墓地のなかの街
馬村 ありん
第1話 墓地のなかの街
スマートフォンにセットしておいた目覚まし時計をオフにしたその後で、また眠りに落ちてしまったのが悪かった。次に起きた時には午前七時半を回っていた。
カーテンレールにハンガーでぶら下げていたスーツを引きはがすように取り、ものの五秒で着込んだ。顔を洗っている余裕はなく――あとで会社で洗えばいい――冷蔵庫から買い置きの魚肉ソーセージを取り出し(これは朝食だ)、キャビネットの上から車の鍵を拾い上げると、アパートの部屋を飛び出した。
家の前の片側二車線の道路へと飛び出す。法定速度以上で飛ばした。いつものことながら道はがら空きだ。ここ数年で街の人口の半分が消え去ったことに、初めて感謝した。
以前、小学校が近くにあったおかげで、送り迎えの車や列をなして歩く子供たちの姿で混雑していたこの通りは、いまや閑散としている――なんせ、その校庭も第十三墓地という名称に変わっている。
つけっぱなしにしていたカーラジオが、昨日死んだ人の名前を読み上げた――福神町の室田一朗さん。三十五歳。妻の福代さんは一郎さんとは休日になるとよくテニスコートにいって夫婦でソフトテニスを楽しんだとのことでした。次は沢庵町の岩満圭介さん――。
途中赤信号に引っかかった。交差点には、自分以外の車はなく、歩行者もいない。それにしても今日の霧は深い。特にこの場所は川が近いせいか、一段と濃い霧が出ていて、視界がせばまっていた。
ふと歩道に目をやると、そこに人がいた。ただし、その人はアスファルトの路面に体を横たえていた。行き倒れ人だ。
路肩に車を移動させ、ハザードランプを点灯させる。それから、助手席のボックスケースから、
車を降りて、行き倒れ人に向かって腰をかがめた。男性だ。白髪頭に、茶色のセーター、藍色のスラックス。
「大丈夫ですか?」
消防署で学んだ手順によると、まずは声掛けだ。
続いて、呼気の確認にかかった。行き倒れ人はうつ伏せになっていたので、仰向けにさせないといけない。手のひらがその背中に触れた時、氷みたいに冷たくなっているのを感じ取った。
行き倒れ人を仰向けにさせた瞬間、ウッと息を呑んだ。男性の顔に張り付いていた驚愕の表情。カッと開かれた両目は白目のところが血走っていて、口はといえば、虫歯の治療痕が分かるくらいに、あんぐりと開かれていた(そして口の中は驚くほどカラカラに乾いていた)。
霊にやられたな、この人。霊感持ちだ――僕は思った。
警察に電話した。十五回ほどコールしたところで、
「もしもし?」
息を切らした声が答えた。
「あのー、行き倒れ人を発見しまして」
受話器の向こう側からはぁはぁ呼吸を整える声が聞こえてきた。
「すみません。走ってきたんです。別の部屋で調書を取っていまして。なにぶん人が少ないもので」
人が少ない。それは確かにそうだ。僕の会社もだ。
間もなく向かいますといい、警察は電話を切った。
その後、僕は職場に電話した。
「行き倒れ人を発見しましたので、遅れます」
僕は言った。
「午前十時の葬式までには間に合うよね?」社長は言った。「きょうは立て込んでいて、八件入っているんだ。スケジュール通りにできるよう取り計らってくれよ」
その頃には間に合うと僕は請け負い、電話を切った。
警察はずいぶん待たせた。僕はその間、車の中にいてラジオを聴いていた。相変わらず死者の情報をラジオは伝えていた。ラジオによると、ここ数年で死者は五万七千人。市議会は新たな第十七墓地の造成に向けて検討中だという。
途中、対向車が通り過ぎていった。相手がパッシングをしてきたので、僕もパッシングを返した。対向車とすれ違うのは珍しいことだ。車同士で合図し合うのが暗黙のマナーとなっている。
やがて、サイレンとともにパトカーと救急車がやってきた。パトカーから二十代後半と思しき警官が降り立った。中には制服姿の老人がいたが、座席に体を預けたまま、眠りこけていた。救急車から救急隊員が担架を運び出してきた。行き倒れ人を見ても顔色ひとつ変えず、救急車へと患者を運んでいった。
調書を取るためか、警官は質問を連発してきた。氏名、年齢、住所、それから発見当時の状況。僕は全てに答えた。その後、警官は僕のご協力に感謝した。
僕の視線がパトカー内の老人に向いているためか、警察はこう言った。
「二十年前に退職された方なのです。何分、人がいないもので」
「どこもそうです」
「そういえば、花田さん。あなたは葬儀社にお勤めなんですね。ニュースがありますよ。いままで解剖は医師に限られていましたが、緩和されるそうです。肉屋とか医学生とか。なんせ――」
「人が足りない」
僕がいうと、警官はニヤリと白い歯を見せて笑った。
「これ以上ご遺体が増えても困るなあ」
僕はぼやいた。
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