6月7日の恋〜そして三年間〜
幽幻 桜
すべてのおはなし
序章
その日から。
十年という月日が流れた。
アタシはもう、遠くの遠くまで来ていた。
貴方との約束を一つも守れないまま。
十年前。男の愛というものを貴方から知った。貴方に教えてもらった。
けれどそれは泡沫のように、幻のように、消えかかってしまっている。
貴方はアタシを覚えてますか?
第一章
高校一年の夏から三年間。
アタシは淡い恋をしていた。
私が貴方を初めて見たのは、入学式の時。
体育館の壇上で挨拶をしていた人。それが貴方だった。
私はその姿を壇上の下から見上げていた。
その姿にただ――一目で恋に落ちてしまった。
「ねぇ、そのクリアファイル、あのバスケアニメの、だよね?」
季節は春。私は中学校を卒業し、晴れて新入生として高校に入学した。
楠高校。楠高、と略して呼ぶ事になる学校。
私はそんな楠高の教室に通された。
入学式まではそこで待つとの事で。
通された教室では、一人の先生が歩きながら、教室にいる生徒達一人一人に声を掛けていた。
黒板に席順が貼ってある、との事だったので黒板の前に立ち、席順を見る。
私の席は――結構後ろの方だ。苗字も後ろの方だもんね。
席に着くと、私にも歩いていた先生に声が掛けられた。
「あ、そのキャラクター私も知ってる」
私のは、鞄から取り出した一枚のクリアファイルのキャラクターがキッカケだった。
席に座り、一息つく。
……一息ついても、とにかくソワソワしていた。
私はどちらかというと学校という存在は嫌いだった。勉強は嫌じゃない。でも私はどんくさくて、バカで。だからか、いじめられっ子だった。その理由なんて大した事無いかもしれないけど、とにかく中学までは嫌われ者だった。
だけど、新しい環境ともなれば、もしかしたら。
私は正直、期待もしていた。
怖さ半分、期待半分。
私は右隣に座る女の子をチラリと見た。その子の手には、オタクなら誰でも分かるであろう有名なバスケアニメのクリアファイル。言うのが遅くなったけど、私はオタクなのだ。正確には、まだ成長途中のオタク。そんな私でも知っていたアニメ。だから私は思わず――
「ねぇ、そのクリアファイル、あのバスケアニメの……だよね?」
その子に話し掛けた。
同じモノが好きなら、仲良くなれるかな。ダメで元々でも、もし仲良くなれたら。そんな思いを持ってその子に話し掛けていた。
その子は――パァッと顔と顔を輝かせて返事をくれた。
「ごめんね、私、実はそのアニメ詳しくなくて。でも、マンガを少し読んだ事はあるからちょっとだけ貴方の事が気になって」
「え、全然です! もし良かったら入学式まで話しませんか……?」
その子は眼鏡をかけていて、何だか大人しそうな子。だけど、どこか人懐っこい笑顔をしていた。
「もちろん! あ、私の名前は、『美桜』っていいます。」
私はそこで自己紹介をした。苗字は言わずに、下の名前だけ。私の苗字は難しいから。
「あ、私は実乃里っていいます……よろしくね」
「うん、よろしく! あと全然敬語じゃなくていいよ! 同い年……なんだし」
「わかった、よろしくね、美桜ちゃん!」
私達は笑い合った。
教室の中は割とざわざわしていた。
暫く経ってから聞いた話だったのだけど、この学校に入学してきた生徒はどうやら元々同じ中学の人が結構いたらしい。だから、知ってる仲も多かったのだとか。
新しい環境にしては割とざわめいてるクラスの中、私と実乃里ちゃんは色んなアニメの話を少しずつしていた。少しずつ、というのは自分達の自己紹介も交えながら話していたから。
出会ったばっかりだけど、どうやら私と実乃里ちゃんは気が合うらしい。まだ入学式も始まってないのに気付けば結構仲良くなってた。
後の話にはなってしまうけれど。
アタシと実乃里は高校を卒業しても仲がいいんだ。
二人で話していると、いつの間に教室の外に出ていた先生が扉から半分体を出し、
「入学式が始まるから、廊下に並んでくださーい!」
と声を掛けてきた。
「行こっか、実乃里ちゃん」
私と実乃里……というかクラスの人達も先生の声によって席を立ち、廊下に並んだ。
入学式は出席番号順に並んで、と言われたけど、自分の席の前後がどんな人だったかなんて覚えておらず、並ぶのには結構な時間が掛かった。
だけど先生のサポートもあって、なんとか並び終える事が出来――
「じゃあ、体育館に行きます!」
と声を掛けてきた先生――後の入学式で紹介があったのだけれど、私達のクラスの副担任の先生が列のまま体育館へと私達を連れて行った。
