神絵師
革酎
第1話
暗い室内で、作業用デスクのその一カ所だけが煌々とした光を放っていた。
それ以外は濃い闇色に包まれている為、その明るさは尚一層に際立っている。
光の正体はノートパソコンにHDMI接続したディスプレイのバックライトだった。
今、イラストレーター秋原光星の仕事用ノートパソコンから画面分割で表示されているディスプレイ上に、美麗なイラストが二枚、並んでいる。
この二枚は遠目に見れば非常によく似ており、同一人物が同じ構図、同じモチーフで描いたのかとも思える程だ。
それらの内容はいずれも、ひとりの女性が町中で携帯端末を操作している、というもの。
一方は光星の同業、即ちイラストレーターの阿山悠里が作成した。
そしてもう一方はFJKY1996という人物が作成した、とされている。
この二枚を見比べながら、光星は腕を組んだまま静かに唸った。
(見れば見る程、ほとんどトレパクだな……)
阿山悠里作のイラストとFJKY1996作のそれは、極めてよく似ていた。
細かな部分では幾つもの差異が見受けられるが、基本となる構図や絵柄、更には輪郭線やキャラクターのポーズに至るまでが、ほとんど一致している。
阿山悠里作のイラストでは、絵の中の女性は手にしたスマートフォンを胸元に掲げ、その画面をもう片方の手の人差し指でタップ操作している。
一方FJKY1996作の方では同じ顔を持つ女性が、これまたほぼ同じ姿勢で携帯電話を握り、アンテナを伸ばしている。
いずれの女性も髪型が酷似しており、衣装についてもデザインや色合いの面で多少の差がある程度だ。背景の建物や構造物に至っては、お互いに模写したのではと思える程に違いが見られない。
これらの結果から、光星が所謂トレパクを連想したのも無理は無かった。それ程に、この二枚のイラストはよく似ていた。
一般にトレパクとはトレースとパクりを組み合わせて略した造語で、他者の著作物を無断でトレース(なぞり描き)し、それをパクる(盗作する)行為を意味するのだが、これはクリエイターとしては最もやってはならない卑劣な行いとして非難される。
トレパクした作品をネット上に流す様な行為はもってのほかであり、クリエイターとしての矜持があれば、誰もやろうとはしない筈――少なくとも光星はその様に考え、これまでも決して関わらない様に努めていた。
ところが今、光星は成り行きとはいえ、このトレパク問題に首を突っ込んでしまっている。何とも皮肉な話だった。
(一体誰が、どうやって、阿山さんのイラストを……?)
光星は暗い室内で、何度も首を傾げた。
阿山悠里作のこのイラストは、実はまだ世には出回っていない。というのも、彼女の作品は現在進行中のゲームソフト企画で使用される予定であり、まだ社内でも承認前の段階に留まっていたのである。
にも関わらず、彼女が描いたものと瓜ふたつのイラストが、謎の人物FJKY1996によってネット上に流された。
これは一体、どういうことなのか。
何者かが阿山悠里のイラストデータを外部に流出させたとしか思えないのだが、光星が伝え聞く限り、その様な形跡は無いとの由。
(どっちにしても、まずはヤマコさんに僕の見解を伝えるのが先かな)
しかし、光星の手は同じくイラストレーターであるヤマコハルナとのオンライン通話ボタンを押下しようとするところで、止まってしまった。躊躇する気持ちが、どうにも拭えない。
まだ現時点ではトレパクといい切れるだけの判断材料が揃っていなかったからだ。
この時、光星の脳裏に阿山悠里の物憂げな表情が蘇った。
過日、とある出来事があって以来、光星は阿山悠里に嫌われてしまった。少なくとも光星自身は、その様に考えていた。だからここで阿山悠里を貶める様な報告を届けるのは、光星の感情的なしこりが裏に潜んでいるのではないかと思われる可能性があった。
(まだ報告は早いかな……これなら間違い無い、っていうぐらいの確証を得てからの方が良いかもな)
ヤマコハルナは光星は仕事仲間であり、自身の先輩にも当たる。
そして今回のトレパク問題――FJKY1996なる人物が作成したとされるイラストについて比較検証を依頼してきたのが、そのヤマコハルナだった。
