ある日見た夢の話

@IMAKITATIKAMI

第一話

 重たい扉を開けた先で、カウンターに行儀よく腰掛けた子猫が、優雅にグラスを傾けているのを目にして、これが夢なのだと気が付いた。


「――なに?」


 その摩訶不思議な光景を目に焼き付けていると、小さく丸まった猫背がこちらを振り返った。

 その黒いしなやかな毛並みには、光沢があって、大変触り心地が良さそうだった。

 ぜひとも触ってみたい。頼めば触らせてもらえるだろうか。

 などと考えていると。


「気味の悪い視線を向けないでくれるかしら。ミルクが不味くなるじゃない」


 愛くるしい大きな瞳で睨まれてしまった。

 入ったお店は、落ち着いた雰囲気のBarだったので、てっきり、子猫が嗜んでいるのは、カクテルの類だろうと想像していたけれど、グラスの中身は、なんと、ミルクだったらしい。

 猫にカクテルよりは、ミルクの方が断然に、お似合で、尚且つ、平和だった。


「あんた、人間ね。ここは、人間が来るような場所じゃないわよ」


 その声は、見かけのわりには幾分か、大人びて聞こえる。

 子猫は、端正な顔立ちをしていた。それが、よく知る誰かの顔に似ているように感じたけれど、ついに、わからなかった。


「なんで、こんなところに来たのかしら?」

「——たぶん、人間の世界が嫌になったんだと思うよ」


 子猫からの問いかけに、逡巡した挙句、そう答えることにした。

 これは夢なのだから、どうせなら面白くしてやろうと企んで出した回答であって、そこに大した意味はない。

 ——けれど、あながち、完全な嘘でもなかった。


「……ふうん。よくわからないけれど、暇ならわたしに付き合いなさいな」


 子猫は、言うが早いか、グラスの中身を一気に飲み干すと、椅子から立ち上がる——否、四足歩行の体勢になって、椅子から華麗に飛び降りた。そのまま、四足でお店の出口に向かって、そそくさと歩き出す。


「ほら、早くしなさいよ、ちんたらしていないで」

「ああ……うん」


 夢の中の展開が、脳の処理速度を遥かに超えてしまっている。ひとつの脳内で起きている事象とは、到底、思えなかった。

 どうせ、暇であることに違いないので、とりあえず、子猫に言われるままに、その後に付き従うことにする。

 周りに流されながら、ただ、その場をやり過ごす。

 そんな生き方が、夢の中でも再現されているようだった。


 ——古びた音を鳴らしながら、重たい扉が開かれる。


 扉の先には。

 眩しい太陽の下、青々とした草原が、どこまでも、どこまでも広がっていた。


「こっちよ」


 先導してくれている子猫が、草原の中を突き進んでいく。

 わりと背丈のある青草なので、子猫の姿は、ほとんど隠れてしまうけれど、草の上に、ぴょこんと飛び出て、左右に揺れている、黒い尻尾が、ちょうどいい目印になる。


「きみに付き合うのは構わないけれど、せめて、今どこへ向かっているのかだけでも教えてほしいな」


 思わず、『きみ』と呼び掛けてしまったけれど、そう言えば、この子猫の名前を訊いていなかったことに、遅まきながら気が付いた。そもそも、名前があるのかさえ、わからない。まだ名前のない猫かもしれない。


「駅よ」


 益体のない思考に走り始めていると、前を行く子猫から、短い返答があった。

 しばらく歩くと、駅の改札が見えてきた。

 草原のど真ん中に、自動改札機が横一列に三四機ほど並んでいる。

 そこを通り抜けると、長いエスカレーターが見えた。エスカレーターは、青空に向かって、天高く、延びている。子猫の後に続いて、そのエスカレーターを登りきると、駅のホームへと辿り着いた。ホームの周囲を見渡してみれば、そこは青々とした海だった。海は、波一つ立っていない、穏やかな表情を見せている。きらきらと、太陽の光が水面に反射して、眩しかった。いつだったか、海岸線から覗いた景色を思い出させる。

