所望で赤信号を渡る

宮世 漱一

第1話

 夏を知らない僕と、空を知らない琴葉が始めた不思議な物語。


 僕とクラスメイトの琴葉は高校三学年である。初めて知り合った琴葉は、端の方で空を睨んでいるような僕へと声をかけ親交を深めようとしてくれたことで今の関係が築けている。

 して、梅雨が明けて雨も暮れ、

 七夕月という名の初夏の頃。僕は琴葉と当たり障りのない考え深くもない会話をしていた。

「すっかり雨も降らなくなっちゃった。夏が来たの」

「大輔、夏は好き?」

 僕の夏にいい思い出はなかった。けれどはっきり好きでは無いと拒むのもなんだから、とりあえず「そうだね」という答え方をした。

 僕が曖昧な内気な返事をしてしまった為なのか、僕より少し空の青へと向いている琴葉はどこか不満であると言わんばかりの顔をしていた。

 僕は迷った。琴葉に僕が今のように答えた理由を打ち明けようかと。迷ったというのは、彼女とはある程度仲が良いが、それ故に僕が変人だと思われてしまう恐怖が目に見えたからだった。

 さらに雲が進み、沈黙が流れ始め、そんな情景に耐えきれなくなり、事実を冗談っぽく言い出した。

「琴葉、実は……」

「僕は夏を知らないんだ」

 冷たい風が吹いた。琴葉の表情など見る暇なく、事細かな内容を、早口で語ることに精一杯だった。

「知らないと言ったらニュアンスが少し違うけれど、僕は八月一日から八月三十一日の間、意識が無くなるんだ」

「夏は嫌いじゃないけど、新しい夏はもう来ないから、楽しみ…ではない…とか」

 少し苦笑いをしながら、曖昧な感じで話してみた。実際本当のことだけど、こんな話信じてもらえるはずがないと思っていたから、

 琴葉に少し引かれてしまうかな。

「そっか……」

 しかし琴葉は言った。

「それじゃあさ。」

「私は空の色を知らない。」

 そう答えた表情は何処か寂しそうな顔をしているようだった。僕はまさかの返事に言葉にならない合図地を一言返すことしか出来なかった。

「私は空の色が白黒に見える。でも色ははっきり全色見えるよ。海の色とか、青色のクレヨンとか。でも空だけ。本物の空だけが見えない」

「…って大丈夫?」

 しばらく目を見開いていた僕に藍は声をかけた。

「…ああごめん。初めてなんだ。同じような人に出会ったの」

「それは私も同じだよ」

「変わり者って案外身近に居るものだね」

「ここで私達が出会えたのも、なにかの運命なのかもね」

 運命というより奇遇なのか、しかし僕はそれに感謝した。

「私は生まれつきでは無いんだけど、空をはっきりした色で見た記憶がないんだ。昔は見えていたはずなんだけど」

「でもね、一度見た空だけは頭から離れないんだ。」

「何年か前。その時の空はたしか、快晴だったんだ。空は本当に絵の具で塗りつぶしたみたいな綺麗な真っ青だったの。大好きな人と二人でそれを眺めてたんだ。」

「…素敵だね。そういうの。その人のことはまだ好きなの?」

「…大好き」

 琴葉の顔は照れているようで、泣きそうなような複雑な顔をしていた。

「もう会えないけどね」

 その笑顔が少し不気味に感じた。

「でも後悔はないよ…」

 そう言って少し笑うような素振りを見せた琴葉の顔に目を少し奪われながらも、僕らは会話をしていた。

「ねえ、大輔には夏が一回も来たことがないの?例えば小さい時とか…」

「僕は…中一の夏から意識が無くなるようになったんだ。その前の記憶はこれといった思い出がないからなのか、何も覚えてない」

「そっか。私もそのくらいの時期だったのかな。空の色が見えなくなったの。」

 琴葉には夏を知らないということだけを伝えた。本当はもっと印象的なことがあるというのに。

 仲が良い琴葉にすら言えないこの話。

「明日から夏休み。やっぱ優太は今年も意識なくなるんだよね?」

「そうだね。だから7月中に宿題とか終わらせるよ…」

「量が多いのに凄いね〜。見習いたい。私はいつも提出ギリギリ。なんなら登校日まで終わってないくらいだからさ…」

「へ〜以外。きっちりしてそうなのに。」

 もうすぐで夏を迎える。何年目かのあの日を迎える。

