第8話:反逆の剣(リベリオン・ブレード)
「――させない!」
イヴの叫びは、悲鳴ではなかった。それは、この理不尽な世界に対する、初めての明確な「拒絶」であり、大切な人を守るための、魂の雄叫びだった。
彼女の華奢な身体から溢れ出したナノマシンの光は、もはや蛍のような儚い輝きではない。路地裏の闇を白昼のように照らし出す、一つの小さな太陽。その光の中心で、イヴのゴーストが、カイを守りたい、仲間を助けたいというたった一つの純粋な願いによって、未だ誰も触れたことのない領域へと覚醒を始めていた。
《……この光は……!》
アダムの完璧な思考に、再びノイズが走る。目の前で起きている現象は、彼女の膨大な知識の、どのカテゴリーにも当てはまらなかった。ゼロ・レプリカのゴーストが、周囲のナノマシンを強制的に従え、何かを形作ろうとしている。それは、創造。生命の領域に属する、あの忌々しい妹、リリスの権能にも似ていた。だが、もっと根源的で、混沌としていて、そして――美しい。
アダムの指先で凝縮されていた重力点が、イヴから放たれる未知のエネルギー波に干渉され、僅かに揺らぐ。
「今だ、イヴ!」
カイは、咄嗟に叫んでいた。何を根拠にかは分からない。だが、今、イヴが奇跡を起こそうとしていることだけは、直感で理解できた。
カイの声に、イヴの瞳が力強く輝く。
彼女は、光の奔流に包まれながら、その両手をゆっくりと胸の前に掲げた。
「来て……!」
彼女の呼びかけに、路地裏に散らばっていたあらゆるものが応えた。リベルタスの兵士が放ったイオン弾の残滓、砕け散ったコンクリートの破片、壁を伝う汚水に含まれる金属粒子、そして、このプロメテウスの大気に満ちる、無数のフリーナノマシン。
それらが、まるで一個の意志を持ったかのように、イヴの手の中に収束していく。
ガラクタと、光と、そして彼女の想いが混じり合い、一つの形を成していく。
それは、一振りの剣だった。
刀身は、光そのものを編み込んだかのように半透明で、内部では虹色の粒子が絶えず明滅している。それはまるで、銀河を閉じ込めたクリスタルのようだった。
柄は、ヘーパイストスのジャンクパーツを思わせる、不揃いな金属部品が複雑に絡み合って形成されている。しかし、それは決して不格好ではなく、むしろ混沌の中から生まれた、力強い機能美を感じさせた。
そして、鍔の部分。そこには、一本の鎖が、自らの力で引きちぎられたような、象徴的な装飾が施されていた。
それは、支配からの解放を願う「反逆」の意志。
それは、誰かに縛られることのない「自由」の魂。
イヴの力が、彼女の願いが、物質という形を借りて、この世に顕現した瞬間だった。
不完全な覚醒。その溢れ出る力を繋ぎ止めるための、仮初めの器。
――《反逆の剣(リベリオン・ブレード)》。
《……なんだ、それは》
アダムの無感情な声に、初めて「困惑」という感情が色濃く浮かんだ。
《ガラクタとナノマシンを融合させ、疑似的なリアクターとして機能させる……?そんな技術、記録にない。馬鹿な……!》
彼女の完璧な論理と知識が、目の前の奇跡を理解できずに、悲鳴を上げていた。
イヴは、完成した剣を、まるでずっと昔から知っていたかのように、自然な動作で握りしめる。剣は、彼女の腕の一部のように、しっくりと馴染んだ。
そして、アダムが放とうとしていた重力圧縮点に向かって、剣を振りかぶった。
特別な剣技などない。ただ、真っ直ぐに。ドーガを守るために。カイを守るために。
剣を振るった瞬間、刀身から虹色のナノマシンが衝撃波となって放たれる。
それは、アダムの重力場とは全く異なる法則で動く、未知のエネルギーだった。
イヴのナノマシンと、アダムの重力子が激しく衝突し、空間がビリビリと震える。甲高い金属音のような、あるいはガラスが砕けるような音が、路地裏に響き渡った。
アダムの指先にあった重力圧縮点は、イヴの放った衝撃波によって霧散し、消滅した。
「……やったのか……!?」
