第3話 報酬と決意
「ありがとうございます。ありがとうございます」
貴族は滝のように涙を流しながら一人の少女、カミラの手を握っていた。
「当然ですわ。またいつでもいらしてくださいませね。エジプト一の染料師、わたくしカミラが、パーフェクトリーに鑑定をして差し上げますので!」
令嬢は金髪をさっとなびかせて言い切った。
貴族はほんのお礼と、銀貨の入った重そうな袋をカミラに渡す。
結局、アミュレットのうち一つは塩水に浮き、二つは沈んだ。本物の琥珀は一つだけであった。
彼女は、
「悪いですわね」
と、少しも悪びれない表情のまま言って、袋を受け取った。
鼻を高くするカミラのやや後ろで、ぷっくりと頬を膨らませた褐色の職人がいる。
「……どういうことですか。見破ったのはわたしなのに!」
ラーリはプンスカと床を蹴った。
受付の、跳ね上がった口ひげの老人がそれを見て、苦笑いして諭す。
「嬢ちゃん。気持ちは分かるが、カミラ様もといゼノスタル家は、それだけ信用が厚いんだ。誉れは帰すべきところに帰さなきゃならんのだよ」
「平たく言うとグルでしょう」
ラーリはもう一度悔しそうに床を蹴った。
依頼人の貴族を見送ると、カミラは勝ち誇った目遣いでこちらへ来る。
「お分かりになったでしょう? あなたの見破り方も、ちょっとばかり気が利いていましたが、エジプト一の染料師はこのわたくし。ド田舎染料師の出る幕はございませんの」
オッホッホと、嬢は口を覆って笑った。
「ラーリさん。田舎から出稼ぎで来られたのでしょうが、恥をかかぬうちに故郷へお帰りになったほうが身のためですわよ」
「……せん」
「え?」
「死んでも帰りません! 帰るわけないじゃないですか!」
ラーリはお嬢をまっすぐ見て声を荒らげた。
彼女は目をギラつかせると、
「せーっかく、半年かけてアレクサンドリアの市民権──カッコ仮、を得たんですよ! ロバと鶏の番をしながら、おばあちゃんたちと関節痛の話をして、延々続く小麦畑を眺める生活にはもうウンザリです!」
捲し立てるように言った。
「はい?」
「お嬢様には分からないでしょうけどね、ド田舎ってのはマージでなんにもないんですから。日干し煉瓦で家屋はぜーんぶ薄汚れていて、ぜーんぶ同じ形。夜は真っ暗で〝うわあ、お星さまが綺麗だなあ〟じゃないんですよ!」
「あの……」
「こーんなにも不便でダサいのに、のほほんすぎる母親は〝都会は危ないわ村にいなさい〟だの、〝ギリシャ人の多い街に行くのはどうして〟だの、〝お母さんの面倒は誰が見てくれるの〟だの、わたしは親の奴隷か何かですか!」
ゼエハア、ゼエハア。
ラーリの感情が荒ぶった。
お嬢は染料師の突然のキャラ変に返答に窮し、やがて確かめるように尋ねる。
「ラーリさん、あなたもしかして……」
ラーリは息を整えてから、さも当然と、
「そうです。わたしはラーリ。都会暮らしに憧れて、親と喧嘩してここに来ました。誰が何と言おうと、わたしはここアレクサンドリアで、国一番の染料師になります。いいえ、ならなければなりません。成果を出さないと王宮から永住のお許しが貰えないのです!」
ラーリは両手を腰に当てて言い切った。
カミラはそんなエジプト人の染料師を、跳ね毛のある頭頂、控えめな胸、細い両足までまじまじと見る。
次の瞬間。
令嬢の軽くて楽しそうな笑いがこだました。
一度笑い終わるも、またすぐに笑い出す。
小柄の職人はムッとした。
随分と長く笑ってから、カミラは背筋をこれでもかと伸ばして、自分を大きく見せて、
「それはいけませんわね。エジプト一の染料師になるのはわたくしですのに。成果が出なければ、ラーリさんはどのみち田舎暮らしに戻ってしまうのですか。それは残念ですわ。あらあら、本当に残念」
その口調には幾らか余裕が感じられた。
二人の様子を観察していた、跳ね上げた口ひげの老人は、身を乗り出して慌てた様子で告げる。
「嬢ちゃん、そうだったのか。それは知らなかった。アレクサンドリアは世界の交易の中心地。気位の高い都だ。これまで幾多の田舎者が都会暮らしに憧れて来ては、市民権を得られずに退散していった」
「そ、そうなんですか……」
「本当よ」
カミラは首肯した。
「この都市を舐めないことね」
そして両手を広げて、仰々しく、
「アレクサンドリア。かのアレクサンドロス大王が夢見た世界の大都市。人口は五十万人。馬車でたっぷり半日はかかるほどの城壁に囲われていて、その内側には王宮と細長い街並みが優雅に佇む。十字に伸びるは、象の隊列も通せる石畳の大街道。
一流の商人、万学を修めた哲学者たち、選りすぐりの職人たちが一同に会すの。
神々と人間、知恵と野望、海と砂漠の出会う場所。それがここアレクサンドリアなのよ!」
ラーリは劇でも見るように手を叩いた。
「いいじゃないですか! ワクワクします! 絶対エジプト一になって市民権を得てやります!」
「エジプト一になるのはわたくしよっ!」
「そうだな、カミラ様もこんなちっちゃい時から、エジプト一になるって聞かないからな」
老人が昔を懐かしんで笑った。
「まだなってないんですか」
「うるっさいわね!」
カミラは腕を組んでラーリに背を向ける。
やがて、彼女はにやっと口角を上げてから人差し指を向け、いつもの調子で、
「ラーリさんと言いましたわね。あなたの名前、覚えておきますわ。次こそ知恵比べで負けませんわよ! 覚悟なさい。市民権を取るまでの間、わたくしカミラが、あなたの本気度を確かめさせてもらいますからね。せいぜい今日の白星をありがたく噛みしめることです」
「
カミラは、刺繍が入ったチュニックをなびかせると、高笑いしながら建物を後にした。
「……。何だったんですか。あの嬢は……」
ラーリは人の少なくなったギルド会館で唖然と立ち尽くす。
こうして、エジプト人染料師ラーリの、波乱に満ちた半年間が幕を開けるのだった。
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