写真家(仮)

@hikamoya

『お間抜けカラス』

朝の6時、ぬるくなった缶コーヒーを片手に裏通りを歩いていた僕の前に、

天啓ともいうべきソレが現れた。

カラスが一時停止の標識の上にとまってこちらに視線を送っているのだ。

僕は生まれてこの方、こんなにも知性を意識させるカラスには出会ったことがなかった。

カラスは知能の高い生き物である(6歳児程度だったっけ?)ということは当然

知識としてあったし、カラスが木の枝を使って細い管から餌を取り出したり、小石を水に沈めて水位を上げる事で、水面に浮かんだ餌に自身の口ばしを届かせる動画を見て驚いたこともあった。

しかし今、僕の目の前にいるカラスは僕の知り得ぬ、底知れない’何か’を感じさせた。

カラスは横目で僕をジッと見つめたかと思うと、毛づくろい(鳥だから羽づくろい?)を始めた。

僕は身を動かす事が出来なかった。

そのカラスは間違いなく人語を理解していると思ったし、僕の心のすべてをさえ解している気がした。

何秒経っただろうか、眼前に広がるこの光景を写真に収めなければという使命感にも似た思いが僕の金縛りを解いた。

僕は音を立てないようそっとしゃがみ込み、缶コーヒーをアスファルトの上に立てると、リュックサックから中古で買った5万の一眼レフカメラを取り出し、目標に向ける。

それは、猟銃を構えるハンターのようであった。

僕は写真を撮るときいつも、特に動物を相手にするときは、そんな心持ちになる。

今はまだ太陽が出ておらず、ほのかに明るい程度なのでISO感度を気持ち高めに、

シャッタースピードを気持ち長めに設定する。

カラスと標識を主役として際立たせるため、F値を小さくし後ろの民家をボケさせる。

構図も重要だ。

リーディングラインを意識しながら、カラスがこちらを見下ろす位置まで上半身ごとカメラを持っていく。

僕は自分が息をしていないことに気付いて、音が出ないよう、肺に空気を送り込む。

チャンスは一回きりだろう。

シャッター音が鳴ればカラスはどこかに飛んで行ってしまって、二度と会うことはないだろう。

だが、このカラスならあるいは、シャッター音を聞いた瞬間、自らに対する無礼に憤り、その本当の姿を露わにして僕を一口に啄んで殺してしまうだろう。きっとそうだ。

僕は左ひざの震えを手に伝わらせないよう必死に抑え込んでいた。

それは偶然相まみえた最高の被写体と、そこから予想される芸術作品とも言うべき写真により、写真家として確固たる地位を築く未来の自分自身を想像しての武者震いか。

あるいは目の前のカラスの逆鱗に触れてしまい、無残にもいち’被’捕食者としてその生涯を終えることに対する恐怖心によるものか。

はたまた下半身への負担を一切考慮せず上半身を動かしたことによる、左ひざの悲鳴か。

分かりはしないが、僕にはどうでもいいことだった。重要ではなかった。

僕はついに意を決してその引き金を引いた。


カシャ


発砲音が耳の奥でこだまする。

その音に驚いてカラスはどこか遠くへとあっけなく飛び去っていった。

緊張状態から解かれた僕は、まるで魂が抜かれたような感覚を覚えたがすぐ我に返り、撮った写真を確認する。

そこに写っていたのは、言葉の意味も分からず標識の上で羽を休めている、ただのカラスだった。

おかしい、イメージとだいぶ違う。

あのときは確かにそこに光が見えた気がしたのだ。

だが、じっくり眺めていると、これはこれで良いものだと思えてきた。

僕はいつものように写真に名前を付ける。曰く、


『お間抜けカラス』

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