俺はこの世界の魔法の理を数理モデルで証明することができるが、研究ノートの余白が狭すぎるのでここに記すことはできないようだ
さそり
第一章 理論構築編
第一話 魔法陣の対角化解析による魔力最適化の理論と実践
シオン・セルシウス には生まれた瞬間から前世の記憶が存在した。それは日本という国で二十二年間過ごしてきた記憶だった。
彼が最後に覚えているのは、自分の目の前にトラックが迫ってきていた姿だ。他に記憶しているのは、大学生としてAIの研究をしていたことだけ。
どうやら自分は転生したらしい。それも前世の世界とかけ離れた幻想の世界へ。
魔法という、前世の物理法則を超越した未知の現象。それを数理モデルで解き明かせるかもしれない――そんな知的好奇心と興奮を抱いたのも束の間だった。
太陽暦千二百五年。彼が転生した人間という種族は、このノア大陸で絶滅の淵に立たされていたのだ。
シオンが住まう、ノア大陸には人間以外にも種族が存在した。代表的なのはエルフと魔族である。
悠久の時を生き、精密な魔法を操るエルフと、強大な魔力と本能で破壊を司る魔族。彼等は優れた魔法技能を持ち、大陸の支配者であった。
対して魔法技能で劣る人間は、徐々に大陸の端の方に追いやられ、今では全盛期の十分の一しか支配領域が存在しない。
未だ人間が大陸で生き残っている理由、それはひとえに他の二種族から「脅威ではない」と見なされているからに過ぎなかった。
そんな世界でシオンは人間として魔導師の資質を以って生まれた。故に彼がするべきことは明白であった。
人間を滅亡させないことである。それは一種の使命感のようなものでもあり、自分が死なないためでもあった。
そんな気持ちを抱いたシオンは、この世界で生まれ落ちて十五年目、人間国家の中で最高峰と謳われるアストラル魔法学院の門を叩いた。
乾いた土埃と、生徒たちの放つ未熟な魔力の熱が混じり合う、学院の屋外訓練場。
赤い髪を整え学院のローブに身を包んだ青年――シオン・セルシウスは屋外で教授による魔法実技の授業を冷めた心で受けていた。
教授の一人、ローゼンが鍛え上げた腕で杖を振り、魔法を実演していく。生徒たちはそれを見様見真似で、おぼつかない手つきで魔法陣を展開する。
その光景は、シオンにとって期待外れ以外の何物でもなかった。
(非効率だ。あまりにも理論が軽視されすぎている)
もちろん事情は理解していた。人間は圧倒的な戦闘魔導師不足に喘いでいる。学院の卒業生はすぐにでも緊迫する前線へと送られる。故に即物的な戦闘技術の習得が、何よりも優先されるのだ。
だがそれ故にこそ、シオンは焦燥に駆られていた。小手先の技術の改良ではない、魔法理論そのものの革命。それだけが人間がエルフや魔族に魔法的優位を確立する唯一の道だと、彼は確信していた。
授業の終わりを告げる鐘が鳴り、シオンが一人、構想中の魔法理論について思考を巡らせながら廊下を歩いていると、背後から快活な声が飛んできた。
「おい、シオンっていったか? さっきのお前の魔法、すげえな!」
振り返ると、黒髪を短く刈り揃えた、快活な印象の少年――レオンが興奮した様子で立っていた。
「いや、あれぐらいのことは大したことじゃない」
「いやいや! 絶対すげえって。なんて言うか、お前の魔法陣、他の奴らのと違って、すげえ綺麗に見えるんだよ」
綺麗――そのあまりにも感覚的な、しかし本質を突いた言葉に、シオンは初めて同年代の他者に興味を抱いた。
(ほう。俺の魔法陣をそのように捉える者がいるとは。面白い)
シオンは脳内のデータベースから、レオンという生徒の情報を検索する。
(確か実技における単純な魔法処理速度は、何度か俺を上回っていたな。理論は壊滅的だが、純粋な反射神経と魔力への感応性は突出している)
その時、二人の間に鈴を転がすような、しかしどこか挑戦的な声が割り込んだ。
「私もそう思うわ。貴方の魔法は、まるで寸分の狂いもなく計算され尽くした、芸術品のよう。流石は噂の天才様、といったところかしら」
声の主は、艶やかな水色の髪を肩まで伸ばした、理知的な雰囲気の少女だった。
「君はたしか......」
「ルナーシア・アルミナントよ。私の名前もご存じないなんて、貴方にとっては私など道端の石ころも同然ということかしら」
「いや、知っている。アルミナント公爵家の才女。今年度の次席合格者だろう」
アドラー帝国において五指に入る大貴族。その令嬢が優れた魔導師の素質を持つという噂は、シオンも耳にしていた。
「ふん、ならよろしいのだけれど」
「あのアルミナント家の令嬢が天才って言うなんて、シオンはそんなに凄かったのか!?」
「あなた、本気で言っているの? 彼がアストラル学院の入学試験で、至上最高得点を叩き出したことを知らないのは、あなたくらいよ」
「へえ!?」
二人のやりとりをシオンは興味なさげに聞いていたが、内心では自分の魔法を綺麗と思う存在がもう一人いることに驚いていた。
「まあ、あなたほどの天才からすれば、私たちなど取るに足らない存在でしょうけれど......。覚えておきなさい。私は決してあなたに負けるつもりはないから」
ルナーシアは強い意志を宿した瞳で、シオンを真っ直ぐに見据えた。
「そうかアルミナント......」
「ルナーシアでいいわよ」
「ルナーシア、君がどう思おうと勝手だが、今の言葉で俺は君に非常に興味が湧いた」
「っ!?」
シオンのあまりにも率直な物言いに、ルナーシアは意表を突かれて顔を赤らめた。
「え、えっと、もしかして俺、お邪魔だったりする......?」
「いや」とシオンはレオンに向き直った。
「君にもだ、レオン。君のその目にも興味がある」
「俺もか!?」
同年代にさして興味を持っていなかったシオンは、二人のような存在がいるとは思いもしなかった。
(レオンというやつは、頭の出来はあまりよくないが、反射神経、瞬間的な魔法処理速度が優れている。こいつに合理性を突き詰めた魔法を使わせると面白そうだ。そして......)
