第6章:二人のレシピ帳
王都での生活が始まって一週間が過ぎた。
ユナは毎日、王子妃としての作法を学んでいた。歩き方、話し方、食事の仕方、すべてが村での生活とは異なっていた。
「背筋をもっとまっすぐに」
「はい」
「言葉遣いは、もう少し丁寧に」
「はい、承知いたしました」
厳格な女官長のエレノア夫人は、ユナに宮廷作法を教えていた。彼女は王室に長年仕えるベテランで、一切の妥協を許さない性格だった。
「王子妃様は、常に王室の威厳を保たなければなりません」
「はい」
「あなたの一挙手一投足が、王室の評判に影響するのです」
エレノア夫人の言葉は正しかったが、ユナには重荷だった。
村では自然に振る舞えたのに、ここでは常に監視されているような気分だった。
「疲れたでしょう?」
レッスンが終わった後、ポンが現れた。
「少し疲れました」
「でも、お姉さんは頑張ってるよ」
「ありがとう。ポンがいてくれて心強いです」
「ライルはどう?」
「忙しそうです。政務に追われて、なかなか会えません」
実際、ライルは朝から晩まで会議や面談に追われていた。王子として果たすべき責務が山積していた。
「寂しいね」
「はい。でも、仕方ありません」
その日の夕方、久しぶりにライルと夕食を共にできることになった。
「お疲れ様でした」
「ユナも、お疲れ様です」
二人は宮殿の食堂で向かい合って座った。
豪華な料理が並んでいたが、どれも味気なく感じた。
「村のパンが恋しいですね」
ユナが言うと、ライルも頷いた。
「私も同じです」
「王宮のパンは美味しいのですが、何か物足りません」
「愛情が込められていないからでしょう」
「愛情…」
「はい。私たちが作ったパンには、心がこもっていました」
二人は同じことを考えていた。
「ライル」
「はい」
「また一緒にパンを作ることはできるでしょうか?」
ライルは少し考えてから答えた。
「難しいかもしれません。王子が料理をするなど、前例がありませんから」
「そうですか…」
ユナは少しがっかりした。
「でも」
「はい?」
「もし機会があれば、ぜひ一緒に作りたいです」
「本当ですか?」
「はい。あれは、私にとって最も楽しい時間でした」
その言葉に、ユナの心は温かくなった。
翌日、ユナは宮殿の厨房を見学させてもらった。
「こちらが王宮の厨房でございます」
案内してくれたのは、料理長のベルナール氏だった。
「とても立派ですね」
厨房は村のパン屋の何倍も大きく、最新の設備が整っていた。
「一日に何百人分もの食事を作りますから」
「大変ですね」
「はい。でも、やりがいがあります」
ベルナール氏は誇らしげに答えた。
「王子妃様は、料理にご興味がおありですか?」
「はい、特にパン作りが好きです」
「パン作り?」
ベルナール氏は少し驚いた。
「村にいた頃、夫と一緒にパンを作っていました」
「それは素晴らしい。もしよろしければ、厨房をお使いください」
「本当ですか?」
「はい。王子妃様のご趣味でしたら、喜んでお手伝いします」
ユナは嬉しくなった。
「ありがとうございます」
その夜、ユナはライルに提案した。
「明日、一緒にパンを作りませんか?」
「パンを?ここで?」
「はい。料理長が厨房を使わせてくれるそうです」
ライルは少し躊躇した。
「でも、王子が厨房に入るなど…」
「誰にも言いません。二人だけの秘密です」
「秘密…」
「はい。村にいた頃のように」
ライルの目が少し輝いた。
「わかりました。やってみましょう」
翌朝、早朝の厨房で二人は再びパン作りを始めた。
「久しぶりですね」
「はい。手が覚えているでしょうか」
ユナは恐る恐る小麦粉に手を触れた。
「大丈夫です。身体が覚えています」
ライルが優しく指導してくれた。
久しぶりの生地の感触に、ユナは懐かしさを感じた。
「やっぱり、これが一番落ち着きます」
