魔獣の国に嫁ぎました
重原 水鳥
魔獣の国に嫁ぎました01
1
私の名前はファリダ・ミゲル・コンデ。アズワンド王国のコンデ伯爵家の娘である。年齢は今年で十八歳になる。
さて。伯爵と言っても、わが生家であるコンデ伯爵は、伯爵の中でも下の上。いや、嘘だ。辛うじて下の下ではないが、それぐらいだろう。
しかし貧乏であった訳ではない。父母姉との四人が生きていくのには十分なお金はあった。数は少なくとも執事、メイド、料理人などもいた。更に姉には優しい上流伯爵の家系の婚約者と結婚し、私も中流伯爵ではあるが家ぐるみで仲の良い幼馴染兼婚約者がいた。幸せだった。
ところが。
なんと、驚いたことに。私の幼馴染兼婚約者様は、王女に一目ぼれをされてしまったのだ。我が家ではこれを通称「一目ぼれ事件」と呼んでいる。
詳しいことは知らない。社交界で出会ったのだろうとは思う。コンデ家は裕福とはいえなかったので、社交界にもそこまで顔を出していない。幼馴染兼婚約者が出る時は大半が一人で行っていたようだ。
それに貴族と言えど、私は下流伯爵の娘。王女様なんぞ遠すぎる存在だ。王城だって、成人の儀で招かれた時しか入ったことがない。なので想像力も足りなかった。一目ぼれをされたから、何が起きるのか分からなかったのだ。今だって分からないが。
だがとにもかくにも私はその一目ぼれ事件のせいで、ひっどい目にあったのだ。
まず、幼馴染兼婚約者から婚約破棄をされた。
次に、その理由は私にあるとして冤罪(私が王女様に嫌がらせをしたとか、なんとか)をふっかけられた。全て事実無根だ。
加えて、このまま私が国内にいるのは嫌なのだろう。その罪を許す代わりに、山を越えた向こう側に広がる魔獣の国へ嫁げ、とのお達しだ。しかも国王陛下から勅命の。
(冤罪の)罪を許してやるから国外へ行け? ちょっとよく分かりませんね。
などとは、口が裂けても言えない。
なにせ相手は王族、こっちは伯爵界隈の隅っこに生息している下流伯爵家の娘である。
父も母も、すでに嫁いでいた姉も心配してくれた。が、もう私は考えるのも面倒になってその提案を受け入れた。こっちにはなんの後ろ盾もない。私には物語の主人公のように、特別な力を使える血なんて流れていないし、先祖は平凡な貴族で、王族や公爵様などに一目ぼれされる容姿もない。
魔獣の国は恐ろしい噂も多いけれど、仮にも他国から嫁いできた娘を殺すことはないだろう。そう祈るしかない。そうであると自信があった訳ではないが、このまま国内にとどまったとて、今までのように生活することはムリだ。その上家族にだって、既に嫁いではいるが、姉にだって迷惑をかけてしまうだろう。それはいやだ。
というわけで、私は家族に別れを告げて魔獣の国へと乗り込んだ。
◆
魔獣の国とは我らがアズワンド王国の北東に広がる山脈のむこうがわの国だ。
正確にいうと。私たちの国がある大陸の中央部分は円形に山脈が連なっていて、その山脈の内側の世界のことを魔獣の国と呼ぶ。この魔獣の国には、山脈の外側に暮らす我々人類を遥かに凌駕する力を持った魔獣たちが暮らしている。
魔獣という俗称は人間が勝手に呼んでいる…………彼らからすれば蔑称で、彼らは自分たちのことを「妖精」と呼び、魔獣の国のことは「ユグドラシル」と呼んでいるらしい。
らしい、というのは嫁ぐためにやってきた迎えの馬車の中で、私の夫となる人物…………の、父の部下だという女性が説明してくれたのだ。
女性は人型だった。魔獣の国の人間だ、と怯えていたので少し肩透かしを食らった気分だ。もっと怖い見た目の者が来ると思っていたのだ。
変わった処といえば、背中の翼だ。背中に鳥のような翼が生えているのだ。「痛くはないの?」と聞いたら笑いながら「痛くなどございませんとも」と返事が返ってきた。彼女の一族は、皆生えているらしい。
