群青
GRI本部で暮らし始めて数日が経ち、オルダー襲来まで残り一日もなくなった。時計の針は無情にも深夜十二時を指している。
二階のベッドにうずくまり、何度も寝返りを打つ。どうにもしっくり来ない。
また命が散っていく。
自分の番まで、あと少しだ。
運良く生き延びても、町の人々は俺たちを快く思わない。殺意を抱かれ、最悪の場合は殺されてしまう。
――皆、痛そうだったな。
最悪なのは丸山の死に方だ。けれど、浜田の死に方は失望感が大きそうだ。
また寝返りを打つ。下敷きにして伸ばした左腕の指先を見つめる。
いっその事、逃げてしまいたい。
全てが怖くて仕方がなかった。月明かりに照らされた指が震えている。
どうせなら、この命を自分で終わらせたい。
自分で終わらせるなら、何も怖くないのに。
「……ああ、そうか」
深い夜の暗闇の中、俺ははっと目を見開いた。
俺たちを嫌う町を守らないといけない責任。いつ死ぬかもわからない恐怖。自分が変わってしまうような恐怖。その全てから、同時に逃れられる方法を、見つけた。
嫌ならば、終わらせたらいい、こんなこと。
俺はむくりと起き上がる。ふと横のベッドを見ると、ぐっすりと眠った康弘が居た。途中で起きる心配はないだろう。大丈夫そうだ。
ゆっくりと息を吐き流す。
全て、出して。
俺は仰向けにベッドに寝転んだ。白色の天井が目に入る。
――これが、最後の景色になるかもしれない。
ゆっくりとまぶたを閉じる。
視覚のない暗闇の中で、両手を首に添えた。
「実里、起きろよ」
激しい倦怠感に顔をしかめながら、俺はゆっくりとまぶたを開いた。霞む視界に、見慣れた制服のズボンが飛び込んでくる。
部屋の中が明るい。もう朝になったらしい。
俺は生きている。
つまり、失敗した。
それが喜ばしいような、虚しいようなよくわからない気分になる。
「ふは、ひっでえ顔。早く顔洗えよー」
「うーん……」
ベッドの脇で康弘が笑う。その顔には楽しさなどなく、疲れしか浮かんでいなかった。声も平坦で、動きも遅い。
ついに、八月一日が来たのだ。
夏休みをいいことに、部活にも顔を出さなかったから実感がわかない。
今日、小林が死ぬ――可能性がある。
俺は逃げられなかった。その事実が深く心にのしかかる。
思い詰めた表情の卯乃が頭を過ぎった。このあとも、やっぱり人が死ぬ。なら今回も……。
GRI本部の二階。男女で区切られた仕切り。俺は無意識に、その向こう側にいるはずの小林を見つめた。
――一体、何が彼女を操縦士に駆り立てるんだろう。
ずっと、小林は俺と似たタイプの人間だと思っていた。でも、俺には命を危険に晒してでも戦うなんて、できっこない。昨晩の行動がいい例だ。
丸山は仲間に貢献したくて。
柴田は彼の仇を打ちたくて。
浜田は自分の正義を信じて。
じゃあ、彼女は。
先の卯乃は、康弘は。
卯乃の声が鮮明に蘇り、脳を駆け巡る。
――あなたがレーヴに懸ける夢は何?