「私も同じです」
二人で生地をこねながら、村での思い出話に花が咲いた。
「トムは元気にしているでしょうか」
「きっと元気でしょう。あの子は強いですから」
「マリアさんも、村の皆さんも」
「必ず会いに行きましょう」
「はい」
パンが焼き上がると、馴染みのある香りが厨房に広がった。
「この香り…」
「村のパン屋と同じですね」
二人は顔を見合わせて微笑んだ。
「ポンもいれば完璧なのに」
ユナがつぶやくと、突然小さな声が聞こえた。
「呼んだ?」
「ポン!」
「久しぶりのパン作り、楽しそうだね」
ポンが嬉しそうに現れた。
「あなたも手伝ってくれる?」
「もちろん!」
ポンが手を触れると、パンがほんのりと光った。
「相変わらず、素敵な魔法ね」
「えへへ」
三人でのパン作りは、村にいた頃を思い出させてくれた。
「ライル、何か感じませんか?」
「感じる?」
「温かい気持ちです」
ライルは周りを見回した。
「確かに、何か特別な雰囲気ですね」
「それはポンよ」
「ポン?」
「パンの精霊です。愛情のあるところに現れるの」
ライルは不思議そうな顔をした。
「見えませんが、確かに何かを感じます」
「少しずつ、ライルにも感じ取れるようになってるんだ」
ポンが嬉しそうに言った。
焼き上がったパンを味見すると、村で作ったものと同じ味だった。
「美味しいです」
「王宮のパンより、ずっと美味しいですね」
「愛情が込められているからよ」
ポンが得意そうに言った。
それからというもの、ユナとライルは週に一度、早朝の厨房でパン作りをするようになった。
「今日は何を作りましょうか?」
「クルミパンはいかがでしょう?」
「いいですね」
二人の技術は、王宮でも衰えることはなかった。
むしろ、愛情を確かめ合いながら作るパンは、以前より美味しくなっていた。
「お二人の絆が深まっているからね」
ポンが説明してくれた。
ある日、アレクサンダー王がひょっこり厨房に現れた。
「ライル、こんなところで何を?」
「兄上!」
ライルは慌てた。
「パンを作っていたのですか?」
「はい…」
「面白い趣味ですね」
アレクサンダー王は意外にも興味深そうだった。
「私も混ぜてもらえませんか?」
「え?」
「子供の頃、厨房でパンを作ってもらったのを覚えています」
「そうでしたか」
「ええ。とても楽しかった思い出です」
三人でのパン作りが始まった。
「兄上は上手ですね」
「昔取った杵柄です」
アレクサンダー王も、意外に器用だった。
「ユナ王子妃の指導が良いのでしょう」
「ありがとうございます」
「あなたたち夫婦は、本当に仲が良いですね」
「はい」
「羨ましいです」
アレクサンダー王の表情が少し寂しそうになった。
「兄上は、結婚の予定は?」
「政略結婚の話はありますが、気が進みません」
「そうですか」
「あなたたちのような関係に憧れます」
ユナとライルは顔を見合わせた。
「私たちも、最初は政略結婚でした」
ユナが言うと、アレクサンダー王は難しい顔をした。
「………」
「はい。でも、一緒に過ごすうちに愛情が生まれました」
「なるほど…」
「大切なのは、お互いを理解しようとする気持ちです」
「参考になります」
焼き上がったパンを三人で分けて食べた。
「美味しいですね」
「市販のパンとは全然違います」
「手作りの温かさがありますね」
アレクサンダー王は満足そうだった。
「また一緒に作りましょう」
「ぜひお願いします」
それ以来、アレクサンダー王も時々パン作りに参加するようになった。
「兄弟で仲良くパン作りなんて、微笑ましいですね」
ユナが言うと、ライルも嬉しそうだった。
「兄上も、ずいぶん表情が明るくなりました」
「そうですね」
「パンの力は偉大ですね」
「ポンの魔法もあるからよ」
ユナは心の中でポンに感謝した。
ある日、ユナは思いついた。
