繭のすべてを知りたかった

海来 宙

一. 路線バスの恋

「じゃあ、彗星じゃなくて流れ星を何回見たら死ぬと思う?」

 まゆから今日最初に聞こえてきた言葉、僕は先週彗星が話題になったの思い出した。隣の少女が「流星群を観察してた人が死んだ話は聞かないからね!」と諭していたけれど、流れ星の話が乗っている白いバスよりも重いのは、繭が抱える難問のせいだった。

 僕が稲佐いなさ繭の存在を知ったのは、平凡なだいだい色の手すりと蒼い座席が並ぶ同じバスの車内。あの日は豪快に雨が降っており、我が校の数万倍かわいい柚葉ゆずは色のブレザーはぬれてもその価値を失わず、貧乏なくせに私立中に行けば良かったと僕にどうしようもない後悔をさせた。まあ今になって思えば、価値を持っていたのは制服より彼女、つまりはひと目ぼれだった。

 いや、その制服をかわいいとは前から思ってたよ。でも繭は清楚を通り越して不思議な透明感を持ち、制服以上に輝きを放っていた。ただ今の会話でわかる通り、生きる力を奪われた女の子でもある。

「おうっ、たかまさ。そっち行ぐから俺の場所空けろよ」

 ややなまった声は僕のクラスメートの龍樹たつき鬱蒼うっそうとした森の停留所でバスに乗った彼は、わざわざ入口の中扉より後ろに立つ僕めざしてやってくる。いつもと同じで狭いんだってば。

 頭の中が繭繭繭だった僕は、そんな彼のせいでよけいなことを思い浮かべた。僕の名前は流星ならぬ「隆正りゅうせい」にもかかわらず、訓読みした「たかまさ」があだ名になってしまったのだ。苗字は藤嶋ふじしまで――、どうでもいいか。

 ああ、いっそ繭に「流星」って言ってほしかったな。

「教室では前後の席なんだから、混んでるバスの中までそばにいることないんだけど」

 僕は今後ろに座る繭を心配したいのに、龍樹がいたらそうもいかない。あ。彼を逆に音読みで「りゅうじゅ」と呼ぶのはどうだろう、ほらほら彼女のことを考えられなくなってる。ちなみに彼は小学一年生からの親友である。

「まったぐよ、たかまさには俺の愛を感じてもらえねえのか……」

「龍樹には女の子の恋人がいるはずだけどね」

 二人それぞれにため息をついたとき、繭の声がもう一度聞こえてきた。

「ごめん――、いつも暗いことばっか。誕生日なのに」

 どきんんっ、誕生日?

 でも隣の友達のでは?とときめく心臓をなだめていたら、

「繭の誕生日なんだから繭がどうしようと勝手でしょ。ただ……、まだ明日だよ?」

 うおおおおっ、明日が繭の誕生日なのか! 彼女の大切なことを一つ知れて、僕はあやうくガッツポーズするところだった。明日は十月二十二日で天気は秋晴れの予報。そして彼女の胸を彩るリボンが黄色なのは、僕と同じ二年生と調べずみだ。彼女は制服のリボンが嫌いらしいが、明日十四歳になる。

「そうだ、たかまさにはいつ春が来るんだ?」

 ぐふっ。今度の割り込みは何だよ、やけに古風な言い方を出してきて。その前に冬が来るから――まあ、恋をしただけで〝春〟ならすでに来てるのか。うわあバスが揺れるっ!

「おっと、と、ごめん……」

「くぐっ、痛えって。おめえでなきゃ許さねえところだ」

 ははは、こっちは遠心力で飛ばされた先が龍樹で助かったよ。

 僕は姿勢を立て直しながらちらと繭のほうを見る、たまたま目が行ったふり。彼女は伏し目がちで、どこかエナガに似ている気がした。

「そうだすみな、誕生日に、母親に産んでくれてありがとうって言ったことある?」

 彼女が口を開く。

「あ――、うん。でも繭は、つらいんだったら無理しなくていいと思うよ? そりゃあ言ってもらえれば、うれしいだろうけど」

 繭を痛めつけている難問は、僕にはまったくの謎に包まれていた。彼女と「すみな」と呼ばれる友達の話をいくら盗み聞きしてもがんばる気力を失った原因はわからず、だからその点でも「難問」だった。

 そんなの中学生には、特に女子にはありきたりだって? だけど繭の場合はすみなさんが同じ放課後に五回も生存確認したことがあるほど深刻で、また学校でいじめられている気配はなく、家庭で虐待されたり逆に私立中に入れられて過度な期待にさらされたりもしていないようだ。親の期待はほどほどでも進路に悩んでる? 高校受験のない私立だよ? 部活動は帰宅部みたいだし、友達はいつもすみなさんがいてくれる。じゃあいったい何が繭から笑顔を奪ったのだろうか。

 笑顔を奪った――、そう、ひと目ぼれした瞬間さえ彼女は虚無に支配されて見えた。ふと暗い女の子が好きなのかと胸に問いかける僕。いやいやいやいや、僕は彼女に笑っててほしいしもちろん笑顔を見たい。気持ちが深く沈んでいても異性を恋に落とせるくらい彼女が魅力的なだけだよ。

 と、とにかく僕は恋する人が毎日つらそうにしているから、何とかそのくろがね色の瞳を元気づけたいと願ってるわけ。好きってそういうことでしょ? そこに見返りを求めなくなったらきっと〝愛〟、たぶん。僕はまだその境地には遠い未熟者で、繭に自分を好きになってほしかった。

 では乗り降りする停留所からして違う他校の少女に、僕はどうしたらいいのだろう――とこのように悩み苦しむ僕のそばで、さっきから龍樹がしゃべり続けている。そろそろ怒りだすころだ。

「おい、聞いでんのか?」

 ほらね。

 しかし無視したかったのではなく恋を優先していただけだから、僕は焦りもせずに「龍樹のおかげで悩んでんだよ」と返した。

「ほほう、それはどういう……はっ、恋か? おい!」

 僕に「いつ春が来るんだ」と言った龍樹はすぐ思い至ったらしいが、いくらバスの中でも大声はやめてくれ。繭に聞こえてしまう!

 結局焦った僕は彼にだけ届く音量で叱り、

「そんな大きい声で言わないでよ」

 ちょうどバスが少女二人を降ろす停留所に着いて前のめりになった。

 僕たちの横を二人が、特に僕を押しのけて繭が出口へと歩いていく。彼女が重要な何かを口走った気がしたけど、霧のように消えてなくなった。

 身体からだがどくどくひやひやで彼女の手にふれられなかったのも残念。我が校までの残り二キロは龍樹に「あとで話す」とだけ告げて、僕は自分の悩みより重い彼女の苦しみに必死に頭をひねっていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る