第10章 突然の告白、そして動揺

文化祭の大成功と、それを成し遂げた充足感は、結衣の心に温かい余韻を残していた。そして何より、田中悠人との間に築き上げられた確かな絆が、彼女の日常に、以前とは異なる彩りを与えていた。彼の存在は、もはや「Linuxの達人」という尊敬の対象だけでなく、彼女の心の中で、かけがえのない、特別なものとして定着しつつあった。


文化祭の打ち上げは、学校近くのファミリーレストランで行われた。クラス全員が、企画の成功を祝い、普段はあまり話さない生徒たちも、この日ばかりは肩を並べて盛り上がっていた。結衣と田中悠人も、クラスメイトに囲まれ、ひっきりなしに「音響、すごかったね!」「どうやって作ったの!?」と質問攻めに遭っていた。結衣は、そんな状況にも慣れてきたのか、誇らしげにLinux Mintの素晴らしさを語っていた。田中悠人も、いつもより少しだけ表情が和らいで、彼なりの言葉で感謝の言葉を述べていた。


打ち上げが終わり、それぞれが家路につく。結衣と田中悠人も、駅の改札まで、少しだけ一緒に歩くことになった。夜風が心地よく、街灯の明かりが二人の影を長く伸ばす。賑やかだったファミレスの喧騒から離れ、二人の間には、心地よい、しかしどこか緊張感をはらんだ沈黙が流れていた。結衣は、彼との距離が物理的にも心理的にも近づいていることを感じていた。


「…小野寺さん、少し話があるんだけど」


田中悠人が、ふと立ち止まり、結衣の方を向いた。彼の声は、いつもよりも少しだけ低く、そして、どこか決意を秘めているように聞こえた。結衣の心臓が、ドクリと大きく跳ね上がった。まるで、PCが予期せぬエラーメッセージを表示した時のように、彼女の思考は一瞬フリーズした。まさか、彼からこんな言葉を聞くとは、夢にも思っていなかったからだ。


「え…なに…?」


結衣は、ぎこちない笑顔で問い返した。彼女の視線は、彼の顔に釘付けになっていた。夜の街灯が、彼の真剣な眼差しを照らし出す。


「あのさ…」


田中悠人は、一度深く息を吸い込み、そして、真っ直ぐに結衣の目を見て、はっきりと告げた。


「僕、小野寺さんのこと、好きだ」


その言葉が、結衣の耳に届いた瞬間、世界からあらゆる音が消え去ったかのように感じられた。目の前の街の喧騒も、遠くで聞こえる車の音も、全てが遠のき、彼女の耳には、自分の心臓の激しい鼓動だけが、けたたましく響いていた。彼の言葉は、まるでターミナルに突如表示された、理解不能な、しかし決定的なエラーメッセージのようだった。


「え…あ…」


言葉が出ない。いや、言葉が、喉の奥に詰まって、出てこなかった。彼女の頭の中は、真っ白なノイズで埋め尽くされていた。田中悠人から、まさか、こんな言葉を聞くとは、全く想像していなかったのだ。彼は、結衣にとって、唯一、PCの深い知識を共有できる「Linuxの達人」であり、文化祭の危機を救ってくれた「頼れる仲間」だった。それ以上の関係性を、結衣は無意識のうちに、意識的に、避けていたのかもしれない。


結衣の動揺に気づいたのか、田中悠人は、少しだけ眉を下げ、続けた。


「もちろん、PCの話も楽しいし、一緒にいると安心する。いつも新しい発見があって、僕も嬉しい。でも、それだけじゃなくて…」


彼の声は、普段の無口さからは想像もできないほど、感情がこもっていた。彼の言葉の一つ一つが、結衣の心臓を直接叩くように響く。


「小野寺さんの、何事にも一生懸命なところ。どんな難しい問題にも、諦めずに挑戦する姿勢。そして、いつも笑顔で、周りを明るくするところ…」


彼の言葉に、結衣は顔が熱くなるのを感じた。まるで、彼女の心を包むファイアウォールが、一瞬にして解除されたかのように、これまで閉じ込めていた感情の波が、一気に押し寄せてきた。彼の口から語られる「小野寺結衣」の姿は、結衣自身が認識している自分とは少し違っていた。彼が、そんな風に自分を見てくれていたなんて。


「僕、ずっと、小野寺さんのことが気になっていたんだ。最初は、同じLinuxユーザーとして、だけど、いつの間にか…」


田中悠人の言葉は、そこで途切れた。けれど、彼の瞳が、雄弁にその先の言葉を語っていた。彼の真剣な眼差しから、彼の言葉が、心からの告白であると、結衣には痛いほど伝わってきた。


結衣は、その場に立ち尽くしたまま、どうすればいいのか分からなかった。彼女の頭の中では、無数の思考が、まるでバグったプログラムのように、高速で、しかし全く秩序なく駆け巡っていた。


田中悠人という存在は、いつの間にか、彼女の日常に深く根付いていた。困った時には、迷わず彼を頼り、彼とのチャットは、日課になっていた。彼とPCの話をしている時間は、何よりも楽しく、彼がそばにいると、不思議と安心できた。彼の知識は、彼女の世界を広げ、彼の存在は、彼女の心を豊かにした。


でも、それは、「好き」という感情なのだろうか?


結衣は、これまで恋愛というものに、ほとんど興味を抱いてこなかった。周りの友達が、誰かの悪口を言ったり、誰かに恋をしたりするのを、どこか遠い世界の話のように感じていた。彼女にとっての「情熱」は、常にPCとLinuxに向けられていた。


しかし、今、目の前で、田中悠人という、彼女にとってかけがえのない存在が、真剣な眼差しで、彼女に「好きだ」と告げている。彼の言葉は、彼女の心の奥底に、これまで触れられることのなかった、新しい感情のスイッチを押した。それは、温かく、そして、少しだけ苦しい感覚だった。


夜空には、文化祭の成功を祝うかのように、明るい月が輝いていた。しかし、その光も、今の結衣の混乱した心を照らすには、あまりに漠然としていた。


「…私…」


結衣は、何かを言おうとして、再び言葉に詰まった。彼女の心は、まさに「Kernel_Panic」状態だった。一体、この複雑な感情を、どう処理すればいいのだろう。彼女は、まだ答えを見つけられずにいた。彼女の心の中に、田中悠人の言葉が、まるで新しいカーネルのようにインストールされ、その起動を待っているかのようだった。

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