第42話 あなたの罪、わたしの罪
「レノーア……?」
血の気を失い、真っ白になった顔。いつもは冷静な、あの美しい真紅の瞳が、大きく見開かれている。
その様子が、何よりの答えだった。
日誌に記された「エレア」という名が、彼女の、決して触れてはならない傷であると。
「まさか……エレアって……あなたの……?」
その言葉が、最後の引き金になった。
ぷつり、と。今まで、彼女を辛うじて支えていた見えない糸が、音を立てて切れた。
レノーアは膝から崩れ落ちた。まるで、壊れた人形のように。
「……そうです」
床に落ちた涙の雫が、小さな染みを作る。絞り出すような、掠れた声だった。
「エレアは……私の、たった一人の、妹です」
その告白は、あまりにも重かった。
私の頭の中で全てのピースが、最悪の形で組み上がっていく。
10年前の庭園。私の暴走した力。眠り続ける彼女の妹。
「あの日……」
レノーアは遠い過去を見つめるように、とつとつと語り始めた。
「私たちは、父の手伝いをしておりました。今はもう、忌み地となってしまいましたが……かつて、見事な薔薇園が広がっていた、あの土地です。 庭師だった父の娘である私たちは、翌日からローゼンベルク家で下女としてお仕えすることが決まっており、胸を躍らせていたのです。……私は少し離れた場所で、花の植え替えを。妹のエレアは、噴水の近くで無邪気に蝶を追いかけて……」
彼女の脳裏には、その光景が今も鮮明に焼き付いているのだろう。
そして、その幸せな光景は、一瞬で悪夢に変わった。
「次の瞬間、世界から音が消えました。黒い衝撃の波が、全てを枯らしながら広がっていくのが見えました。その中にいた、エレアが……悲鳴一つ、上げることなく、糸が切れたように、その場に……」
それからの日々は地獄だった、と彼女は言った。
原因不明の呪い。どんな高名な神官も癒し手も、首を横に振るばかり。
ただ眠り続ける妹の、その手を握りしめ途方に暮れていた、そんなある日。
一人の男性が、姉妹の前に現れた。
「アラリック・フォン・ローゼンベルク様でした。あの方は私たちに『必ず君の妹を救う』と、そう約束してくださいました。そして私に、特別な施設で最高の教育を受ける機会を与えてくださったのです。あの方は私に……生きる希望を与えてくれました」
兄がそんなことを? それは彼の罪滅ぼしだったというのか。
あまりにも歪んだ、独りよがりの。
「あとはご存知の通りです。訓練を終えた私は、黒鎧を通じて任務を与えられました。お嬢様を監視するように、と」
彼女は、アラリックを信じていたのだ。
恩人が妹を救うための唯一の希望だと。
そのために彼女は、感情を殺し、リゼロッテ・フォン・ローゼンベルクの「安全装置」となるべく、従者として、私の元へ来た。
「──ですが、私は知ってしまったのです」
レノーアの瞳に再び、あの夜の激しい光が宿る。
「巨象討伐の時の、お嬢様が放った『崩壊の力』。それがあの日、妹を襲った力と全く同じものだと。私は直感してしまったのです。その時、初めて私は理解しました。お嬢様こそが、妹の呪いの原因だったのだと……! そして、アラリック様はその罪を隠して、私を利用していたのだと……!」
あの夜、私に刃を向けた彼女の瞳。
その奥にあったのは、任務への決意などではなかった。
恩人に裏切られた怒り。
元凶である私への殺意。
そして「術者が死ねば、呪いが解けるかもしれない」という、藁にもすがるような、絶望的な祈り。
その全てが、ないまぜなって、彼女を凶行に走らせたのだ。
全てを聞き終えた。
私の頬を、一筋の涙が伝った。
私のせいだ。
私の、この呪われた力が、彼女の妹の人生をめちゃくちゃにしてしまった。
兄の罪だって? 違う。それだけじゃない。これは私の罪だ。
「……ごめんなさい」
声が、震える。
「ごめんなさい、レノーア……。私があなたと、あなたの妹さんの時間を奪ってしまった……」
彼女と同じように膝をつき、泣き崩れる彼女の華奢な身体を、強く抱きしめた。
ごめんなさい。ごめんなさい。
ただその言葉だけを繰り返す。
腕の中で彼女が、小さく呟いた。
「いいえ……。もう、いいのです。私は、お嬢様を殺そうとまでした、大罪人……」
「違う!」
私は、叫んでいた。
「あなたは悪くない! あなたは、ただ妹さんを助けたかっただけじゃない! 悪いのは私と、あなたを騙し、利用した私のお兄様よ!」
彼女の顔を、両手でそっと包み込む。涙で濡れた真紅の瞳を、まっすぐに見つめた。
「ありがとう、レノーア。話してくれて。……もう、一人で背負わないで」
そうだ。もう終わりにするんだ。
こんな、悲劇の連鎖は。
「これからは、二人で背負いましょう。……いや、三人か。ヴェロニカもいるわ」
「お嬢様……」
「必ず、エレアさんを助け出すわ。この私の力で。絶対に」
誓いだった。
私の罪を、この手で清算するための。
そして、私が愛してしまった、このあまりにも健気な人を、絶望の底から救い出すための、たった一つの誓い。
書斎の、冷たい静寂の中。
罪と真実とを共有した私たちは、お互いを支え合うように涙を流し続けた。
耳元の通信機からは、いつからか、何の音も聞こえなくなっていた。
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