「あーあ。もっと早くこの話言えばよかった〜!!」

 琴葉が口を大きく開けて空に向かって話しかける。

「もう学生生活最後の夏で、こんなに似た人を見つけてさ。」

「もっと早く話してればもっとお互いを語れたはずなのに…!!」

「…本当にね。」

「でもさ、このままお互いの話をしないまま終えた世界線があったとしたら、経路とか日にちとか関係なく知れたことが奇跡みたいなものじゃない?」

「…なんか真っ直ぐな考え方だね。」

 琴葉が少し茶化すような感じで僕に返す。

「…変だと思ってる?」

「いや全然。真っ直ぐで綺麗な考え方だな〜ってだけ。」


 迎えた八月一日。僕はまた長い夢を見るのか。目覚めの感覚がやけに気持ち悪くて、最後の感覚がほんのり生暖かくて、それでも落ち着かなくて。今から見る夢が、一体誰の人生だったのか、毎年考える。僕の体がその誰かに変わる瞬間、僕を忘れてしまっている。誰かとして毎年全く同じ考え方、発言をするからとても奇妙だと思う。この人生が映画だと言うならば、僕は主人公、ましてやその友達にもなれないと思うし、スタッフロールにも流れない人間だと思う。ど平凡ないつもの日常と、ど平凡ないつもの僕。でも夏だけは違う。特別な、主人公にならたような気がしてくる。そういえば確か、面白いことに夢の中の彼女は誰かに似ている。

 体がどんどん浮かぶ感じがして、僕は次第に別の体へと憑依した。



 ベッドで横になる僕、眠っていたのだろうか。ずいぶんと長く熟睡していたかのような気分だった。何一つ変わった出来事がないけれど、それなりに生きてこれたみたいだ。

 そんな人生を送っていた矢先、なんだかいつも通りじゃない友の姿が。

 ジャージ姿で胸元には『白崎』と。玄関のチャイムを鳴らされ、外に出た。頭がぼーっとする中で、耳を通ったのは彼女の声だった。

「私、人を殺した。」

 僕の目の前に居る彼女は突然そう告げた。

 中学生最初の夏休みが始まり今日から八月が始まる。しかしじめじめとした生暖かい空気が漂う中、僕と彼女がいるこの空間だけ、やけに冷たく感じた。

「…何を言ってるの?」

 僕は困惑した。そりゃそうだ。だって、彼女が突然そんなことを言い出したから。

 続けて彼女は話を続けた。

 …一瞬、顔が曇った。

「だからは、もう終わりにするんだ。誰にも見送られずに死んでくる。」

 言ったことがあまりにも衝撃的で僕は言葉を失った。

「償うっていう感じではないけど…」

 冗談で、軽い気持ちで言うには重すぎる言葉だった。

「八月三十一日、また人に会う前に、死んでしまおうと思ったの。」

 彼女はナイフをチラつかせて見せてきた。

「私はもう駄目なんだよ。これ以上君と関わると、君にも迷惑がかかるだろうし、君と友達で居られなくなる。それが不安なんだ。」

「そんな…でも、僕は君がどう変わろうとも何をしてもずっと友達で居られるさ…」

「それに死ぬなんて…そんな事しないでもいいじゃないか…!」

「本当は死にたい訳じゃない。これからの生き方が見当たらないんだ。」

「……?」

 鳥肌が立つ。

 そして彼女は胸を痛め付けるような、尖った針のような声で言った。

「君との最後は死別がいい。」

「…長く話しちゃったけど、お別れの挨拶がしたかったの。もう私のことなんて忘れて。」

「私はその日まで適当にふらふらしてる。もう学校にも家にも行かない。旅をするよ。」

 そう言って君はどこかへ行こうとした。

「…待って…!」

 僕はつい反射的に声をかけた。…きっと、体が彼女との別れを拒んだんだと思う。

「…どうしたの?」

「君が死ぬと決めたその日まで、僕は君と二人で生きてみたい。」

 僕は言った。最悪の場合取り返しのつかない発言を。

「僕を一緒に旅へ連れて行って。」

「…いいの?もう二度と戻れない道だよ。」

「うん。僕は決めた。」

「そっか。じゃあ、コレからよろしくね。」

 こうして僕と彼女との取り返しのつかない赤信号を渡った。

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