて更衣室を出ると井田くんの姿はどこにもなく、フロアにもレジにもいなかったため何故か8時30分まで熊谷さんを残業させてしまった。
井田くんはトイレに籠っていたようで、トイレ待ちをしていたお客さんを見ても気にせず出てきて、ゆっくりと歩いてレジへ来る。
「おい井田、ヘルプだからってその態度はどうなんだ」
「熊谷さん、お疲れ様っす~」
「……たまちゃん、がんば」
一瞬だけ説教しかけた熊谷さんは、井田くんの全く悪びれない態度に飽きれたのか、諦めたように私の肩をポンと触れ、深く溜息を吐きながらレジを出て行く。
そんな井田くんは何も感じていないのか、普通にレジを打ち始める。
……なんて最悪な1日なんだ。
でも、なんとか昼のパートさんが来るまで耐えなくては。
私も思わず大きく溜息を吐いてから、待っていたお客さんを呼んだ。
こんな日にこそ平間さんやポニテ美少女を見て癒されたいと思っていたのに、二人とも来てくれず、気が付くと退勤時間を迎えていた。
夕方から井田くんとは別の学生さんが出勤し、引継ぎを済ませ帰る支度をする。
店を出てスーパーへ向かっていると、不意に後ろから声を掛けられ、振り向くとそこにはなんと平間さんの姿があった。
本人だと認識した瞬間、私の中に溜まっていたストレスが平間さんと会えた喜びで上書きされていく。
「多摩川さん、今仕事終わったとこですか?」
「うん、そんなとこ。それより、今日はお店来なかったんだね」
当たり前のように私の隣に来てくれた平間さんと、そのまま並んで歩きだす。
「あず……彼女にデザートのゴミが見つかって、食べ過ぎだって怒られたので」
「朝も夕方も買ってたもんね。それは食べ過ぎかも」
「はい。……でも私太らないので」
「たしかに細いよね、平間さんって」
そう言いながら隣にいる平間さんの足先から顔までしっかりと目に焼き付け、接客中に周りを気にして見てなかった部分まで記憶に刻み込む。
身長は私と大差ないと思っていたけれど、こうして隣に並ばれると私よりも少しだけ低いことが分かる。それに少し小さめサイズのカットソーとスキニーパンツが、より体のラインを強調させて目を惹かれる。
「あの、多摩川さん、そんなに見られると恥ずかしいです」
「え?あぁ、ごめんね」
このままずっと平間さんといたい。なんていう願望は叶うこともなく、スーパーの前で呆気なく別れてしまった。
自宅の方へと帰って行く平間さんの美しい背中のラインを見えなくなるまで見届けてから、スーパーへ入り買い物を始めた。
ふとスマホを開くと、ロック画面が昨日のままで、るる、ごはん、忘れずに。という文字が目に入る。
そういえば、三夕ちゃんは食事をするのだろうか。
七子ちゃんはチョコを食べるし、きっと三夕ちゃんも食べるはず。
昨日と同じくチョコの売り場で足を止め、アソートチョコを1袋だけ取りカゴに入れる。……昨日2つも買ったのだからまだ買わなくても良いのではないか?そう思いつつ、三人に増えてしまった地縛霊たちのために切らしてはならないと思い、ふと棚に戻そうと掴んだ手を止めた。
布団の枕元に七子ちゃん用に置いて来たけれど、きっと瑠琉ちゃんに食べられてるだろうし、もう無くなってるかもしれない。金銭的負担は大きいが、空腹で待ってる瑠琉ちゃんや、チョコを取られたり襲われたりしてるかもしれない七子ちゃんのことを思えば、ここは思い切って一人一袋でも良いのではないか。
追加でアソートチョコを二つカゴに入れ、ふと瑠琉ちゃんがフグにがっついていた話を思い出し、鮮魚売り場へと向かった。
アジ、サケ、カツオ、イカ、サバ……。
ついフグを探してしまうが、あったとしても私は捌けない。
というか、フグは瑠琉ちゃんの生前のトラウマとなっているだろうから、あっても無くても買うという選択肢はない。
ただひとつだけ言えるのは、瑠琉ちゃんの好物が魚なのではないかということ。
フグのトラウマもあるだろうが、まるごとがっつくほどの衝動にかられたのだから、きっと瑠琉ちゃんは魚が好きなんだ。
「アジが旬かぁ」
並んでいる様々な魚介の中でアジが一番手頃な価格の上に、大ぶりで脂も乗っていそうだ。
「よし、今日はアジフライにしよっと」
無事に夕食のメニューが決まり、二尾入ったアジのパックをカゴへ入れた。
買い物を済ませ、家に到着し玄関の扉の前で鍵を探す。
鞄の中を手探りでゴソゴソと漁り、引っ張り出した鍵を鍵穴に通す。
すると突然家の中からドタバタと騒がしい音が聞こえ、その音が玄関の方に近付いてきたことで私は慌てて鍵を開け扉を開ける。
「瑠琉ちゃん!?」
音の正体が一人しかいないその名前を叫びながら入ると、玄関の前でガラスの小物入れを両手に抱えた瑠琉ちゃんが何食わぬ顔で佇み、「おかえり椎菜」と迎えてくれた。
私もひとまず「ただいま瑠琉ちゃん」と返し、瑠琉ちゃんの口に付いたチョコの欠片をじっと見つめながら状況の把握を試みた。
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