ルナーシア・アルミナント。今年度の次席合格者であり才女の呼ばれる女。共同研究者とするのも面白いかもしれない。
◇◇◇
シオンは今日の履修科目を受講し終えると、アストラル学院の外れにある空き教室にいた。
魔法の実験という名目で、学院に申請し、貸し出された教室だった。
チョークの粉が舞う中、シオンは黒板に膨大な数式を書いては消し、書いては消しを繰り返していた。
シオンがしていたのは、前世でいう数学の代数学の一つである線形代数を用いた、魔法陣の構造解析であった。
線形代数を用いる理由、それは魔力の流れから魔法の現象に至るまで、それらは全てベクトルとして現すことが可能なためである。
故にこそ、そのベクトル空間上の計算をする上で、線形代数は適切という訳だ。
シオンが魔法という学問に触れて、最初に疑問を抱いたのは、何故エルフや魔族は人間よりも魔法が優れているのかだ。
勿論、単純な魔力量の違いや、魔力操作といった身体的な差が直接影響はしているだろうが、魔法理論においても彼らに後れをとっているのではないかと思っていたのだ。
それを打開するために、シオンが考えたのは彼等を超える魔法の最適化と、未知の魔法の作成である。それらをなすには、まず魔法の仕組みを理解しなければいけない。
その一つとしてシオンは魔法陣に目をつけていた。この世の生物が魔法を使うとき、魔法陣を通して魔法を使う。これは魔法式と言い換えてもいいかもしれない。
だが、この世の魔導師の大半は直感的に魔法陣を扱っている。それには色々と理由があるが、今はそれを置いておくとする。重要なのは魔法陣を通して魔法を行使すること。
シオンがこれから実施する魔法実験は単純で、適当な魔法陣に対して魔力の入力を行い、その出力を観測するだけである。
魔法陣の各部分(ノードや交差点)での魔力流の状態をベクトルで表現し、この集合体を入力ベクトルAとし、出力ベクトルをBとする。
この時、入力ベクトルAは魔法陣を通るとき、何らかの作用を受ける。この作用を行列式で表し作用行列Cとする。
この作用行列Cは魔法陣の特性と言い換えていいが、これだけだと複雑化しておりどのような事をしているか分からない。
そこで用いるのが作用行列Cの対角化だ。
作用行列Cを対角化することで、魔法陣の特性は最も単純な形へと変換される。これは、複雑に絡み合った魔力流の相互作用を、それぞれの魔力流が他の魔力流に影響されずに独立して機能するような基底に変換する操作に他ならない。
対角化によって得られるものは主に二つ。
一つは固有ベクトルだ。これは、魔法陣が本質的に持っている、魔力流の方向が変わらず強さだけが変化するような安定したパターンを示す。
魔法陣の内部で、最も効率的に、あるいは安定して魔力が流れる経路、本質的な魔力モードと呼んでもいい。
もう一つは固有値である。固有値は、それぞれの固有ベクトルが魔法陣を通ることでどれだけ増幅されるか、あるいは減衰されるかという倍率を示す。
この値が、魔力流の安定性や、特定の属性への親和性、あるいは暴走の危険性を示唆する。例えば、固有値が極端に大きな固有ベクトルが存在すれば、その魔法陣はその魔力モードにおいて過剰な増幅を引き起こし、暴走する可能性が高いと判断できる。
つまり、対角化は、複雑な魔法陣の内部で行われている隠れた処理を、個々の独立した魔力チャンネルとその影響度という形で可視化する行為に等しい。
これにより、シオンは魔法陣の設計思想や、なぜ特定の効果が生じるのか、あるいはなぜ不安定になるのかを、感覚ではなく明確な数値と理論で理解できるのだ。
そして、この魔法陣の対角化によって得られた知見は、シオンが抱くもう一つの大きな疑問、すなわちこの世界の魔法を構成する真の根源は何かという属性の基底解析へと繋がっていく。
個々の魔法陣が持つ固有の魔力モードが、もしかしたらこの世界の魔法全体を構成する基底の断片であるかもしれない――シオンの思考は、さらなる深淵へと向かっていくのだった。
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