女性と相乗りとなった馬車を引く馬も、普通の馬ではない。その額には一メートルはあろうかという長い螺旋模様の角がついている。「ユニコーン」という名前の馬なんだとか。アズワンド王国にはいない馬だ。しかも体のサイズもでかい。そして美しい。
凄いもので、ユニコーンは何時間も走っても疲れないらしい。コンデ家を出発してから私のための休息以外休むことなく、ずっと軽やかに走り続けていく。どうやらサイズだけでなく、体力もこちらの馬とは違うらしい。さすが魔獣の国の馬。こちらから魔獣の国に行くなら片道一週間はかかるとも言われる道を僅か一泊二日でユニコーンは走って見せた。道中には人間やこちらの馬では越えられないといわれるあの山脈もあったが、丘を越えるような感覚だった。もしユニコーンがアズワンド王国にいたりしたら、大人気だっただろう。美しく、その上力も体力も強いのだから。
一泊二日という短い時間だったことも幸いし、旅自体はそこまで疲れなかった。ずっと座ってはいたけれど。それに女性が終始面白い話をしてくれたお陰で緊張も和らいで魔獣の国へと入ることになった。
夫となる人物がいるという屋敷はとてもとてもとても大きな屋敷だった。サイズも驚きだったが、どちらかというと、建築様式的に、アズワンド王国とそこまで差のない建物が建っていることが驚きだった。魔獣の国は原始的な世界だ、と言われていたから。冷静に考えると、今まで魔獣の国へ行って帰ってきた人間は殆どいないのだから、絵本や本で語り継がれている魔獣の国の描写がどの程度正しいのかは疑問を抱いてしかるべきだったのだろう。全っ然疑問なんて持ってなかったけれど。
しかしまあ大きさにびびってしまったのも事実だ。女性との会話で消えた緊張も帰って来てしまった。帰ってこなくて良かったのに。
心臓を色々な意味でドキドキしながら私は女性に案内されて中へと入った。広い広い広い。ここは城か? と間違うほどに広い玄関ホールが広がっていた。
平然としている女性の様子から、普通なのが分かる。彼女に案内されて奥へと入っていく。
少し歩いた先にあった、幅のひろーい廊下を歩いていると前方から白い毛玉が走ってきた。正面から見るとただの毛玉でしかないが、どうやら四速歩行の生き物のようだ。胴らしき部分もある。犬と言うには毛深過ぎるし、耳も尻尾もない。魔獣なのは確かだろう。
その毛玉が現れたことに「おや」と女性が声を漏らすのと、毛玉が私に向かってくるのは同時だった。え、と思った次の瞬間にはぶつかった。
「きゃあ!?」
「わっ、ん!?」
突撃されてよけれるほど私は運動神経はよくないし、思ったより大きな毛玉を受け止める力もない。そのまま倒れこんだ私は思い切り腰を打った。
ううう、と痛みで呻くと、毛玉が動いた。毛先がくすぐったい。毛の感じが実家で飼われていた犬のようだ、と思った瞬間。その毛の隙間から、こぶしサイズの目玉がのぞき、ヒュッと息をのむ。二つの黒々とした目が私の顔を覗き込んでいた。本来あるはずの口や鼻はよく見えない。やはり毛深すぎる。さわり心地は柔らかすぎず、芯のある感じで中々いい、などと心底どうでもいいことを思った。
毛玉の向こう側から、女性が私たちを覗き込んだ。女性の羽が毛玉をつつく。毛玉の意識は私から女性に移ったようで目玉は見えなくなった。
「こら坊ちゃま、お嫁様を脅かしてはいけませんよ」
「ぼっ…………嫁!?」
女性が笑いながら声をかけると、毛玉の目玉はまた私を向き、顔を左右にかしげる感じで揺らしてからどいた。
私はというと、「嫁」というワードに驚愕していた。この場で性別が女性であり「嫁」という単語が似合うのは――――毛玉の性別はよく分からないが――――私と、羽の女性しかいない。そして私はこの国に「嫁」入りにやってきたことを考えれば「嫁」なる人物は私しかいないのだ。そしてそして、目の前の毛玉に女性は「坊ちゃん」と声をかけた。坊ちゃんとは基本的に男性に用いる呼称で。つまり――――。
(これが夫!?!?)
