第8話 奇術

「簡単に言わないで! このロープはしっかりしてるわ! 全然ビクともしないじゃない」

 カミラが嚙みついた。


 お嬢のプリプリした顔を見て、ラーリはあやすように言った。

「お嬢様、われわれは染料師です。ロープの一つや二つ、外せなくてどうするんですか」

「染料師とどう関係してるか、こっちが聞きたいわよ」


「はあ……。いいですか? このロープはパピルスでできています」

 ラーリは説明するのも面倒臭いとばかり、雑っぽく語りだした。

「成長したパピルスを刈り取ってから、くきを洗って乾燥させ、残った繊維を三つりにして編み込む。そうしてできるのがパピルスロープです」

「それくらい知ってるわよ」

 カミラが頬を膨らませた。


「じゃあ、パピルスロープの弱点はなんでしょう」

「難しい話はしないで!」

湿しつさつです」

 ラーリは威圧するように顔を寄せる。


「見てください。このロープは三つ縒りじゃなく、二つ縒りです。神殿にあった、祭儀用のロープを使ったんですね。二つ縒りは短時間で作成できる反面、もうしやすい」

「だから?」

「だから内側から外そうとしても無理ですが、傷っぽい箇所をザラザラした岩に擦り付けると──。ほうら、簡単に切れました」


「えっ?」


 まるで奇術のようだと、カミラは感じた。

 ラーリは優越感たっぷりの笑みを浮かべ、クルンと身を捻って立ち上がる。ロープがその小さな体躯からすべり落ちた。


(なんということ!)

 カミラは全てを理解した。

 納得したとばかり大きく頷く。そして、最大限の確信を込め、

「あなた、やっぱり魔女なんでしょ!」

 言い放った。



 ♢ ♢ ♢



 シュボ!


 神官が松明たいまつに火をつけると、薄暗い洞窟内がオレンジ色に染まった。いざという時のため、倉庫には色々な道具が隠されている。


 巻物がうず高く積まれた書架をどけると、岩盤を削った、人の背丈ほどの洞穴がお目見えした。


「わたくしが先よ!」

「どっちでもいいから、早く進んでください」

 ひそひそ話。

 神官に先導され、カミラとラーリは、中腰の姿勢で穴を進む。


 穴の中はほこりっぽくて、ひんやりしていて、三人のザクザクとした足音だけが壁に反響するのだった。


 前を向いたまま、

「ラーリ。あなたのこと、少し見直したわ」

 きつい口調はそのままに、カミラが本心で語った。

柘榴ざくろの件もそうだし、ロープの件もそうだし。鉱石や植物の知識が豊富なのね」


 褒められたラーリ。

 どう返答すればよいか数秒考え、ちょっと笑顔になってから、表情を戻して静かに言う。

「そうでもないです。わたしは色が見分けられませんから。染料師としては、けっこう苦労しますよ」


 ──またまた冗談を。

 カミラはフフッと笑って、

「それはどういう謙遜けんそんなの? わたくしへの当てつけ?」

「違います。わたしは本当に色が見分けられません。色盲しきもうってヤツです」


「はい?」


 ぴたりとカミラの歩みが止まる。振り向いて、狭い洞穴をせき止めて、射るような視線を目の前の職人に向けた。


「でもあなた、ずっと色の話をしてたじゃない。覚えてるわよ。

 はくを見て〝わあ、綺麗〟。柘榴ざくろを手に取り〝この濃い染料〟。神像の涙で〝血じゃない〟とかなんとか、偉っそうに蘊蓄うんちくを垂れてたじゃないの」


「濃度と色彩は別です」

 ラーリは端的に答えて、ズイとお嬢に近づいた。

「レシピは全て頭の中に入ってます。調合で苦労はしません。微妙な濃淡の違いを見分けられれば仕事はできます。問題は、新しい色レシピを考えるときです」


 静寂が訪れた。


 カミラはきつねにつままれたような気がした。この田舎の染料師は一体何者なのか。

「ほら、進んでください」

 ラーリに背中を押され、カミラが再び歩き出す。


「わたしの母は染料師でした」

 ラーリはぽつりと語り出した。

「わたしと同じ色盲で、若い頃はアレクサンドリアに居を構えていたそうです。ギリシャ人の父と結婚して中部に住むようになったのですが、生まれた子も、めでたく同じ症状でした。

 色がわからないぶん、とことんまで染料技術を叩き込み、コミュ力ゼロで頭でっかちな、こーんな職人が誕生したってわけです」


 ラーリはちょう気味に、自らに指を向けるのだった。


「〝染料師は目で色を見るんじゃない。心で見るの〟」

「なんですか?」

「わたくしの父の言葉よ」

 カミラは真面目な口調で言う。


「昔ね、とてつもない知識と技術を持った染料師がこの街にいたそうよ。その職人にはわたくしの父も含め、誰も太刀打ちできなかった。彼女も色盲だったけど、ペナルティーをものともせず、宮廷染料師にまで昇り詰めたらしいわ」

「へえ。色の判らない職人も、結構いるんですか」


 お嬢の説明に、ラーリは他人ひとごとのようにこたえた。

 そうみたいねと、カミラも他人ごとのように相槌を打った。


 そして、会話が終わって、無言でしばらく歩いて、カミラが首をひねる。

 また歩いて立ち止まって、再び首をひねった。


 その時、点と点が繋がった彼女が、

 ──ゴンッ!

 自分の頭を、壁に思いっきり打ち付けていた。




 千歩は歩いた頃だろうか。

「ほうら、出口が見えてきたぞ」

 神官は眼前の小さな光に向かって、松明たいまつを掲げた。


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