カイが、信じられないという表情で呟く。
「すごい……。あれが、ゼロ・レプリカの……」
アーニャもまた、データグローブのモニターに表示される、観測不能なエネルギーパターンに目を見張っていた。
「今だ!一斉攻撃!アダムの制御に、僅かなラグが生まれている!」
レオンはこの好機を逃さなかった。
「うおおおおお!」
ドーガは、死の淵から救われた怒りと感謝を込めて、掘削アームを大地に叩きつけ、アダムの足場を砕く。
レオンは、ジャミング・ライフルの出力を最大にし、アダムの頭上の《審判の光輪》を狙う。
アーニャは、周囲のホログラム広告をハッキングし、アダムの視界を無意味な情報の洪水で埋め尽くした。
《――ノイズが》
しかし、アダムはアダムだった。
彼女の思考は、一瞬の混乱からすでに回復していた。
《鬱陶しい》
彼女は、自分に向かってくるリベルタスの攻撃を、もはや目では見ていなかった。彼女の周囲の空間そのものが、彼女のセンサーだった。
《第五法則、空間固定。対象領域内の運動エネルギーを、強制的にゼロに固定する》
アダムが思考した瞬間、ドーガの振り下ろされた腕が、レオンの放ったイオン弾が、そして、舞い散る瓦礫の全てが、ピタリ、と空中で静止した。
まるで、世界の時間が止まったかのような、異様な光景。
「な……!身体が……!」
リベルタスの兵士たちが、動かない自分の身体を見て、愕然とする。
「これが、オリジナルズ……。これが、世界の支配者……」
レオンが、絶望に顔を歪ませた。
唯一、その束縛から逃れていたのは、イヴだけだった。彼女の持つ《反逆の剣》が放つナノマシンが、アダムの空間固定の法則から、彼女自身の周囲だけを守る、小さな聖域を作り出していた。
だが、その代償は大きかった。
「はぁ……っ、はぁ……っ」
イヴの呼吸が、荒くなっていく。彼女の顔は青ざめ、光り輝いていた剣の刀身も、徐々にその輝きを失い始めていた。
不完全な覚醒。その力は、彼女自身の生命エネルギーを燃料にして、燃え上がっているのだ。
《やはり、不完全なバグか》
アダムは、イヴの消耗を見抜き、ゆっくりと彼女に歩み寄る。
《だが、興味深い。その力、そしてそのノイズ(カイ)への執着。すべて、私が解き明かし、管理してやる。お前は、私のものだ、ゼロ・レプリカ》
アダムの瞳に、研究者のような好奇心と、そして獲物をいたぶる猫のような、残酷な愉悦の色が浮かんでいた。それは、彼女がカイに向けた執着とは、また違う種類の、歪んだ愛情表現だった。
絶体絶命。
誰もが、そう思った。
「――レオンさん!アーニャさん!」
その静寂を破ったのは、カイの叫び声だった。
彼は、戦闘能力こそない。だが、彼の目と頭脳は、この絶望的な状況の中で、たった一つの、しかし確実な勝機を見出していた。
「この路地裏の、頭上を見てくれ!旧時代の、冷却用の液体窒素パイプだ!俺がガキの頃、よく忍び込んで遊んでた!今も生きてるはずだ!」
カイは、路地裏の壁面を覆う、無数の配管の中の一本を指差した。それは、他の配管よりも太く、表面には霜が降りている。
「アーニャさん、そのリアクターのエネルギーを、あのパイプにぶち込めないか!?超低温の窒素が気化すれば、大規模な水蒸気爆発が起きる!それなら、あいつの空間固定も……!」
それは、この路地裏にいる全員を巻き込みかねない、狂気の賭けだった。
だが、この状況を打開するには、もはや狂気に頼るしかなかった。
レオンとアーニャは、一瞬顔を見合わせ、そして、ニヤリと笑った。
「面白い!乗ってやろうじゃないか、その賭けに!」
レオンが叫んだ。
「リアクター、オーバーロードまで、あと10秒!みんな、衝撃に備えて!」
アーニャの指が、データグローブの上で、嵐のように踊り始めた。
カイの、起死回生の一手が、今、放たれようとしていた。
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