俺は、なんのために戦うんだろう。
答えは何も浮かばない。
大きくため息をついて、首を振る。駄目だ駄目だ。オルダーの襲来がすぐそこまで迫っていて、センチメンタルになってしまった。
随分と前から俺の心を悩ませてきた、二つの意思。依然としてどちらも主張が激しいが、最近では恐怖の方が強まっている気がする。
怖い。だから、辞めたい。今はそれだけ。
やっぱり、俺がオルダーに殺されたがっているなんて、ただの間違いだった。
顔に水を叩きつける。滴る雫を見届けたあと、ゆっくりと顔を上げて呟いた。
「……神崎さん」
誰かにこの悩みをうちあけたい。そう思った時、真っ先に頭を過ったのは彼だった。
でも、こんなことを言って引かれるのも嫌だ。
あの人に嫌われるということは、数少ないの理解者と
一階におりて外に出る。
空気を胸いっぱいに吸い込む。どれだけ吸い込んでも頭はぼんやりしたままだ。呼吸が浅いのか。脳みそに酸素が足りていない気がする。
俺はそっと首元に右手を添える。昨日の夜を思い出して、ため息をついた。
「おはよう、久米川君」
俺は振り返る。卯乃がこちらにやってくる。咄嗟に手を下ろして挨拶を返した。
「卯乃。おはよう」
「昨日の晩は大丈夫だった?」
卯乃は首を傾げて、俺の目を見つめていた。俺は何度か瞬きをして、「え?」と間抜けな声を漏らす。
彼女が一歩、また一歩と前に出る。
「辛かったんでしょう。だから逃げようとした。でも逃げられなかった」
「なんの事だかさっぱり……」
誤魔化そうとする俺の頬に触れて、卯乃が心配そうに目を細める。
「体は大事にしなさい。怖いならそばにいてあげるから」
その一言で気がついた。バレていたのだ。同じ仕切りの内側にいた康弘は気づいていなかったのに。向こうにいた彼女は気づいていた。
昨日、俺が深夜に何をしたのか。そしてその理由を。
「気分転換に少し、散歩しない?」
卯乃という存在に戸惑いながらも、俺は平然を装う。
「オルダーが来るのは三十分後だろ。よくそんな呑気でいられるな」
「そう? 私からすると、あなたは少し神経質になりすぎているけれど」
そうなのか。俺にはわからない。普通でいたつもりなのに。
涼香は俺の目を真っ直ぐと見つめながら、ゆっくりと口を開いた。
「ねえ、私も実里君って呼んでもいい?」
「別に構わないけど」
「よかった。皆は名前で呼びあっているのに、私だけ苗字は悲しかったから」
ストレートな感情表現に、思わずたじろぐ。
「……へえ」
「あなたも涼香でいいわ」
「あ、そう」
頬から手がするりと移動し、俺の右手に絡んでくる。繋がれた手を呆然と見つめる。言葉が出なかった。頭の理解が格段に遅くなっている。なんでこうなったんだっけ?
「折角だから、海に行かない?」
「……今は夏休みだ。いつ町の人と出くわしても、おかしくない」
「大丈夫。そんなことにはならない」
されるがままに腕を引かれて、俺たちは本部から離れていく。車通りのない道路を歩き、しばらくして畑が目に入った。辺りを見渡しても誰もいない。脇道を下り、無心に前へと進む。
海が見えてきた。砂浜に足を踏み入れて、遠くを眺める。
「……やっぱり真っ青だな」
「そうね」
海の音を聞いて、脳裏に浜田の死に様が浮かぶ。俺は顔をしかめ、吐き気をこらえた。
ふと疑問が湧いてきて、俺は涼香を見た。
「……そういえば、浜田は人間に殺されたわけだけど」
「なに?」
「核は……どうなったの」
「壊れたわ」
あまりにあっさりと告げられて、俺は目を見開く。
「彼が死んだのは、次の戦闘が始まる前だったでしょ。だから、リセットが行われていなかったのよ。要はあの時、浜田君とレーヴの核は、見えない糸で繋がっていた」
「それが乗っていなくても壊れた理由?」
「そうよ」
しばらく間、気まずい沈黙が漂う。
おもむろに涼香が口を開いた。
「あそこを見て」
伸びる指先を追うと、波打ち際にしゃがみこむ少女の姿があった。
「……アズ?」
その少女は小林瑠璃――我らがアズライトだった。
どうしてあんな所に。