体育館はすっかり式典の模様。
副担任の先生の指示通りクラスの人達は席に座っていく。
恙なく入学式は終わる――と思いきや。
私達のクラスだけ並び順がちょっと違ったっぽい。
少しだけバラけてて、ちょっと恥ずかしかった。
でも、その話は一旦置かせて下さい。
この後、
入学式が終わり、新入生――もう入学式を終えたから一年生と呼ばせて貰うけど、一年生だけが体育館に残された。
学校についての難しい話を聞かされて、少し眠くなってきた頃。
担任の先生の紹介となった。
副担任の先生は既に教室にいたから知っていたけど、担任の先生はここで初めて見る。
緊張した。
怖い先生は嫌だな。
優しい先生だといいな。
ドキドキしながら壇上に目をやる。
楠高は一学年六クラスあって、先生は各クラスに二人。担任と、副担任。
壇上には、十二人の先生が並んだ。
時、に。
私はその中の一人の先生に目を奪われた。
私から見て左から三人目の人。
若くて、遠目から見ても凛々しくて。
ちょっと怖そうだったけど、その表情はキリッとしていて――何だか胸が熱くなるのを感じた。
とはいえ、私も新入生。目を奪われこそしたけれど、一年の担当の先生は気になるよね。先生方の自己紹介を聞いていた。はず、な、のに。
その先生の自己紹介になった時、その後も。記憶があんまり無い。
その先生の声に、私はもう全てを奪われた。
自身の自己紹介を淡々と。そう、淡々としていく先生に――後から思ったけど、きっと私は、その時にその先生に恋をしてしまったのだろう。
その先生の名前は、翠(すい)という。
「いや~! 入学式の並び順、ちょっと失敗しちゃってごめんね~!」
教室にクラスメイトと先生二人と戻って来てから、担任の先生が開口一番に発した言葉はそれ。
でも私は正直その事はどうでもよかった(ごめんなさい)。
「あれは俺のせいだから気にしないで欲しい!
俺は佐藤といいます! 一年間よろしくな!」
私達の担任になった先生――佐藤先生は体育の担当。
ちなみに副担任の先生は松原先生というらしい。国語担当との事だった。
二人共とても明るく優しそうな先生で、その事には安堵しつつも……正直少しだけ、悔しかった。
私が目を奪われた先生(この時は、まだ恋だなんて思って無かった)は、隣のクラス、一個隣のクラスの副担任の先生だった。
(そっか……)
その先生――翠先生の担当は化学との事で。
(でも、私のクラスの化学の担当なんだよね……)
佐藤先生の明るいトークと松原先生のたまに入るツッコミに笑いながらそんな事を思い、その日は帰宅となった。
それから数日経った日のこと。
この日……今日は、翠先生の初めての授業の日。
高校の入学、というのは大分大掛かりな事の様で、授業といえる授業が始まったのは入学してから一週間は余裕で経っていた。
その間に色々した。
学校案内やオリエンテーリング、学校の規則のお話を聞いたり、細かなルール等。
授業の受け方進め方とかも念入りに教わったし、本当に色々。
生徒会や部活の紹介なんかはワクワクしたのを覚えてる。
私はもう、入りたい部活は決まっていたけれど。
文芸部に入りたいのだ。
……まさか、この後に起こる出来事がアタシの人生を変えるなんてね。
そんなこんなが終わると――ようやく授業。
私の得意教科は国語系。現代文と古典が得意科目。
でも……本当に一番の楽しみは翠先生の授業なんて誰にも言えるはずはなく。
ちょっと話が逸れるけど、入学してからなんだかんだお友達は出来た(良かった)。
実乃里と同じ学校だった子・愛や、新しい環境で仲良くなった子等。
そんな新しく出来たお友達にも――この感情の事は誰にも言ってない。
何だか……言ってはいけない気がして。だって相手は先生だもん。
それでもやってくる授業。
みんなにとっては、ただの日常。
私にとっては――密かな楽しみ。
翠先生の担当の化学は三時間目とかで。
一時間目と二時間目はあまり身が入った感じはしなかった。
そしてようやく迎えた――三時間目。
教壇に立つ、翠先生。
「えー、俺の名前は翠といいます。皆さんの化学を担当します。よろしくお願いします」
なんて事ない、ただの挨拶。
でも、その声は今まで授業をしてくれた先生の声よりも、私の頭に入ってきた。
改めて聞いても――透き通る、凛とした声だった。教室が体育館より狭い分、更によく聞こえた。
入学式の挨拶の時は全く笑っていなかった翠先生。でも。
「字は汚いけど笑わないでね」
と、黒板に字を書く時に笑ったのだ。