「ライル、私たちのレシピ帳を作りませんか?」
「レシピ帳?」
「はい。村で作ったパンや、ここで作ったパンのレシピを記録するんです」
「素晴らしいアイデアですね」
「将来、子供たちに教えてあげることもできます」
「子供たち…」
ライルは少し照れた。
「まだ早いですが、いつかは」
「はい、いつかは」
二人でレシピ帳作りを始めた。
「最初に作ったのは、白パンでしたね」
「そうでした。あなたが初めて魔法をかけたパンです」
「懐かしいです」
「次はハーブパンでした」
「あの時は、トムがとても喜んでくれました」
一つずつ思い出しながら、レシピを書き留めていく。
材料や分量だけでなく、その時の思い出も一緒に記録した。
「このパンは、村祭りの時に作った月光パンですね」
「あの夜のことは忘れられません」
「私も」
「あの時、初めてお互いの気持ちを確認しましたね」
「はい」
レシピ帳には、二人の愛情の軌跡が刻まれていった。
「ほのぼのパンは、ポンと一緒に作った最初のパンでした」
「ポンの魔法が加わって、特別に美味しくなりました」
「今も、その効果は続いているみたいね」
ポンが嬉しそうに現れた。
「このレシピ帳、素敵だね」
「ありがとう」
「きっと、たくさんの人に幸せを与えるよ」
「そうなればいいですね」
ユナとライルは、レシピ帳作りに夢中になった。
王宮の生活の中で、これが一番楽しい時間だった。
「ユナ」
「はい」
「このレシピ帳ができたら、村の人たちにも見せてあげたいですね」
「素敵なアイデアです」
「きっと喜んでくれるでしょう」
「はい、きっと」
レシピ帳が完成に近づく頃、二人は重要な決断をした。
「ライル、私たちのパンを王宮の人たちにも食べてもらいませんか?」
「王宮の人たちに?」
「はい。きっと喜んでもらえると思います」
「でも、王子が作ったパンなど…」
「作った人が誰かは関係ありません。大切なのは、愛情が込められているかどうかです」
ライルは少し考えてから頷いた。
「そうですね。やってみましょう」
翌日、二人は朝早くから大量のパンを作った。
「今日は特別に、たくさん作りましょう」
「はい」
ポンも手伝ってくれて、工房はいつも以上に活気に満ちていた。
「みんな、喜んでくれるかしら?」
「大丈夫。お姉さんとライルのパンは最高だから」
「ありがとう、ポン」
焼き上がったパンを、宮殿の職員たちに配った。
「王子妃様が作られたのですか?」
「はい。夫と一緒に」
「ありがとうございます」
職員たちは喜んで受け取ってくれた。
「美味しいです!」
「心が温かくなります」
「幸せな気持ちになります」
職員たちの反応は、村の人たちと同じだった。
「やっぱり、パンの魔法は場所を選ばないのね」
ユナは嬉しくなった。
「王子妃様、このパンのレシピを教えていただけませんか?」
料理長のベルナール氏が尋ねた。
「もちろんです」
ユナは喜んでレシピを教えた。
「でも、一番大切な材料が抜けています」
「一番大切な材料?」
「愛情です」
「愛情…」
「はい。愛情を込めて作らないと、同じ味にはなりません」
ベルナール氏は深く頷いた。
「勉強になります」
それからというもの、宮殿では時々ユナとライルの手作りパンが振る舞われるようになった。
「王宮のパンが美味しくなった」
「何か特別な材料を使っているのか?」
「王子妃様の愛情が込められているからよ」
職員たちの間で、そんな噂が広まった。
アレクサンダー王も、その変化に気づいていた。
「最近、宮殿の雰囲気が明るくなりましたね」
「そうですか?」
「はい。皆が笑顔になっています」
「パンの効果かもしれませんね」
「パンの効果?」
「人を幸せにする力があるんです」
アレクサンダー王は興味深そうに聞いていた。
「今度、私にも作り方を詳しく教えてください」
「喜んで」
レシピ帳が完成した時、ユナとライルは深い達成感を味わった。
