第32話 春の便り、東京へ
春浅き四月のある日、村瀬は一本の電話を終えて、山田の机に報告書を置いた。
「山内町会長から正式に文書が入りました。来月、林業資産の利活用に関する意見交換会を開くそうです。荒谷に残る未活用山林や倉庫の利活用について、地権者や関係者を呼ぶみたいです」
山田はうんと頷いた。
「荒谷の中でも木村んとこは、土地も小屋も道具も揃ってる。とし江さん一人じゃもうどうにもなんねえ。ちょうどいい節目だな」
村瀬は一枚の案内状を封筒に入れ、そっと脇に置いた。宛先は東京、木村修司。
——けれど、それだけでは彼の足を動かせない気がしていた。
とし江もまた、最近ぽつりとつぶやいたという。
「この間の正月に、納屋で古い書きもの見つけてね。あの人(正男)が使ってた手入れ帳だの、木の切り出し日記だの。あれ、修司が見たら何か思い出すべが」
それは、母から息子への静かな呼びかけだったのかもしれない。
村瀬は修司に電話を入れた。やや唐突な連絡に、相手は戸惑った様子だったが、しばらくの沈黙のあとにこう言った。
「母が……そう言ってたんですか。……わかりました。予定は調整してみます。会議が一つ片付いたら、こっちから連絡します」
手応えは、あった。
受話器を置いた村瀬に、佐川が湯呑を片手に言った。
「お母さんが“片付けたい”って言い出すのは、たいてい“残したい”何かがあるとき。ねえ、山田さん?」
「そったらもんだ。道具にしろ帳面にしろ、誰かに託せねば、ただのガラクタになる。……修司さんが来るなら、あとは本人が見て、感じることさ」
事務所の外では、白い梅が散り、桃の蕾がほころび始めていた。
風の中に、ようやく春の匂いが混じる。
村瀬は封筒を手に取り、もう一度宛名を確かめた。
——これは交渉の文書ではない。
けれど、もしかすると、この手紙が“土地”を動かす第一歩になるかもしれない。
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