(可愛い……)
正直、大人の男性に使うような言葉じゃなかったのは確か。
でも可愛かったのだ。真顔とのギャップというか。
凛とした顔と笑った顔の可愛いギャップ。
それがとても魅力的に映った。
挨拶を済ませると授業は始まった。
私は頭が良い方じゃないから、授業はしっかり聞いた。
最初だから授業らしい授業というよりは、何故化学を学ぶのか、とかコラムに近い内容だった。
翠先生の授業は、贔屓目があったかないかは正直覚えてないけど分かりやすかった。教え方が根本から上手いというか。
さっきも言ったけど私の得意科目は国語・文系。
なのに全然。頭に入って来る。
隣に座る、実乃里と小声で話が出来る位には余裕だった。
「ね、先生の字可愛いね」
「ね!」
そんな事を話してしまう。
ただタイミング悪く……その話の時に翠先生が目の前に歩いてきていた。
「汚い字だからって笑わないでよ」
なんて笑いながら言われる。
半分聞き取れて、半分聞き取れてない返しだった。
「違いますもんっ! ね! 実乃里!」
「そうそう! 美桜が先生の字可愛いって!」
「ちょっ、美野里!」
そんなお話をした。
そうしたら翠先生は笑って歩いて行ってしまった。
もう授業の内容なんて正直覚えてないけど、この事は鮮明に覚えている。
「せ、先生……さっきの……」
授業が終わって教壇で片付けをしている翠先生に声を掛ける。
字のことはバカにしたワケではなく本当に可愛いって思ったって話をしてたこと、可愛いって言ったのをバラされたのを、どう誤魔化そうかと思って。
すると先生は、
「バカにしたワケじゃないのは知ってるよ」
と笑いながら言ってくれた。
(なんだ、聞こえてるんじゃん……)
そんな事を思いながら、それ以外の事も、少しだけお話をした。本当に、少しだけ。
先生にも次のお仕事があるから。
でも……
(時間があったら、ずっとお話してたいのにな)
そんな事は、思っていた。
第二章
それからもう一か月近く経って、ようやく高校生活にも慣れてきた頃。
私と実乃里はすっかり仲良くなっていた。
実乃里はマイペースで、割とおっちょこちょいで。
そんな実乃里に私はいつも付き合っていた。
今日も、そんな日だった。
(はぁ、今日は何やらかしたのさ)
心の中で一人ごちながら、職員室の扉の前に座って待ち人を待つ。
その時――
「ん」
職員室から出てきた翠先生と、目が合った。
その手には、大量の紙。
「どうしたの」
と聞かれた。
私は隠す事も無いので「そこの実乃里待ってます」と実乃里の方を指指して言う。
そしたら私の意識は、翠先生が持つ紙の束に注がれた。
「その紙は……」
「あぁこれ?
演劇部の台本」
演劇部……。
――翠先生が演劇部の顧問だったのは知っていた。
なら入ればいいじゃん。そんな声もあるだろう。
でも私は――中学の時のトラウマで、演劇部とは、演劇とは。距離を置きたかった。か、ら。演劇部には入らなかった。この学校に入学してからずっと入りたかった文芸部一本。そう決めていた。
でも。
「気になる?」
私が『台本』という存在をやっぱり気になってしまったらしく、それを感付かれてしまったのも明白で。
「……来てみる?」
と。
声が掛けられた。
正直、悩んだ。でも。
「行き、ます」
何でここでこう言ったんだろ。
やっぱり、好きだったからかな。
お芝居も、先生も。
実乃里に「用事が出来た」とだけ伝えて別れ、私は先生についていった。
演劇部の部室は大分……こう……埃っぽい所にあった。
中に入ると、これまた埃っぽい。でも人は何人かいて。
男子生徒と女子生徒(後に男子生徒は全員先輩だと知る)がフツーにいた。
翠先生は着くなり椅子に腰掛け、部員の方々と仲良く談笑を始める。
私は声を掛けてきてくれた別の女子生徒の子と喋った。
この日は部活動らしい活動をしないまま、何もせず終わった。
でもなんでかね、
次の日には私は演劇部に入って、その約一か月後には演劇部の発表会に出ていた。
その頃にはもう、先生への思いは『恋心』なのだと私は知っていた。
~断章~
いつだったかはもう覚えてない。
覚えてないけど――アタシと翠先生は、連絡先を交換していた。
アタシからだった。
頑張って、勇気を出して、翠先生に自分のメアドを渡した。
その日の夜は疲れ果てて眠ってしまっていたけれど――起きたら、翠先生から連絡が来ていて心の底から喜んだ。声も出た。
まだ寝ていたママからはうるさいと言われた。