「ついに完成しましたね」
「はい。私たちの思い出が詰まっています」
「これは、一生の宝物ですね」
「はい」
表紙には、「月とパンのレシピ帳 ~ライルとユナの愛情物語~」と書かれていた。
「素敵なタイトルですね」
「気に入ってもらえて良かったです」
中には、50種類以上のパンのレシピが記録されていた。
それぞれに、作った時の思い出やコツが詳しく書かれている。
「このレシピ帳があれば、どこでも私たちのパンが作れますね」
「はい。村に戻った時も、これがあれば安心です」
「村に戻る?」
「いつかは、戻りたいです」
ユナの正直な気持ちだった。
「私も同じです」
「本当ですか?」
「はい。あの村での生活が、私の理想です」
「でも、王子としての責務が…」
「いつか、責務を果たし終えたら、一緒に村に戻りましょう」
「約束ですか?」
「約束です」
二人は小指を絡めて約束した。
その夜、レシピ帳を見ながら、二人は未来について語り合った。
「いつか、子供たちにもパン作りを教えてあげたいですね」
「素敵ですね」
「男の子でも女の子でも、パン作りは良い趣味です」
「はい。心を豊かにしてくれます」
「そして、愛情の大切さも学べます」
「そうですね」
「お姉さんたち、とても幸せそうだね」
ポンが嬉しそうに言った。
「ポンのおかげよ」
「僕は何もしてないよ。二人の愛情が、すべてを生み出したんだ」
「でも、きっかけをくれたのはポンです」
「ありがとう」
レシピ帳の最後のページには、二人からの感謝の言葉が書かれていた。
「このレシピ帳を見る全ての人へ。
パン作りは、ただの料理ではありません。 愛情を形にする魔法です。 大切な人のことを思いながら作ってください。 きっと、素晴らしいパンができるでしょう。
そして、忘れないでください。 最高のパンを作る秘訣は、技術ではありません。 愛情です。
ライル&ユナ」
「素敵なメッセージですね」
「これを読んだ人が、パン作りを好きになってくれればいいですね」
「きっとそうなります」
レシピ帳の完成は、二人にとって大きな達成感をもたらした。
王宮での生活は相変わらず忙しかったが、パン作りという共通の楽しみがあることで、二人の絆はより深くなった。
「ユナ」
「はい」
「あなたと一緒にいると、どんな困難も乗り越えられる気がします」
「私も同じです」
「愛しています」
「私も愛しています」
二人は静かに抱き合った。
レシピ帳は、ただの記録ではなく、二人の愛の証だった。
そして、これからも新しいレシピが追加されていくだろう。
二人の愛情と共に。
月の光が、窓から静かに差し込んでいた。
ユナとライルの未来を、優しく照らしているようだった。
翌週、思いがけない出来事が起こった。
「王子妃様、お客様がいらっしゃいました」
侍女のアンナが知らせに来た。
「お客様?」
「はい。パンローブ村の村長様です」
「ガルス村長が?」
ユナは驚いた。
急いで応接室に向かうと、懐かしいガルス村長の姿があった。
「ガルス村長!」
「おお、ユナちゃん!元気そうで何よりじゃ」
二人は嬉しそうに抱き合った。
「どうしてここに?」
「実は、王都に用事があってな。ついでに様子を見に来たんじゃ」
「嬉しいです。ライルも喜びます」
すぐにライルも呼ばれ、三人での再会となった。
「村長、お懐かしいです」
「ライル、立派になったのう」
「ありがとうございます。村の皆さんは元気ですか?」
「みんな元気じゃよ。特にトムは、お前たちが帰ってくるのを楽しみにしておる」
「トムが…」
ユナの目に涙が浮かんだ。
「村のパン屋はどうなっていますか?」
「マリアの息子が継いでくれておる。お前たちのレシピを参考にして、美味しいパンを作っとるよ」
「それは良かった」
「でも、やはりお前たちが作るパンが一番じゃった」
