第4話 スパルタレッスンと、宣戦布告のプリマドンナ

「――覚悟しろ」


天才作曲家・かな)くんの宣言通り、翌日の放課後、私の地獄の(?)特訓が始まった。


彼に連れてこられたのは、音楽棟の最上階の、一番奥にある一室。重厚な防音扉には、電子ロックと『K.S. Personal Studio』というプレートが掛かっているだけ。昨日までの私なら、一生足を踏み入れることのない場所だ。


「……お邪魔します」


中に入って、息を呑んだ。


部屋の中は、まるで宇宙船のコックピットみたいだった。巨大なミキシング・コンソールに、壁一面のシンセサイザー、見たこともない機材の数々。でも、そこに生活感というものは一切なくて、まるで要塞のようだった。唯一、奏くんの人間味が感じられるのは、五線譜が殴り書きされた紙や、インスピレーションの源らしき専門書が、無造ziłに積み上げられていることくらい。


そんな無機質な空間に、奏くんと二人きり。緊張で心臓が口から飛び出しそうだ。


「突っ立ってるな。時間は有限だ」


奏くんはミキサーの前に座ると、私にヘッドホンを手渡した。


「まずは発声からだ。腹から声を出せ。腹筋を使え」


「は、はい!」


言われるがままに声を出すけれど、奏くんの眉間のシワは深くなるばかり。


「違う。喉で歌うな。そんな歌い方を続けていたら、お前のその声も潰れるぞ」


「息の吐き方が甘い。ロングトーンでブレるな」


「ピッチがコンマ1ミリずれてる。やり直しだ」


的確で、一切の妥協がない指摘が、矢のように飛んでくる。


同じフレーズを、何十回と繰り返させられた。褒め言葉は一つもない。ただ、淡々と欠点を修正されていくだけ。だんだん喉はカラカラになり、立っているのも辛くなってきた。


「ど、どうして……こんなに厳しく……」


思わず弱音をこぼすと、奏くんは初めて鍵盤から顔を上げた。その瞳は、凍てつくように冷たい。


「お前の声は奇跡みたいなものだ。何万人に一人……いや、それ以上の原石だ。だが、どれだけ価値のある原石も、磨かなければただの石ころだ」


彼は立ち上がると、私の目の前に立った。


「俺は、俺の音楽を完璧に表現できない石ころに用はない。やる気がないなら今すぐ帰れ」


その言葉は、厳しさの中に、彼の音楽に対する絶対的な誇りと愛情を感じさせた。この人は、本気なんだ。私という『楽器』を使って、最高の音楽を奏でようとしている。


そう思ったら、不思議と力が湧いてきた。


「……やります。帰ったりしません」


「……ふん。せいぜい食らいついてこい」


再びレッスンが始まろうとした、その時だった。

コンコン、と控えめなノックの音が、重い防音扉の向こうから聞こえた。


「奏様ぁ、いる? サリナです!」


甘ったるい、猫なで声。奏くんは舌打ちをすると、「入るなと言ったはずだ」と呟いた。でも、ガチャリとロックが解除され、扉が開く。


そこに立っていたのは、フランス人形みたいに完璧な美少女だった。縦ロールのゴージャスな金髪に、気の強そうな大きな瞳。制服も、高級ブランド品みたいに着こなしている。


「奏様、こんなところに隠れて何を……って、その子は誰??」


彼女――姫宮ひめみやサリナさんは、私を一瞥すると、あからさまに眉をひそめた。まるで、道端の小石でも見るような目だ。


「……七瀬、美空です」

昨日までの私なら、きっと声も出せずに固まっていた。でも、奏くんのレッスンのおかげか、それとも外見が変わったおかげか。私は、なんとか自分の名前を口にすることができた。


「七瀬……? 知らないんだけど。ねぇ、奏様!サリナのデビュー曲、ちゃんと進めてくれてるの?」


サリナさんは私を無視して、奏くんに媚びるような視線を送る。


しかし、奏くんの反応は冷ややかだった。


「今はこいつのレッスンで忙しい。お前のための曲は、ない」


「なっ……!」


サリナさんの完璧な笑顔が、凍りついた。


「なんで!? サリナの歌声は、この星ノ宮学園でもトップクラスだって、先生たちも言ってるのに!」


その通りなのだろう。彼女からは、絶対的なエリートのオーラが溢れている。技術も、表現力も、きっと今の私とは比べ物にならないくらいすごいんだ。

でも、奏くんは冷たく言い放った。


「確かにお前の歌は上手い。技術もある。だが、心に響かない。あまりに完璧すぎて、何の面白みもない、空っぽな歌だ」


そして彼は、私の方をちらりと見た。


「こいつの歌には、まだ何もない。技術も、知識も、空っぽだ。だが、無限の可能性がある。俺が欲しいのは、そっちの『空っぽ』だ」


その言葉は、何よりの信頼の証だった。


サリナさんの美しい顔が、屈辱に歪んでいく。彼女はギリッと唇を噛むと、憎しみの籠もった目で私を睨みつけた。


「……覚えてたから、七瀬美空ね! 奏様の曲を歌うにふさわしいのは、この姫宮サリナだということを、すぐに証明してあげるんだから!」


嵐のような捨て台詞を残し、サリナさんは高いヒールの音を響かせて去っていった。


スタジオには、気まずい沈黙が流れる。とんでもない人に、目をつけられてしまった……。


私が呆然としていると、ガチャリ、と再びドアが開いた。


「やあ、二人とも頑張ってるね! 差し入れ、持ってきたよ!」


そこに立っていたのは、太陽みたいな笑顔の朝陽くんだった。彼の存在が、一瞬で張り詰めていた空気を和らげる。


「ナイスタイミング、朝陽。ちょうど休憩にしようと思ってたところだ」


「ありがとう、朝陽くん……」


朝陽くんは、私たちに冷たいドリンクを手渡しながら、楽しそうに言った。


「ねぇ、二人とも。一つ、目標を決めてみない?」


「目標?

「うん。一ヶ月後にある、『新入生歓迎パフォーマンス会』に出てみるんだ。奏が作った最高の曲を、美空ちゃんが歌う。どうかな?」


新入生歓迎パフォーマンス会。それは、各科の新入生が全校生徒の前で自分の実力を披露する、学園の公式な初舞台だ。


「そ、そんな、私なんかが、大勢の前で……」


「大丈夫!」


尻込みする私の肩を、朝陽くんがポンと叩く。


「奏の曲と、俺のプロデュースがあれば、絶対に成功する。それに……さっきの子、姫宮サリナも絶対に見に来るはずだよ。君の実力、見せつけてやろうじゃないか」


その言葉に、ハッとした。


奏くんは「俺の曲を披露するのに、ちょうどいい舞台だ」と、不敵な笑みを浮かべている。


サリナさんに見返すため? それもあるかもしれない。


でも、それ以上に、この二人が私を信じてくれている。奏くんが、私のために最高の曲を作ってくれる。朝陽くんが、最高のステージを用意してくれる。


だったら、私は――。


「……はい! やってみたいです!」


私は、二人の顔をまっすぐ見て、力強く頷いた。

こうして、私の最初のステージという、具体的で、あまりにも高い目標が、目の前に現れたのだった。

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