第27話

第27話「不器用な努力」


迷宮探索部・第3セクション。

灰色の天井灯が白昼のように眩しく、事務ブースには報告書をめくる音と、キーボードの打鍵音だけが響いていた。


三崎一郎は、業務端末を閉じて報告書類を提出に向かう。

課長からのフィードバックに目を通すと、そこには小さく朱字で添えられていた。


「同行者・春日井氏の判断において軽度の逸脱行為あり。注意処置済み。再発時、別班配属を検討」


(……やはり処分されたか)


口を引き結ぶ三崎の前に、申し訳なさそうに春日井ほのかが現れる。

制服の袖をきゅっと握り、目を逸らすようにして口を開いた。


「……あの、昨日のこと……ほんと、ごめんなさい」


「処分が軽くてよかったな」


言葉は淡々としていたが、視線は冷ややかだった。


「次、同じことがあったら……現場には立てないぞ」


その一言に、ほのかの目が揺れる。


「……うん、わかってる。ほんとに……」


頷く声は、どこか力がなかった。

だが、三崎はそれ以上何も言わず、書類を課長席に置いて部屋を出ていった。


———


数時間後、別件の資料を探して準備室を訪れた三崎は、扉越しに人の気配を感じて足を止めた。


(誰かいる……?)


そっと扉を開けると、中には誰もいないはずの作業テーブルに、一人ぽつんと立つ人影。

春日井ほのかだった。


彼女は大小の空き箱を並べ、ひとつひとつに備品を入れては、何かを小声で呟き、また元に戻す——それを何度も繰り返していた。


「……《保管記憶(ストック・レジスター)》」


光が、弱く点滅する。

だが、直後にまた消え、箱の中は記録されたはずの状態とは異なる形に乱れていた。


「違う……これじゃ、駄目だよ……」


自分に言い聞かせるようにして、また最初からやり直す。


(……検証か。あのスキルの)


三崎はそのまま声をかけず、静かに扉を閉じた。


(……まだ、判断は早い。だが――)


扉の向こう、黙々と作業を続ける彼女の背中が、どこか痛々しくも映った。


数日後――

探索部内にて、小規模な案件の割り振りが行われた。


「三崎、春日井。次の出張任務だ」


課長の川崎が、淡々とした口調で紙束を机の上に置く。


「第七セクターの旧開拓ルート。第12層までの踏査再確認。報告書に誤記があってな、もう一度現地確認してもらう」


「了解しました」


「了解……で、す……!」


隣でぴしりと背筋を伸ばす春日井。

だが、その目線の端に、課長の無表情が刺さる。


(処分後の再配属……。これは“試されてる”んだ)


無言の圧を理解したのか、ほのかの表情がわずかに引き締まる。


———


迷宮入口。

搬入された備品コンテナのチェックを行いながら、三崎は慎重に道具の配置を確認していた。


「今回、支給品の中に《拡張記録板》がある。記録用に使うが……あれ、扱えるか?」


「……うん。あれ、私のスキルと相性いいから。内部記録、何度でも巻き戻せるし」


「そうか」


短い会話のあとも、ほのかは言葉少なに動いていた。


いつもの調子で無邪気に話しかけてくることもない。

だが、無駄な動きが減っていることに、三崎は気づいた。


(……やっぱり、努力はしてる)


ふとした拍子に、備品箱のひとつが傾いた瞬間――

素早く手を伸ばし、ほのかが抑える。


「っ……大丈夫です!」


笑顔はぎこちなく、どこか力んでいる。


(空回りしながらも……前に進もうとしている)


だが同時に、別の感情も浮かんでいた。


(ここまでして、俺と組まされる意味は何だ?)


春日井ほのか――あのスキル評価の低い彼女が、なぜ“教育係”として自分の前に現れたのか。


背後で動く、意図の見えない“人事”に、三崎の警戒は解けないままだった。


———

迷宮・第7セクター

第8層付近の探索区域。


四方を岩壁に囲まれた静かな区画に、二人の足音だけが響いていた。


「……あのね、三崎くん。さっきの通路、左側の壁の模様、記録しておいたよ」


「壁の模様?」


「うん。前に通ったときと、微妙に“形”が違ってた気がして……。もしかしたら“構造のずれ”が起きてるかもって思ったの」


ほのかは、肩から提げた記録板に手を伸ばし、指でスワイプすると“前回記録された壁面データ”を表示してみせた。


「照合できるか?」


「うん……私のスキルで、現時点の状態と“上書き前”のデータを並べられる。ほら」


記録板の画面に、わずかに凹凸の違う模様が映し出された。

確かに、経年劣化では説明しづらい歪みだ。


(……構造変動の兆候か?)


「……よし。帰還後に研究課へ回そう。春日井、よく気づいたな」


「えへへ……ありがと。でも、もしかしたら見当違いかもしれないし……」


自信なさげに笑うその姿に、やはり“三崎の役に立ちたい”という思いはあると感じられる。

だがその直後――


「……あっ!」


背後で音がした。

ほのかが振り返ると、転移ゲートを示すセンサーを覆っていた土砂が一部崩れていた。


「だ、大丈夫!私、片付けておくから、三崎くんは先に行ってていいよっ」


「いや、やめろ」


咄嗟に三崎が止める。


「落石かもしれない。無闇に動くな。先にエリアの波動を確認する」


冷静に《計数解析》を起動し、岩盤と足元の空洞を可視化する。


(……危うく、下層への断層に踏み込むところだった)


ほのかの“気遣い”が、もし単独行動だったら――危険だった可能性がある。


「……悪かった」


「えっ……?」


「先に行けって言ったのは、軽率だったな。助けが遅れたら困る」


「……う、うん!」


笑顔を返したほのかだが、内心の微妙なズレが三崎には伝わっていた。


(……何かが噛み合っていない)


努力しているようで、どこか不自然な立ち回り。

些細な誘導。意図の見えない個人判断。


(俺を孤立させるための、外部からの“教育指導”なのか……?)


その疑念が、少しずつ深く根を下ろしていく。


だがこのときの三崎はまだ知らなかった。


彼女の行動の裏にあるのは、意図的な妨害ではなく――

自信のなさゆえの“空回り”だったということを。



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