ガルス村長の言葉に、二人は胸が熱くなった。
「実は、お土産があるんじゃ」
村長が包みを取り出した。
中には、村で採れた新鮮な野菜と、手紙が入っていた。
「皆からの手紙じゃ」
ユナは震える手で手紙を開いた。
「ユナお姉さんへ 元気ですか?僕は元気です。 お姉さんのパンが恋しいです。 今度帰ってきたら、一緒にパンを作ってください。 約束ですよ。 トムより」
「トム…」
涙がこぼれた。
他にも村の人たちからの温かいメッセージがたくさん書かれていた。
「皆、お前たちのことを大切に思っておるんじゃ」
「ありがとうございます」
「ところで、こちらでの生活はどうじゃ?」
「最初は戸惑いましたが、今は慣れました」
「それは良かった。でも、顔色があまり良くないのう」
ガルス村長は心配そうに言った。
「大丈夫です」
「無理はいかんぞ。体が一番大切じゃ」
「はい、気をつけます」
「ところで、こちらでもパンを作っておるのか?」
「はい、時々」
「それは良いことじゃ。パン作りは心の薬になるからのう」
その夜、ガルス村長を宮殿に泊めることになった。
「せっかくですから、私たちのパンを食べていただきませんか?」
「それは楽しみじゃ」
翌朝、三人で厨房に向かった。
「おお、立派な厨房じゃのう」
「はい。設備は村の何倍も良いです」
「でも、大切なのは設備ではないじゃろう?」
「その通りです」
ユナとライルは、ガルス村長のためにほのぼのパンを作った。
「これは、村で作った思い出のパンです」
「ほほう」
村長が一口食べると、目を細めた。
「うまい。そして、懐かしい味じゃ」
「ありがとうございます」
「この味は忘れられんのう」
「ポンの魔法も入ってるからね」
ユナは心の中でつぶやいた。
「ところで、お前たちはいつ村に戻ってくるんじゃ?」
「それは…」
ライルが答えに困った。
「まだわかりません。王子としての責務がありますので」
「そうじゃろうな。でも、忘れんでくれ。お前たちの本当の家は、あの村にあるということを」
「忘れません」
「村の人たちは、いつまでも待っておるからのう」
ガルス村長の言葉は、二人の心に深く響いた。
村長が帰った後、ユナとライルは沈黙していた。
「村に帰りたいですね」
ユナがつぶやいた。
「私も同じです」
「でも、まだ帰れませんね」
「はい。でも、いつかは必ず」
「はい」
その日の夜、ユナは一人でレシピ帳を見返していた。
村での思い出が蘇ってきて、胸が苦しくなった。
「お姉さん、大丈夫?」
ポンが心配そうに現れた。
「村が恋しくて」
「そうだよね」
「ここでの生活も悪くないけれど、何かが足りないの」
「何が足りないの?」
「自由かしら。村では、自分らしくいることができました」
「でも、今のお姉さんも素敵だよ」
「ありがとう」
「それに、ライルと一緒にいることができるじゃない」
「そうね」
「大切なのは、一緒にいることだよ」
ポンの言葉に、ユナは少し慰められた。
翌日、ユナはライルに提案した。
「レシピ帳の続編を作りませんか?」
「続編?」
「はい。王宮でのパン作りの記録です」
「面白そうですね」
「村での思い出と、王宮での新しい経験を比べることができます」
「素晴らしいアイデアです」
二人は新しいレシピ帳作りを始めた。
「王宮での最初のパンは、クルミパンでしたね」
「はい。あの時は緊張しました」
「でも、美味しくできました」
「ポンの魔法のおかげでしょう」
新しいレシピ帳には、王宮での体験が詳しく記録された。
アレクサンダー王との共同作業や、職員たちの反応なども含めて。
「この記録も、いつか村の人たちに見せてあげたいですね」
「きっと驚くでしょう」
「王宮でパンを作っているなんて、想像もつかないでしょう」
「でも、喜んでくれると思います」
レシピ帳作りは、二人にとって村との絆を保つ大切な作業だった。