毛玉が私を見ている。そして私はというと、あまりの衝撃に動けずにいた。
そのまま腰が抜けてしまい動けないでいる私を、羽の女性はひょいと抱き上げた。太っている訳ではないが、軽くもないだろう。だが(羽を除けば)人間そっくりな容姿の彼女だが、実態は違うのだと感じる。彼女はそれこそ手紙か何かを持ち運ぶかのような気軽さで私の身体を抱き上げた。歩いている間もちっとも苦にするような素振りもない。私を運ぶ女性の足元を毛玉がちょろちょろと動きながら着いて来る。短く見える足を小刻みに動かして着いてきているのだろうか。
先ほどの廊下から一分もかからず着いたのは、扉だけで「どこの巨大ホールの入り口だ!」と突っ込みたくなるサイズの部屋だった。女性が扉の前に立つと、独りでに扉が動き開いた。中は成人の儀で一度だけ赴いた王宮の謁見場を思い起こさせた。豪奢さは王宮より劣るが、黒や茶色といったシックな色合いが一面広がっている部屋には重厚な雰囲気がある。天井の高さも二十メートルはあるだろう。
女性が一歩踏み出すとともに、身体を空気に押しつぶされるような感覚が襲ってきた。百メートルはあるかという奥行。その奥に、足元にいる毛玉とは比べ物にもならない存在がいた。巨大な巨大な毛の塊。いや、生き物。その存在から発されている…………これは、なんといえばいいのだろうか。オーラとでも言えばいいのか、ともかく凄い。女性は普通に室内を歩いていくが、一歩ずつその存在に近づいていくうちに私の四肢は中心から順に凍りつくようだ。
女性の足元にいた毛玉が、元気良く飛び出すと走っていく。すると大きな大きな白い毛の塊に見えた中から一部分が動いた。ゆっくりと振り上げられたそれが尻尾であると認識したのは何秒も経ってからだ。
宙に浮いてゆらゆらと揺れているその尻尾に、じゃれつくように毛玉が飛びかかる。その姿はまるでネコのようだ。ネコっぽさなど欠片もないが。
「大旦那様、坊ちゃまのお嫁様が到着致しましたよ」
女性がいうと、部屋が振動しだした。巨大な存在が動いたことで揺れたのだと少し遅れて認識する。そんな軽い地震を起こしながら巨体が動く。それを見上げながらアズワンド王国の古い伝説を思い出した。
<白の巨獣>
アズワンド王国において魔獣の代名詞であるその名前。嗚呼、その姿はまさしくそうだ。アズワンドの人間で、<白の巨獣>が恐ろしくない人間なんていない。私の体は岩のように固まった。白い毛、なんの動物か分からぬ身体、人間では測ることが難しいほどに大きな身体。女性は、自分たちのことを魔獣ではなく妖精だと言った。妖精という生き物がどんなものかは分からないけれど、やはり妖精よりも魔獣という言葉が一番しっくりくるだろうと思った。
振り返り、巨体の顔が見えた。敢えて似ている動物を探せば、顔はヒツジに似ていた。けれどヒツジやヤギなどにある角はなく、体中が犬や猫のように毛で覆われている。体型は狼……に、似ているだろうか。ともかく毛が多い。モッフモフだ。大きな顔は口を開いていなかったが、おそらく私一人を飲み込むなど容易いだろう。黒々とした目の大きさは毛玉の、拳大どころではない。私の頭より大きいのではないだろうか。
その大きさを実感し、固まっていた体が今度は逆に震え始めた。私を抱えている女性は当然気付いたが、ただ単純に大きさに驚いている思ったようで「大きいですけど、怖くないですよー」と言った。いやムリです、とは返せない。
<白の巨獣>と思われる
「何があった」
聞こえた声は足元から上がってきたかのように低く重い。身が竦む。喉が絞められているような気がする。
