第15話 レンズ豆、玉ねぎ、イカ
予想外だと老婆は感じていた。
ルールは厳しい。石を削ることも砕くこともできない。宝石を見分ける方法は、そう多くない。いつだって、職人たちは私の前から
(──なのに)
彼女は
見ろ。短髪の方の女は、何のためらいもなく倉庫に向かい、いそいそと作業を始めたではないか。
「おかしい……」
ここはファロスの灯台だぞ。堤道で区切られた孤島には、備品を揃える
……木槌の音が聞こえる。
(──そうか)
老婆は肩の力を抜いた。
悔し紛れに木槌で宝石を砕き、ルール違反というわけか。小娘たちが考えそうなことだ。尻を蹴り上げて、アレクサンドリアの染料師は卑怯者と
「がっははは! はは……」
「鑑定が終わりました」
「──!」
老婆は階段から滑り落ちそうになった。
ものの三分ほどではないか。〝お湯を注いで
「レンズ豆?」
「こっちの話さ!」
小柄の染料師が疑問符を浮かべ、心の声がダダ漏れた老婆が慌てる。
咳払い。
彼女が見ると、ラーリの手には、液体で満たされた盆があった。
「ふん。どうせ卑怯な手を使って、宝石を砕いたんだろう」
老婆は鼻息荒く座り直した。
「クイズです」
ラーリは人差し指を左右に振り、おどけた調子で老婆に尋ねる。頭頂の浮き毛が、場の空気を緩ませるように揺れた。
「クイズ?」
「不公平ですよ。あなたばっかり喋って。わたしにもクイズの一つくらい出させてください。この盆に入っている宝石は幾つでしょう」
唐突なクイズだ。
老婆はしぶしぶ盆を見た。盆は縁まで液体で満ち、いい香りがする。底まで見透けた容器には、輪郭の浮いたアミュレットが沈んでいる。一つだけ。
(私が老眼とでも言いたいのか? 小娘が!)
「老人をからかうんじゃないよ! 私の視力は衰えちゃいない。水平線の帆だって、はっきりくっきり見えるんだ! この容器には一つしか入ってないよ!」
老婆が言い切って、腕を組んで、
そして、目の前にいる小柄の染料師がくすくすと笑った。彼女の深い瞳が、老婆を見据える。
「残念でしたね。答えは
老婆の目がまん丸になる。
容器が傾けられ、別の容器に液体が移る。そして現れた宝石は、
「──十!」
老婆は口をあんぐりと開けた。
「どういう原理……!」
まるで奇術。一つだけしかないと思っていた宝石は、分身したように数が揃っている。
言いたいことは単純だ。一つだけ性質が異なっている。なら水晶が『どれか』など明快。
老婆は呆気に取られて身を震わせ、それでも、嗅いだことのある甘い匂いに合点がいき、二三度
「そういうことか。まったくシチュエーションを巧みに使ったもんだよ。最初の石が水晶だと言いたいんだね」
老婆はポケットに手を入れて、投げつけるように鍵をよこした。
「私の負けだ。螺旋階段を上がると、扉がある。扉の向こうに、お目当ての方がいるよ。でも覚悟するんだね。ネフティス様は私のように優しくはないから。
宝石のために死ぬ覚悟がある奴だけ扉を……って、人の話は最後まで聞くんだよ!」
鍵を受け取ったラーリは、早くも鼻歌まじりに階段をのぼっている。「待ちなさい!」と、金髪の令嬢が彼女を追いかけるのだった。
♢ ♢ ♢
「オリーブオイルです」
「まだ何も訊いてないじゃない!」
カミラは階段を上りながら、目の前のド田舎染料師に
「お嬢様はどうせ、〝あの液体は何なのか教えなさい〟って訊くでしょう。だから先に言っておくんです。あれはオリーブオイルです」
「失礼よ! まるでわたくしが質問魔みたいじゃないの! でもオリーブオイルの魔法は知りたいわ」
「答えなさいと言ったり、答えるなと言ったり、忙しい人ですね」
ラーリはやれやれと吐息して、面倒そうに、でもちょっと優越感に浸りながら説明をはじめた。
「オリーブオイルは、ランプの燃料として重宝される植物油です。灯台の燃料もオリーブオイルなんですよ」
「続けて」
「液体は何でもそうですが、光を曲げます。オリーブオイルとガラスは曲がり方が小さく、逆に石英は屈折が大きくて輪郭がはっきり見えます」
ラーリが解説し、カミラは笑顔で頷くと、
「全然わからないわよ」
「……。玉ねぎとイカをオリーブオイルで炒めるとしますよね。すると、玉ねぎは透明になって溶けていきますが、イカは白くなって輪郭がはっきりします。分かりやすく言うとそういうことです」
「なるほど。魔女は宝石で料理ができるってことね!」
「全然違います」
ラーリの額には血管が浮いた。
そんな言い合いをしていると、二人の前に重そうな扉が現われた。
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