彼女にとって、阿山悠里は大事な弟子に当たる。今でこそ神絵師と称され、多くのファンを抱える様になった阿山悠里だが、ヤマコハルナにとっては今でも可愛い妹分なのだそうだ。
そのヤマコハルナが昨日、この二枚のイラストについて光星に比較検証を依頼してきた。
ヤマコハルナは、光星がかつて携帯電話メーカーのソフトウェア部門でシステムエンジニアとして働いていた過去を知っている。
イラストレーターに転業する前は、光星はユーザーインタフェース、即ち操作画面仕様を長年担当していたのだが、取り分けデザイン仕様と実際の画面データをドット単位で比較検証する技術に長けていた。
画像データ内の細かなミスや改善点を見抜く技術は今でも健在であり、イラスト制作の際に於いても、制作依頼内容との比較や仕上がったイラスト内に潜む違和感の払拭等で大いに役立っている。
その光星の技術を買っての、ヤマコハルナからの依頼だった。
そして現在、この二枚のイラストの比較検証を進めてきた光星だが、やっぱりやめときゃ良かったかな、などと後悔し始めている。
ヤマコハルナからのたっての頼みだというからつい引き受けてしまったが、その対象がよりにもよって、光星を嫌っている阿山悠里の作品だったのは正直、辛い。
しかし、今更後悔してみたところで、もう後の祭りだった。
どういう経緯であれ、FJKY1996作のイラストを見てしまった以上は、光星は既に関係者だ。何らかの形で決着をつけない限り、後々面倒な事態に発展する可能性もあるだろう。
余計なことに関わってしまったな――光星はこの日、何度目かの深い深い溜息を漏らした。
◆ ◇ ◆
遡ること、三カ月前。
ひと仕事終えた光星のノートパソコン上で、リモート通話ソフトの着信サインが明滅した。
何事かと応答してみると、画面内のカメラ映像エリアに現れたのは、ほぼすっぴんに近しいヤマコハルナの面長な顔立ちだった。
「星君、聞いた? 今度の企画の話」
「いえ……何かあるんですか?」
光星が眉間に皺を寄せると、ヤマコハルナは何故かドヤ顔で見下ろす様な仕草を見せた。
尚、星というのは光星のイラストレーターとしてのハンドルネームで、正確には星アキラという。
当然ながらヤマコハルナもハンドルネームだが、光星は彼女の本名は知らないし、知る必要も無かった。お互いに相手を認知出来る名前が分かっていれば、それで良いのである。
ともあれ、光星は次の言葉を待った。
「じゃあ教えてあげる。来月ね、マツカネさんから新しいゲーム企画の話が出てくるんだけど、そのメインイラストレーターに、星君が選ばれたみたいなの」
「え、それ、マジですか?」
一瞬、小躍りしたい気分に駆られた光星だが、過去に何度か同じ様な話でぬか喜びをした経験がある為、素直には笑えない。ここはひと呼吸入れて、じっくり相手の話を聞くのが吉だろう。
「んで、どんな内容なんです?」
「育成系のシミュレーションゲームみたいよ。まぁそれ自体は別に大した話じゃないんだけど、問題はサブイラストレーター。実はね、私と悠里ちゃんが務めることになるみたいなの」
今度こそ光星は本気で小躍りしかかった。
仕事仲間としての付き合いが長いヤマコハルナと、同じゲームソフトで仕事が出来るのは勿論嬉しい。だがそれ以上に光星を高ぶらせたのは、阿山悠里の名がここで飛び出してきたからだ。
阿山悠里は神絵師と称され、全国に多くのファンが居る凄腕のイラストレーターだ。
業界雑誌に写真付きのインタビューが掲載される程の人気ぶりで、実際彼女はルックスも良く、芸能プロダクションにスカウトされるレベルの整った顔立ちの女性だ。
光星も阿山悠里に対して性的な魅力を感じるひとりではあるが、しかしそれ以上にイラストレーターとしての技術と作風が、光星の心を掴んで離さない。
彼女の様な絵は、どうすれば描けるのか――光星得意の比較検証テクを駆使しても、あの技術は到底盗める様な代物ではなかった。
その阿山悠里をサブに迎えるというのだから、光星にとっては奇跡の様な話だろう。
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