ある日、エレノア夫人がユナのもとを訪れた。
「王子妃様、お話があります」
「はい、何でしょうか?」
「最近、宮殿の雰囲気が変わったと評判です」
「そうなのですか?」
「はい。職員たちが以前より生き生きとしています」
「それは良いことですね」
「あなたの影響だと思います」
「私の?」
「はい。あなたの優しさが、皆に伝わっているのです」
エレノア夫人の表情が、いつもより柔らかだった。
「特に、手作りのパンは評判です」
「ありがとうございます」
「実は、私も一つお願いがあります」
「お願い?」
「私にも、パン作りを教えていただけませんか?」
ユナは驚いた。厳格なエレノア夫人がそんなことを言うとは。
「もちろんです。喜んで」
「ありがとうございます」
翌日から、エレノア夫人もパン作りに参加するようになった。
「これは、どのようにするのですか?」
「こうして、優しくこねるんです」
「なるほど」
最初はぎこちなかったが、だんだん上達していった。
「楽しいですね」
「そうでしょう?」
「はい。心が落ち着きます」
エレノア夫人の表情が、以前より穏やかになった。
「実は、私も昔は料理が好きだったのです」
「そうだったのですか?」
「はい。でも、宮廷での仕事が忙しくて、すっかり忘れていました」
「思い出すことができて良かったですね」
「あなたのおかげです」
こうして、パン作りの輪はどんどん広がっていった。
料理長のベルナール氏、侍女のアンナ、そして他の職員たちも次々と参加した。
「みんなでパンを作るのは楽しいですね」
「はい。まるで大きな家族みたいです」
「家族…」
ユナは村での生活を思い出した。
あそこでも、皆が家族のようだった。
「もしかしたら、ここも私たちの家族になれるかもしれませんね」
「そうですね」
ライルも同じことを考えていた。
レシピ帳の続編が完成した時、そこには王宮での新しい家族の記録が詳しく書かれていた。
エレノア夫人のぎこちない手つき。
ベルナール氏の意外な才能。
アンナの楽しそうな笑顔。
皆の成長の記録が、愛情と共に記されていた。
「これも、大切な思い出ですね」
「はい。村とは違いますが、ここでも素晴らしい時間を過ごしています」
「ライル」
「はい」
「私たち、どこにいても幸せになれるのですね」
「どういう意味ですか?」
「大切な人と一緒なら、場所は関係ないということです」
「そうですね」
「あなたと一緒なら、どこでも幸せです」
「私も同じです」
二人は静かに微笑み合った。
村への思いは変わらないが、王宮での生活にも意味があることがわかった。
ここでも、たくさんの人に愛情を与えることができる。
パンを通じて、幸せを分け合うことができる。
それは、とても価値のあることだった。
「お姉さんたち、本当に素敵だね」
ポンが嬉しそうに言った。
「どこにいても、愛情を広げることができるんだね」
「ポンのおかげよ」
「違うよ。お姉さんとライルの心が素晴らしいんだ」
「ありがとう」
月の光が、レシピ帳の上に優しく降り注いでいた。
そこには、二人の愛の軌跡が詳しく記録されている。
村での出会いから、王宮での成長まで。
すべてが、かけがえのない思い出だった。
「これからも、新しいレシピを追加していきましょう」
「はい。私たちの人生と共に」
レシピ帳は、ただの記録ではない。
二人の愛の証であり、未来への希望でもあった。
そして、愛情を形にする魔法の本でもあった。
誰でも、このレシピ帳があれば、愛情のこもったパンを作ることができる。
そして、大切な人を幸せにすることができる。
それが、ユナとライルの願いだった。
月夜の宮殿で、二人の愛はより深く、より強くなっていくのだった。
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