妹に婚約者を奪われた私、”血に飢えた狂犬” に嫁ぐことになりまして

厳座励主(ごんざれす)

第1話 婚約破棄、そして王都追放

「君との婚約を破棄することにした」


 第一王子――ユリウス殿下は、まるで世間話でも始めるかのように、椅子に腰を下ろしながらそう告げた。

 場所は政務室。

 テーブルの上には、彼が明日の公務で読み上げる予定の演説草稿が広げられている。


「……理由を、お聞かせいただけますか?」


 私は感情を押し殺し、努めて丁寧に尋ねた。

 ユリウス殿下は発想豊かで、自分の想いに真っすぐな方だ。

 言い換えれば直情的で、気分に任せて突飛な言動をとることも少なくない。

 今回もただの気まぐれであってほしい、そう願って私は問いかけた。


「君は優秀だ。よく働くし、判断も早い。……だが、王妃には相応しくない」


 けれど返ってきた答えは、迷いのない明確な意志だった。


「相応しくない……ですか」


「ああ、君がいると僕は気が休まらない。もうウンザリなんだ」


 要するに政務では役立ったが、隣に立つには堅苦しすぎる、ということか。


「やはり王妃は、国の長である王を癒してこそだろう」


 演説草稿に視線を落としたままこちらに一瞥も寄こさず、肩をすくめて彼は言った。


 ……よろしいのですか、殿下。

 その原稿、私が書いたものですよ。

 先日、議会で満場一致の賛同を得たあの草案も。

 殿下の体質に合わせて調合した薬茶も。

 すべて私が、貴方のために整え、支えてきたことなのに。


 呆然とする私に目もくれず、「代わりに」と彼は言葉を続けた。


クラリッサなら、優しくて柔らかくて小さくて……守ってやりたくなる。そう、ああいう女性こそ、王妃に相応しいと思うんだ」


 妹の名前が出た瞬間、私はすべてを悟った。

 最近、妹が王宮に呼ばれる機会が増えていたのは偶然ではなかったのだ。


「……そうですか」


 口元だけで微笑む。

 目の奥はきっと、氷のように冷えていただろう。

 だが涙は出なかった。

 不思議と心は静かだった。


 私は一生懸命頑張ったけれど、それでは足りなかった。

 ……いや、頑張ったのが良くなかったのかもしれない。

 この人が求めていたのは頑張る女ではなく、愛らしくて守りたくなる小動物のような女の子なのだ。

 ただ、それだけのこと。


「クラリッサと……どうぞ、お幸せに」


 丁寧に一礼して、私はその場を後にした。




------




 部屋に戻って、荷物をまとめる。

 少しでも殿下の助けになれればと奔走した王宮生活。

 私室に私物はほとんど置いていない。

 必要な書類や帳簿も、すでに引き継ぎの準備はできていた。

 窓辺に立ち、遠く王都の塔を見下ろす。

 ここで過ごした数年間が、頭の中に淡くよぎった。


(……まあ、これでよかったのかもしれない)


 肩の荷が下りたような気がする。

 毎日遅くまで調べものや書類作成、殿下の不在時には代理で議会にも出席していた。

 私がやらねば誰もやらず、結果だけが殿下の手柄として讃えられてきた。


(あの人、これからは自分でやるのかな……大丈夫だろうか)


 ……いや、何を考えているんだ。

 もう必要ないと言われたのに、まだ心配してしまうなんて。

 きっと大丈夫だろう、癒してくれる可愛いクラリッサがいるのだから。

 どこか遠い景色を見るような気分で、私は小さく笑う。


(……がんばってたんだけどな)


 誰かに褒めてほしかったのかもしれない。

 いいえ、せめて……裏切られた、なんて思いたくなかったのだ。


 もともとこの婚約は、政略の意味合いが強かった。

 恋愛感情なんて、互いに抱いていなかっただろう。

 それでも、夫となるはずの人を支え、国に貢献できるのならと、私は懸命に働いてきた。

 それがこうして報われることなく終わるとは、思っていなかっただけで。


(……でも、もういいわ)


 そう思いながら、私は静かに室内を振り返る。

 名残を惜しむでもなく、最後の礼を心の中でひとつ。

 そして扉を開ける。

 その先に待っていたのは、王子付きの臣下たちと王宮の重役たち。

 皆、一様に神妙な顔をしてこちらを見つめていた。


「……すまない。こんなことになるとは」


 そう言ったのは、王宮付きの老官僚だった。


「いいえ。殿下もおっしゃっていたでしょう?

 王妃の務めは王を支えること。

 その役目には、私より妹のクラリッサの方がふさわしかった。

 それだけのことです」


 私が淡々と言うと、老官僚は「そうか」と短く頷き、言葉を詰まらせた。

 代わって前に出てきたのは、控えていた侍女である。


「……それでは、今後のことをご説明いたします。

 ゼスティア様にはこれより、辺境の要塞都市へと向かっていただき、

 そちらを治める騎士団長と婚約していただく手筈となっております」


 辺境の要塞都市。

 今度は、そこで身を捧げろというわけか。

 まあ王宮を離れても、王都の中に私がいるのは、殿下にとって目障りなのだろう。

 できるだけ遠くに追いやりたいのも、彼らなりの配慮なのかもしれない。


「辺境を治める騎士団長は、王国にとって重要な抑止力です。

 そこと繋がることで、ゼスティア様のご実家にとっても……」


 侍女は必死に前向きな言葉を並べていた。

 けれど、私はもう聞いていなかった。

 すでに決められたことなのだ。

 それだけ理解し、黙って頷いた。

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