連絡先も交換して。それ+授業が始まる前、終わった後、それから部活と、どの時間も翠先生と私は一緒にいた。
私は変わらず、文芸部と演劇部の二足の草鞋。
文芸部の方は、入部した時に私以外に部員がいなかった為、部長になった。
文芸部の、部長。
最初は私一人だけだった文芸部。
後から部員も増えてくれて、そこで、一番。今も昔も女友達の中でこの世で一番仲が良い子とも出逢った。その子の名前は■■という。
でも今はそれは置いておく。
この子は後で、重要になってくるだけ。
話を戻そう。
ずっと一緒にいた私と先生は正直――仲が良かったと思う。
自惚れかもしれないけど、翠先生も私の事は悪く思ってなかったと思う。
だからさ。
だからさ。
ある時、部活中に翠先生が部員全員に話をした。
今度の6月7日に、自分が好きな劇団の公演があるから見に行かないかと。
だけど……来れたのは私と、もう一人の女子生徒だけ。
正直気軽だなとは思ったけど、もしかしたら、を期待してしまった自分が少しだけ恥ずかしかった。
人が少ないなら、もしかしたら二人になれるかな、なんて。
結論から言うと、二人きりにはなれた。
芝居鑑賞の日。
私は気合を入れた。
当時の私にメイクなんて概念は無かったからしていかなかったけれど、一番自分に似合うと思っていた服を着て、髪の毛も念入りに整えて。
翠先生と待ち合わせていた集合場所に行って。
その日はスタートした。
芝居鑑賞後。
正直に言って、邪な事を考えてしまったのが恥ずかしい程公演は良かった。
私はボーロボロ泣いていた。
もう一人の部員にバカにされる中、その子と翠先生と私、三人で街を歩いていた。
そこは今では有名なオタ活街。会場から駅までは程近く、すぐに解散の運びとなってしまった。
私はオタクなので、もう少しこの街で遊んでく、と言ってすぐには帰らなかった。でももう一人の部員は帰ったし、残されたのは――
「……」
私と、翠先生。
「……」
「……」
流れる沈黙。
お芝居の感動も残ってはいたが、まさかの展開に心臓が早鐘を打つ。
買い物やオタ活をしたかったのは事実だし、だから残ったのは紛れもない本心。
でも、まさか本当に二人きりになれるなんて。
私の心にはまた邪な気持ちが顔を出し始めた。
「……っ! あのっ!」
勇気を出さない事には始まらない。
でもそれが、後になって悲しい記憶になるなんて、思わないまま。
時が流れ。
二年生になったタイミングで、私は演劇部を辞めていた。
表向きはやりたい事が出来た、という理由で。
その理由にも嘘は無い。無い、けれ、ど。
でも……先生との関係が悪化して、居づらくなったからなのが大きいかな。
それに。
あの後新しく演劇部に入ったクラスメイトに、私の立ち位置全部、奪われてしまったんだ。
嗚呼、
それをまざまざと実感してしまったから。
だから、辞めた。
終章
6月7日。
その日に何があったのか。
それはここでは書かない。
でもその日は、過去の私にとってとても幸せで、今のアタシにとってはとても悲しいものになっている、とだけ。
それからのアタシは酷かった。
文芸部の方で、男子部員が女子の後輩部員を泣かせた。
その子の為――いや、誰かの為に、なんていうのは烏滸がましいけれど、事実はそうだから書くね。
烏滸がましいのは分かっているけれど、私は泣いて縋ってきたその子の為に好きでもない人――泣かせた男子生徒に身体を預け、そして穢された。
だからもう、綺麗な身体も、合わせる顔なんてものも、無いんだ。
それからもう幾年経って。
その日の事も、その後の事も。
真実は全て、アタシと■■しか、知らない。
おしまい
Dear.
「ねぇ、あの日ー6月7日さ、あの三年間さ、貴方は何を思ってくれていたのかな。
今更になってさ、アタシ、ヒドいことしてたのを分かったんだ。
気付くのが遅くなってごめんなさい。
もう会えなくなってから気付いて、言えなくってごめんなさい。
でもね。
アタシは確かに、貴方に恋をしていた。
貴方にとってアタシの存在って何だったの?
ただの新しい『オモチャ』?
都合の良い利用するだけの存在?
……もういっそ、そうであってよ。
さようなら、アタシが恋した貴方。
もう二度と、出逢えませんように。
未練とかじゃないけれど、でももし、もしも。
奇跡が起きたなら。
何のしがらみも無しに、また貴方と笑い合いたい。」
6月7日の恋〜そして三年間〜 幽幻 桜 @mikoluna
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