 「もうすぐで、電車が来るわ」

 「その電車で、いったいどこへ向かうんだい?」

 その問いかけに対して、子猫は、ごろごろと喉を鳴らすと、こちらを見上げて言った。

 「逆に訊くけれど、あなたは、どこか行きたいところは、あるかしら?」

 「……どこでもいい」やや間を開けてから、答える。「どこか、遠くへ、人間の世界じゃあない場所へ連れ出してほしい」

 ごろごろと、またもや、子猫は喉を鳴らした。

 「本当に、変わった人間ね、あんた。人間のくせに、人と一緒にいるのが嫌なのね」

 「——人間だからこそ、だよ。基本的に、人間というのは、他人に興味がないんだよ」

 この返答に、子猫はぴくりと、その愛らしい耳を動かした。

 「そうなのかしら? よくわからないわね。でも、まあいいわ。あんたが望むのなら、こうしましょうか」

 子猫がそう言ったタイミングで、海の向こうから、電車が近づいてくるのが見えた。やがて、電車は駅のホームへ停車する。どの車両にも、人は乗っていないようだった。

 「これから、あんたには、この電車で、がたごと揺られて、ふたつの場所に行ってもらうことにするわ。全部めぐり終わったら、もう一度、この駅へ戻って来るの、いいかしら?」

 その説明を聞いて、いったいこの不思議な子猫が、何をさせようとしているのか、ついぞわからなかった。まったく、わからないことだらけである。

 ただ、唯々諾々と、子猫に従うまま、電車へと乗り込む。

 肝心の子猫は、しかし、駅のホームに行儀よく鎮座したまま、その場から動こうとしない。

 代わりに、こう言う。

 「わたしは、時々、あんたの旅の様子を見させてもらうから。せいぜい楽しませてよね」

 電車の扉が閉まる直前、子猫の声が耳へと鮮明に届く。

 「——最後に、あんたに、ひとつだけ質問をさせてもらうわ。——あんたは、人間が嫌いなの?」

 電車が動き出す。

 次の停車駅へ向けて走り出す。

 最後に、子猫から訊かれた質問——それは、答えるまでもなかった。



  



 雨が降っている。

 しとしと。

 しとしと。

 最初、意識は、すっかりとこの雨音に向けられていた。

 それから。

 聴覚に続いて、視覚もようやく機能し始める。

 そこで初めて、無機質に雨音を奏でる傘、その外に広がる風景があることを知った。

 しとしと。

 しとしと。

 墨汁のごとく黒い雨に切り裂かれる風景は、一様に灰色に染まっている。

 そして。

 そんなモノクロの風景は、しかし、目を凝らすと、よく知る町並みであることに気が付く。同時に、生まれ育った町というのは、原初風景として、こうも目に焼き付くものなのだなあと、つくづく実感した。

 小中と通い続けた母校への通学路などは、目をつむってでも、何ら支障なく辿り着けるのだろう。などと考えていると——今まさに、両足で立っているのは、その学校近くの横断歩道前だった。傘をさして、ひとり、目前の信号の色が変わるのを待っている。

 いったい、いつから、何のために、ここにいるのかは、ついに思い出せなかった。けれども、それは、どうせ、思い出せたところで、あまり意味のないことのように思えた。

 ただ。

 信号の色が赤なのか、青なのか、どうにも判然としない、モノクロの世界に、ひとり、佇むばかり。——その状態が、堪らなく不安で、不安で、やがて、意を決し、雨の向こう側へと駆け出した。

 駆け出して、あそこが、もはや信号が不要とさえ思えるほどに、滅多に車両の通らない、小さな横断歩道であったことに思い至る。右からも左からも、いつまでたっても車両が一台もやって来ない。——それでも、あの赤信号は渡れない。渡ってはいけない。子供ながらに、それは絶対だった。勿論、そこには、用心とか、臆病とか、そういったものとは全く異なる事情が存在する。

 心の間隙に生じた罪悪感は、やがて膨張して、胸を内から破壊しようとする。

 それに抗わんとして、ただひたすらに、雨の中を駆け抜けた。

 そうしているうちに。

 ——河川敷に出た。ここも見覚えのある場所だ。子供の時分に、よく遊んだ場所。

 河川敷には、大きな樹があって、その下に人が大勢、集まっている。

 その全員が、黒い傘を差して、黒い服を纏っている。その光景は、ここがモノクロの世界であることを考慮しても尚、形容しがたい異様さを伴わせていた。

 ——けれど、真に異様だったのは、何よりも異質に映ったのは、やはり、その一人一人が一輪ずつ手にしている花だろう。花は、このモノクロの世界で唯一、色が付いて見える物体だった。白に、青に、黄に、赤に、紫もある。

