第6話
「で、事前に言ってなかったんですか?綾は。」
「・・綾?」
稲葉先生の問いかけに対し、入江先生は目をしかめ、女性の名前を聞き返した。
そんな入江先生の表情の変化にも稲葉先生は怯むことはない。
「あっ、蒼井のことです。アイツ、兄貴の命日だから、朝一番に墓参りに行ってくるって昨日、言ってましたけど。」
「・・ボクには何も。」
「変な心配とかかけたくなかったのでは。1時間目には間に合うように来るからって言ってましたよ。」
蒼井の担任である稲葉先生は彼女の事情を知っていたようだった。
「・・・そうですか。」
溜息混じりにそう呟いた入江先生は稲葉先生に対し軽く会釈をしてその場を離れようとした。
「あっ、入江先生。アイツ、今日はそっとしておいてやって下さい。」
「蒼井に、何かあったんですか?」
眉間にうっすらと皺を寄せた入江先生だけでなくあたしも気になった。
稲葉先生にそっとしておいてと言わせた蒼井に何があった・・・のか?
「僕から部活の無断欠席についてちゃんと注意しておきますから。」
それでも稲葉先生はその理由を語ろうとはしない。
あたしには稲葉先生が
“蒼井に気安く近付くな”と言っているように聞こえて仕方がなかった。
「・・お願いします。」
稲葉先生の丁寧な言葉を利用した見えにくい圧力はあたしだけでなく、声を押し殺しながらそう答えた入江先生もちゃんと感じ取っていたようだった。
そんな入江先生の横顔はどこか寂しそうに思えた。
あたしはとうとう気がついてしまった。
入江先生の中で蒼井という存在が
“気にかけてやらなきゃいけない存在”なんかではなく
“なくてはならない存在”になっているということを。
そして、蒼井の担任の稲葉先生に対しても
彼女とそして入江先生にも
なんらかの複雑な想いを抱いているということも。
けれども渦中にいるはずの蒼井は
その日の夕方の練習にも姿を現さなかった。
入江先生は美咲に蒼井の様子を聞くことはなかったけれど、体育館の出入り口へ目をやることが多かったように思えた。
いつ現れるかわからない蒼井を必死に探しているように。
そんな彼女が練習に現れたのは翌日の朝練だった。
入江先生を見つけ、まっすぐに彼の元に駆け寄った彼女。
「入江先生。昨日はすみませんでした・・何も言わずに部活を休んで。稲葉先生から入江先生が心配されてたって聞いて。」
「何かあったのか?」
「・・・・飼っている犬の調子が悪くて。」
「・・・・そうか。」
おそらく事実ではない理由を口にした蒼井を入江先生は問い質そうとはしなかった。
けれども彼は一瞬顔を歪めたのをあたしは見逃せなかった。
それからしばらくして、そんな彼が一瞬ではなく、明らかに顔を歪めた出来事にあたしは遭遇してしまった。
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