第34話

「気を遣わせてすまない。でも、居てくれて心強かった。」



入江先生のその言葉は、今日の自分に後悔し始めているあたしの心に更に複雑な想いをもたらした。




【気を遣わせた】

それはやはりあたしの一瞬の気の迷いでスキと言ったを思っているんだというガッカリとした気持ち


【居てくれてよかった】

それは、彼の心の中であたしの存在がちゃんとあるということを示しているのではないかという期待感



そんな複雑な想い

そんな答えのせいであたしは


『心強かったと言って頂けて光栄です。』


オトナの女性のフリをして強がった模範解答をするしかなかった。



ついさっき入江先生のことを呼び出した人のところへ向かおうとしている彼に。



「そうか。こっちこそありがとな。」


『・・・いえ。』


「それじゃ、おやすみ。」


『おやすみなさい。』



車のアクセルを踏んで、目の前から走り去った入江先生の今日の最後の言葉。


それは、いつも職員室から返る時の“お疲れ”ではなく、“おやすみ”だった。


同僚として退勤時のお決まりの挨拶である“お疲れ”ではなく

親しい人に言ってもらえるような“おやすみ”


そんな些細な違いに、胸を揺さぶられて・・・


あたしの入江先生へのベクトルの向きは

やっぱり簡単には変えられなさそう

そんなことまで思った。


それを知っているのは

冷えた空気によって透き通るように見えるキレイな夜空の月だけ。

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