第34話 刺客の記録

 兄が、私の魂に「傷」をつけたのかもしれない。

 そのあまりにも重い仮説を突きつけられてから、一夜が明けた。

 部屋の中には未だに緊張と「真実を暴く」という、暗黙の共闘意識が張り詰めた糸のように漂っていた。

 私たちはテーブルを囲んで、向かい合っている。


 レノーアが数枚の羊皮紙を、そっとテーブルの中央に差し出した。


「……書き出しました。私が黒鎧の男を通して、アラリック様から受けた指令の全てです」


 そこには彼女の、美しくもどこか機械的な文字が、びっしりと並んでいた。

 私はゴクリと喉を鳴らし、その一枚目を手に取った。

 三人の視線が羊皮紙の上に集まる。


『――リゼロッテ・フォン・ローゼンベルクに、従者として仕えよ。その力を、常に監視し、動向を報告せよ』


 そこまで読んで、私は息を呑んだ。続く一文に、私の心臓が鷲掴みにされたように痛む。


『そして万が一。彼女の力が制御不能の破滅的な暴走に陥った、その場合に限り――対象を、速やかに排除せよ』


「……これが、お兄様の、命令……」

「はい」


 それは単なる「暗殺指令」ではなかった。

 例えるなら、いつ爆発するか分からない危険な魔道具についての対応書。そんな感じの扱いだ。


 しかし、本当に私を殺したいなら、もっとやりようがあったはずだ。

 淡々とした無機質な対処とも、情けのようなものが隠されているとも考えられる。

 どちらだろう。

 私の混乱をよそに、ヴェロニカが冷静に次の記録を指し示す。


「ここを見てください。誰の言動の記録でしょうか?」


『あの力は、もはや壊れた錠前だ』

『あの時……あの封印は、不完全だった』


「黒鎧が私に密命を伝える時に、言っていたことです。その後は何を聞いても、答えてくれることはありませんでしたが……」


 レノーアは伏し目がちに、そう答えた。


「壊れた錠前……不完全な封印……か」


「やはり、私たちの仮説を裏付けていますね」と、ヴェロニカが低い声で言った。「彼は10年前に、何らかの『封印』を試み、そして失敗した。そのことを、暗に認めている」


 そうだとしたら、あまりにも酷い。

 彼は自らの失敗のツケを、私一人の「呪い」として、十年間も放置し続けてきたというのか。

 怒りと悲しみが、同時にこみ上げてくる。

 私は最後の羊皮紙に目を落とした。

 そこには、彼らが密会していた場所と日時が、正確にリストアップされていた。


「森の中、古い厩舎の裏……ほとんどが、ただ人目につかない場所ですね。ですが……」


 ヴェロニカが学園の地図を広げ、その場所を一つ一つペンで記していく。そして、彼女のペンが、ある一点でぴたりと止まった。


「この一点だけが、不自然です」


 彼女が指し示した場所。

 そこは、私の記憶に悪夢として、こびりついて離れない場所だった。


「10年前、貴女が魔力を暴走させた、あの薔薇園の跡地。……なぜ、彼は、わざわざ、そんな場所で……?」


 そうだ。なぜ、彼は。

 事件のまさにその現場で。

 答えは、一つしかない。


「……何かがあるのよ。そこに」


 私は、呟いていた。


「そこに何かを隠したか。あるいは、今もそこに儀式の痕跡が残っているか。調べる必要があるわ」

「ええ。私たちの仮説を、揺るぎない『事実』へと変える何かがあるに違いません」


 ヴェロニカは眼鏡の奥から、私とレノーアをまっすぐに見据えた。


「黒鎧の男とは、いずれ対峙することになるでしょう。この先はどんな危険が待っているか分かりませんよ。あの男の異常な強さを見たはずです。準備は大丈夫ですか?」


 レノーアは短く「覚悟はしております」と応える。

 私は。


「あなたこそ平気なの? もう優等生なんて感じではなくなっているけど」

「何を今さら。ここまでやってきたのです。最後まで頭を突っ込ませてもらいますよ。私の心臓石のかたき討ちです」


 そうだ。皆、大事なものを失いながらも、前に進んでいる。

 私たちの本当の目標。それは、この悲劇の連鎖を終わらせること。

 そのためには、まず全ての真相を白日の下に晒さなければならない。

 そこにどんな痛みが待っていようとも、先延ばしにしてはいけない。


 呪いは進行し続けている。腕だけの話ではない。

 関わっている全員を、救うために進もう。


「心は決まったわね。次の満月の夜に決行よ!」


 私は立ち上がった。


「……全ての始まりの場所、あの庭園へ」


 絶望に暮れていた少女は、もうどこにもいない。

 私の目には、真実を求める冷たい光が宿っていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る