第3話 解禁! 記憶売買



「正式リリース、きたぞ! ついに“メモリー”販売、解禁だってよ!」


始業前の教室が、朝からざわついていた。

壁の大型モニターには、「政府公認メモリー販売、本日開始」の速報が流れている。


「やっっっべ、これで本当に誰かの記憶が“体験できる”ってことじゃん! VRどころじゃねぇ!」

「感情も込みってマジ? ドキドキまで再現されるんだろ?」

「どうせ初日はしょぼいだろー。って……え、待って、ユナって書いてあるんだけど」


「えっ……」


アラトが反射的にスマホを覗くと、確かにそこにはあった。


トップ掲載。メモリー部門の初回リリースにして異例の扱い。

タイトルは──《朝、窓辺で“誰か”を思い出す少女》。


サムネイルに映っているのは、彼女だった。


**


メモリー。

それは、主観的な記憶を体験として他人に提供するログである。

目にしたもの、耳にした音、そしてそのとき心臓がどれだけ早く脈打っていたか。

あらゆる情報が、**政府サーバーに蓄積された個人記録の“コピー”**として取引される。


映像や音声、発言記録などの**「サーフェス(表層ログ)」**に次ぐ第二段階として、

このメモリーは合法的に「他人の人生の断片」を売買できるコンテンツとして、世の中に解禁された。


当然、そのインパクトは社会を揺るがせた。


記憶の“体験”がもたらす快楽は、動画や音楽のような受動的な娯楽とは異なり、強烈な没入感と高い依存性を持っていた。

中毒的に再生を繰り返す者もいれば、「あの記憶をまた見たい」と出費を惜しまぬ者も現れた。


一部の識者は、「これは感情ドラッグだ」と警鐘を鳴らしていた。

だが、世の中の空気は明るかった。

“自分じゃない誰か”になれる。そんな新しい娯楽に、国全体が酔っていた。


**


「これ、ユナの……?」


メモリー発売初日の放課後、アラトは屋上にいた。

缶コーヒーを手にして空を見ていると、足音がして、彼女が隣に座る。


「驚いたよ。……いきなり、メモリー出てて」

「うん。出てたね」


ユナは穏やかに頷いた。

風に揺れる髪が、今日も陽に透けていた。


「私も、昨日の夜に知ったの。……もう公開されてたって」

「……自分の記憶が、誰かに見られるって、どんな気分?」


「最初は変な感じだったよ。でも……みんなが“癒された”って言ってくれるから、少し安心した」

「じゃあ……よかった、のか?」


「うん。でもね……変な夢を見るの。

 見覚えのない場所で、私が、私じゃない誰かになってるの。

 ……たぶん、気のせいだけど」


ユナは笑った。

それはごく普通の笑顔だった。けれど、アラトはどこか引っかかった。


ほんの少し──タイミングがずれていた。


**


ユナのメモリーは、予想以上の人気を博していた。

発売から三日で売上は十万再生を超え、SNSでは「この記憶はヤバい」「浄化された」と絶賛の嵐。

映像系インフルエンサーたちもこぞって紹介し、異例の“記憶のバズ”が起きていた。


けれど、それと並行して、ある奇妙な現象も観測され始める。


“ユナの記憶を繰り返し視聴した者の一部に、軽度の感情障害や自己同一性の混乱が見られる”という報告だった。


それはまだ、噂の域を出ない情報だったが──

アラトは、それよりも身近な“微細な違和感”に、胸をざわつかせていた。


──販売されたユナのメモリー。

  あれは本当に“彼女の記憶”だったのか?

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