(その見た目で人間の言葉が喋れるんだ……)
と、現実逃避をしながら全く動けない私に対して、怖がるそぶりもなく、慣れた様子で女性は笑い声を上げる。
「坊ちゃまが先ほど体当たりをして驚かせてしまいまして」
「……ピィー……」
呆れたような声を上げると、<白の巨獣>は器用に尻尾を伸ばす。そして毛玉を持ち上げた。毛玉は逃げようと暴れている。しかしそれは、大人の手を赤子が叩くようなもので、ダメージを与えられてはいないようだ。毛玉を自分の眼前へと持ってくると、それを見下ろして、<白の巨獣>は言う。
「ピィー。我が息子よ、何をしているのだ」
バタバタと小さな手足を動かしていた毛玉の名前は、ピィーと言うらしい。おかしな名前だ。息子、なのだから”彼”なのだろう。となればやはり、確実に、結婚相手はあのピィーという、よく分からない生き物なのだろう。ほんの僅かだったものの、違うことを期待していたので逃げ場が無くなった。
毛玉は巨体に何度か揺らされると、変な鳴き声を上げ始めた。私には分からないが、どうやら魔獣の国で使われる言葉のようなものらしい。女性が耳元で教えてくれた。人間からすると何かの音にしか聞こえないのだが、彼らはしっかりと意思の疎通は出来ているようだ。会話が終わったらしく音が止むと、大旦那様は尻尾を振った。その先に捕まえられていた毛玉はこちらへと転がってくる。ころんころんと転がってくるその姿は可愛らしくもある。先ほど突撃されていなければ、その様子はただフワフワのかわいい生き物、と微笑ましく思えただろう。
突然女性が私を下ろした。しかしまだ腰は抜けてしまっていて、私は床に座り込んでしまう。まさか下ろされるとは思っておらず、咄嗟にえっ、えっ、と女性に縋ろうと手を伸ばすが、それよりも先に毛玉の目が私の目と合った。その瞬間目がそらせなくなる。まるで縄で引っ張られるかのように、毛玉から目がそらせない。黒い丸い瞳はまっすぐに私を見ていた。
……間近で見るのは怖いけれど、距離が少しあればそこまで怖くもない、かも。そう感じた。毛玉の目が、つぶらな瞳に見えてきた。
「ごめんなしゃい」
毛玉が頭(と思われる部分を)を下げた。
目にとらわれていた私は、突如放たれた人語に呆然としてしまう。いや、巨体が人語を喋ったのだから毛玉も喋れるだろう、と脳内で突っ込む。冷静になれ、落ち着け、と。落ち着ける要素もないが。いやだが、ここで醜態を晒せばそれすなわちアズワンド王国の醜態。いや、なによりコンデ家の醜態だ。落ち着け。落ち着け。
毛玉はおそらく頭(顔が見えないから頭で合っているはずだ)を下げたまま、たまにちら、ちらとこちらを見上げくる。その拍子に白い毛の隙間から黒い目が覗いた。
毛玉の言葉に答えることなく放心していた私は女性たちからの視線で我に返り、息を整えると、座ったままではあるがスカートの裾をつまみあげた。カーテーシーのつもりだ。立とうにも足に力が入らず無理だったのだ、これで許して欲しい。
「アズワンド王国、コンデ伯爵が一子、ファリダ・ミゲル・コンデと申します。……先ほどのことは気にしておりませんので、お顔をお上げくださいませ」
「僕、ピィー! よろしくね! ファリダって変な名前だね!」
言い放たれた言葉に頬をピクリと引きつらせる。変わってるのはそっちの名前だ! 絶対に!!
――――これが、私と夫であるピィーとの出会いである。
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