 その彩色の美しさよりも、不気味さの方が際立って映る。

 こんな光景を前にして、平生ならば、踵を返してこの場をあとにしたであろうが、この瞬間は何故か、人の集まるあの場所で、一体何が行われているのか、無性に確かめたくなった。「そこに行かなくてはならない」という使命感にさえ襲われた。

 そうして。

 一人、樹の下へと近づいていく。

 誰も、その接近に気が付かないのか、あるいは、無関心なのか、こちらを振り向く素振りさえ見せない。

 集団は、ただ一点にのみ注目している。

 その中心に、一人の女性がいた。やはり、黒い服に身を包んでいる。

 俯きがちで、女性の顔は、よく見えないけれど、彼女の周辺には、どこか、もの悲しい空気が漂っているような気がした。

 彼女の周りに集まる人々は、各々、彼女の傍らに屈み込んで、何かをしている。

 よくよく注視してみれば、女性の傍らには小さな墓石があった。彼らは一人一人、手にした花を一輪ずつ、この墓石へと供えてゆくのであった。

 ——なるほど。これは誰かの葬式なのだと思った。

 そう思った時にはすでに、この参列の中へ組み込まれており、ちょうど、前方にいた人が、花を供え、手を合わせるところだった。

 ——まずいな、と思う。

 両の手に視線を落とす。

 その手は、この集団の中で唯一、これから供えるべき花を、一輪も有していないのだ。

 これは、非常にまずかった。

 周囲を見渡す。先ほどまでは、こちらに対して、まったく無関心だったはずの参列者達の視線を強く感じる。

 女性と初めて目が合った。

 そのまま消えてしまいそうな、儚げな表情を浮かべている。

 視線を、女性から逸らし、墓石へと向ける。

 そこで。

 いったい、これが誰の葬式なのか、認知した。

 その瞬間。

 ――はっと、思わず声が漏れてしまっていたに違いない。

 どうして今まで気が付かなかったのだろう。

 墓石の下には、たくさんの色鮮やかな花が供えられている。

 ——その花々に囲まれるようにして、幼い少女の顔が、外界を覗いていた。

 その瞳は重く閉じられている。もう二度と開かれることはない。

 少女の顔は、傍らに佇む女性の顔に、どこか似ていた。

 その事実に気が付いて、ふと、女性の方を見やる。女性は、おそらく、ここで眠る少女の母親なのだろう。

 すると。

 わっと。

 ——彼女は、突然に、泣き出した。

 自らの娘を亡くした母親が泣いている。目の前で。

 何故。

 ——どうして。どうして、彼女が泣き出す、この瞬間に、彼女の目前に居合わせてしまったのだろう。

 ただでさえ、この場において、ただ一人、供えるべき花を手にしていないというのに。

 これじゃあ、まるで。

 ——この様子を、皆が見ている。黙して、ただ見ている。

 こうなれば。こうなってしまえば。

 ここで、取るべき行動は、一つしかない。

 決まっている。

 彼女の涙を止めるべく、彼女に声を掛ける。——掛けなければならない。

 慰めなければならない。——慰めようとしていることを、伝えなければならない。

 大丈夫だと。

 だから、お願いだから、これ以上、目の前で泣くのは止しておくれと、そう主張するのだ。

 わかっている。

 それこそが、この状況を打開する唯一の方法だった。

 なのに。

 ——彼女に声を掛けることが、一向に叶わない。

 いざ、慰めの言葉を掛けようとして、声が出なかったのだ。

 声が出せなかった。

 心の内では、こんなにも、必死に、彼女に向ける言葉を紡ぎ出そうとしているのに、何故か、それが喉を通じ、空気を震わせることはなかった。

 彼女に向き合いながらにして、一言も発することが叶わぬまま、虚しく、ただ、時間ばかりが経過していく。

 この状況が続くのは、非常によろしくない。