少し近づいてみると、小さくハミングが聞こえてきた。綺麗な曲だ。素朴でか細い歌声が、波音の隙間を縫って耳に届く。
「群青。合唱曲よ、知らない?」
「知るわけないよ」
ウチの高校には合唱コンクールがない。よって、俺のような人間は合唱に触れる機会がない。どうやって知れというんだ。
突然、涼香が俺の背中を押してきた。不思議に思って振り返ると、顎で前に出ろと促される。
恐らく、彼女に声をかけろということだろう。
「……アズ」
「み、実里君っ?」
彼女は勢いよく振り向いた。
「ど、どうしてここに?」
「散歩していたら、見かけたから」
「……聴いた?」
「歌なら、まあ」
アズは恥ずかしそうに頬を赤らめる。気まずい沈黙が漂う。俺は話を広げようと何とか話題を絞り出した。
膝を曲げて、隣にしゃがみこむ。
「よく知ってるね。合唱なんて、触れる機会ないのに」
「好きなの」
「合唱? 凄いな」
「ううん、そうじゃなくて」
控えめに首を振り、アズはスカートのポケットをまさぐる。中から、青色のお守りがでてきた。
「群青が好きなの」
左手のうえに載ったお守りは、紫にも似た濃い色をしていた。この色を、どこかで見たことがある。
「これ、私のお父さんがくれたの、中学一年の時に。お父さんからの、最後のプレゼント」
「最後?」
「しばらくして亡くなったから」
不謹慎な話題だったかもしれない。俺はぎょっとして彼女を見つめたあと、ため息とともにあーと声を漏らした。
見かねた小林が苦笑する。
「……別に大丈夫だよ? まあ、お母さんまで死んでたら、どうにかなっちゃってたかもしれないけど」
俺は頭をかき、どうにか明るい話題に変えようと模索する。
「誕生日プレゼントに御守り一つっていうのも変な話だね」
「ふふ、誕生日プレゼントじゃないよ」
アズが笑う。確かな手応えに安堵しながら、俺は首を傾げる。
「じゃあ何?」
「見つけたから買ったんだって」
「……お守りを衝動買いか、珍しい」
俺はおかしくなって口元を緩ませる。
「この色、群青っていうの」
「群青」
先程の音楽と同じ名前だ。群青が好きというのは嘘じゃないらしい。
アズは目線をお守りから遠くの海に移す。
「この色は、ある鉱石からできてるの……まあお父さんは、ラピスラズリの瑠璃色と勘違いしてこれを買ってきたんだけどね。ほら、私の名前とおんなじ」彼女はそう言ってはにかむ。
「本当は、何の鉱石だったの?」
「アズライト」
少し息が詰まった。どこかで見た色だと思ったが、レーヴの文字の色だったのか。
今思えば、二日前に名前の呼び方を決めた時に「アズライトのアズがいいな」と言っていたのは、小林瑠璃本人だった。
「私に与えられた宝石と同じ色のお守り」
その左手がゆっくりと閉じられる。
「これがある限り、私はオルダーと戦えるよ」
「へえ……」
俺はじっとそのお守りを見つめる。それが奪われたら、彼女はどうなるんだろう。
――あれ?
とんでもなく邪悪な考えが過ったことに、俺は驚いた。なんで急にそんなことを。
俺の困惑に気づきもせず、アズは静かに微笑んだあと立ち上がった。
「……さて、そろそろ行こう」
涼香の存在を思い出す。置いていくのはさすがに悪いよな。
「うん。けど、少し先に行っていてくれない?」
「遅れないようにね」アズが瞼を閉じて呟く。「イントラーダ」
アズが消えたのを見届けたあと、俺は振り返る。涼香は木の影で楽しそうに俺の事を見ていた。
「どうした?」
「特に何も。それにしても会話がぎこちないわね」
「うるさいな……」
「でも、今のって重要な会話だったんじゃない?」
「今のどこが」
たっぷりと間を開けて、涼香は答えた。二本の指が天を指す。
「彼女の好きな物と、その
涼香の薄い唇が、歌を歌うような軽やかさで言葉を紡ぐ。
「そしてそれは、すぐに明らかになる」
彼女の呼吸が鮮明に聞こえた。それに合わせて、声を出す。
「イントラーダ」
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