 長く続けば、続くほど、胸が内側から破壊されていく。その破壊の衝撃はやがて、全身へと拡大し、矮小なこの身一つ程度、ひとたまりもなく灰燼に帰してしまうだろう。

 一言も声を発することができないまま。

 ――現に、身体は小刻みに震え出していた。

 すわ、ついに、全身の崩壊が始まったかと、錯覚した。

 このまま、この身は跡形もなく崩れ落ち、この世から消え去ろうとしている。

 それでいい。

 その方が幾分、楽なのだ。

 ――この身を、衆目に晒され続けるという苦痛を味わうよりもずっと。

 だから、一刻も早く、この場から消してもらいたい。さあさあ、早く、消してしまえ。

 ――けれど。

 いつまで経っても、この身は、一向に消滅する気配がない。

 不審に思い、確かめる。

 両の手は、未だ空っぽのままだが、確かに存在する。足は地についている。瞳は、モノクロの世界をはっきりと映している。

 その視界には、目前にいる女性の姿も映り込んでいた。

 そこで。あ、と思う。

 この身体の震えは、破壊による振動ではない。

 この振動によって、この身が、世界から崩れ落ち、消え去るという事象は起こらない。

 むしろ。

 消え去るのは。本当に、この世から消えてしまいそうなのは。

 ――目の前で泣いている、一人の母親だった。

 あと、ほんの僅かな衝撃さえ与えれば、ぽっきりと折れてしまいそうな、崩れてしまいそうな気がする。

 すなわち。

 掛けるべき言葉を、少しでも間違えれば、彼女は、忽ちに、壊れてしまいかねなのだ。

 無意識は、その事実に、ただ、恐怖していた。彼女を壊してしまう要因となってしまうことが、どうしても、堪らなく、怖かった。

 それ故に、この身体は震えるのだ。

 怖い。

 怖い。

 怖い。

 目の前で、半身を失った母親が泣いている。衆目がそれを見ている。その渦中にいながらにして、何もすることができない。彼女を慰めようにも、恐怖に支配されたこの身からは、一言も声を発することが許されない。何かを言おうとして、結局、何も言うことができない。衆目が、またそれを見ている。何かしなければならない。また何もできない。それが、永遠とも思える長い時間、繰り返される。

 ただ、ただ、時間だけが過ぎ去ってゆく。

 ついに、雨は止まなかった。



 



 天気は快晴だった。

 電車から降りると、無人駅には、我々三人のほか、誰一人見当たらない。普段、都心部で生活をしている我々にとっては、物珍しい光景だった。

 「すごい駅だな」と、思わず声が漏れてしまう。「すごい、すごい」と後の二人も追従する。小ぢんまりとした、平屋の駅舎を写真に収める。初めて降り立った地ではあるが、どことなくノスタルジーを感じてしまう。

 それから、駅舎の壁に、フリーWi-Fiの利用案内が貼ってあるのを見て、また驚く。人間の技術の進歩を、こんなところで感じようとは、夢にも思わなかった。

 「宿まではあとどのくらいだろう」

 K君が尋ねてくる。

 「ここから、一キロくらいだから、あと十五分も歩けば着くだろう」と答えてやると、露骨に嫌そうな顔をするK君。都会人のK君は慢性的な運動不足だった。時計を確かめると、チェックインの時間まで余裕がなかったので、気持ち急ぎ足で、我々は宿へ向かった。六月上旬とは思えないほどに強い日差しに焼かれながら、ようやく辿り着いた宿の前で、ちょうど、送迎バスの清掃を行っていた従業員の男性から出迎えを受ける。

 「送迎バスもございますので、ぜひご利用くださいね、お客様」

 その言葉に、我々は顔を見合わせて笑った。

 「帰りは送迎バスを使おうか」

 それから。

 部屋に通されるなり、早々に荷をほどくと、大浴場へと向かった。皆、ここまで歩いてくるのに随分と汗を流したので、一刻も早く、温泉に入りたかった。幸いなことに、大浴場には、我々のほかに宿泊客はおらず、完全貸し切り状態で温泉を堪能できた。

 温泉の後は、宿自慢の創作料理に舌鼓を打つ。前菜に、焼きとうもろこしが登場したのは意外だった。横からK君の箸が伸びてきて、自らの分の焼きとうもろこしを、我が皿に置いて行った。K君は、とうもろこしが苦手だった。次に出てきた、茄子を使った料理も絶品だった。横からK君の箸が伸びてきて、自らの分の茄子を、我が皿に置いていく。K君は、茄子が苦手だった。メインの鮎の塩焼きは、身がしっかりとしていて、これまた絶品だったが、骨を取り除きながら食すのには、中々に骨が折れた。ふと、対面に座るH君を見ると、彼の皿の上は、何一つ残っておらず、きれいなものだった。「おい、鮎の骨はどこへやったのだ」と尋ねると、H君は「食べてしまった」と事もなげに答える。幼い時分より、魚は綺麗に食しなさいと教えられてきたH君は、常人とは鍛え方が違うのだと言う。我とK君は、皿の上に小骨を吐き出した。デザートのメロンは、K君が苦手だったので、K君の分のメロンをH君と分けて美味しくいただいた。

 夜八時過ぎ、宿の人が、蛍を見せに連れて行ってくれるというので、我々を含めた宿泊客達は、蛍が見られる川辺にいた。初め、辺りは真っ暗で、ただ、深淵だけが広がっていた。歩いても、歩いても、足下さえ判然としない暗い道が続くばかり。本当に、こんな場所に蛍がいるのか疑わしくなってきた。不安になって、前を歩くK君とH君の二人に尋ねる。二人からは、「大丈夫だろう」という、短い答えが返ってきた。本当だろうか、と思った。やがて、道幅の広い場所に出た。ちょうどその時、ふと、目の前を何か光るものが横切った。「蛍だ」と誰かが声を上げる。躍起になって、光るものが横切って行った、その先を目で追った。すると、さっきまで、真っ暗で何も見えないとばかり思っていた川辺、その中で、ちらほらと極小の光がさまよっている事実に気が付いた。さらに夜道を歩いてゆくと、その光の数は徐々に増していった。心なしか、闇の中に浮かぶ光の輝きも強く感じるように思えた。暗闇の中を歩き続けたことで、目が暗さに慣れてきた結果である。気付けば、周囲はたくさんの蛍の光で満ち溢れていた。ただ、暗さに慣れていなかっただけで、蛍達は、初めからそこに存在していた。なんだか不思議な心持ちがした。

 これは、来た道を引き返す時に気が付いたことだが、どうやら、ずっと、朧月が闇夜を照らしてくれていたらしい。隣を見ると、K君が月の写真を撮っていた。蛍の光は写真には写らなかったけれど、月の写真はとても綺麗に撮ることができたと喜んできた。この日、三人で蛍と月を見られたことが、何よりも嬉しかった。


 


 電車が駅に停車する。

 ホームへ降り立った『私』を出迎えてくれたのは、あの子猫だった。

 「お帰りなさい。この旅はいかがだったかしら?」

 「君は嘘をついたね。どちらも全然、人間のいない世界なんかじゃあなかったぞ」

 「あら? わたしがいつ、あんたの希望通りの場所へ連れて行ってあげるなんて約束したかしら? 人に興味がないし、人を疑うこともしないのね、あんた。まあ、わたしは人じゃあないけれどね」

「ああ、人でなしの猫だよ、君は」

 これまでのやり取りで感じてはいたけれど、どうやら、この子猫が黒いのは、何も毛並みに限った話ではないらしい。

 この旅を通じて。

 この夢を通じて。

 己の内面をまざまざと見せつけられた。

 「じゃあ、こっちは答えを訊きそびれた質問を改めて訊かせてもらうわね。この夢の旅の駄賃だと思って、答えなさいな。——あんたは、人間のことが嫌い?」

 旅の駄賃と言われてしまっては、拒否権の行使は難しそうだった。ここは、素直に従おう。

 「嫌いじゃないよ。好きでもないけれど」

 「それは知っているわ。だから、あんたは、人に興味がないっていう話になるんでしょうね。……じゃあ、質問を変えるわ。——他人に興味が持てないあんたは、これからも、そうやって、誰とも関わらずに、ずっと一人で生きていくの?」

 その質問に対しては、きっと、以前ならば、答えることはできなかったであろう。

 けれど。

 今は違う。


 「いいや。誰かと関わって、繋がって生きていくよ。だって——ひとりは寂しいもの」


 夢は、心の内を整理するために必要なプラットホームだった。

 そうして、『私』は長い夢から覚める。

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