第5話
第5話「支援班と社内政治」
「三崎さん、こちらへどうぞー。支援班は地下フロアなんです」
仁科あすかの明るい声に誘導されながら、三崎は階段を下っていた。
探索一課の下層にある支援班エリアは、天井が低く、どこか司令室めいた雰囲気を纏っている。壁際にずらりと並ぶ端末群、部屋の中央にはデータテーブル。軽い電子音が、規則的に空気を打っていた。
(雰囲気は完全に“作戦室”だな……こっちの方が落ち着く)
デスクワークに追われた営業職時代より、こうした実務的な空間の方が性に合っていると、身体が思い出していた。
「仁科、お前また新人引き連れてんのか。教育係でも任されたのかよ」
ひときわ低い声が後方から響いた。
振り返ると、無精髭を残した壮年の男がこちらを見下ろしていた。胸元のIDカードには《支援班・副責任者 南雲泰蔵》の文字。
「いえ、今日は三崎さんの支援適性チェックです。課長からの依頼で」
「あー……あの評価表の件か。“新人のくせにAマイナス”って、うちでも話題になってんぞ」
「恐縮です」とだけ返して、三崎は軽く頭を下げた。
「机上で高スコア叩いても、実戦じゃ使えない奴が多いんだよ。ま、支援側の“使い勝手”が悪いと、現場は混乱するって話だ」
(そう来たか)
よくある“先輩風”だが、南雲の目にはそれ以上の意図も見えた。明らかに、評価を下げたいという下心。
「もちろん、現場で機能しなければ意味がありません。そのために、今日伺っています」
三崎の声音は一定で、感情の揺らぎはなかった。
仁科が空気を変えようと手を叩く。
「えーっと、まずは前回任務の映像ログからですね。三崎さん、こちらの端末に座ってください」
モニターに映し出されたのは、第二階層・浅層ルートの記録。探索者視点と支援班視点が同時再生されている。
「ここ。反応波形が一瞬乱れてるでしょ? 私たち、バーストラットが抜け穴に隠れてると見抜けなかったんですよ」
「ですが、彼は回避経路を即座に変えた。何で分かったんだ?」と南雲。
「周囲の熱波と微細音の変化が、通常群体と異なっていたので。たぶん、内部に籠もる気配があったんです」
「それ、端末ログに出てたか?」
「いえ、数値化されたデータは標準UIには反映されていません。ただ、解析オーバーレイに切り替えると、こちらに出てきます」
三崎は慣れた手つきで画面操作を行い、特定のセンサーレイヤーを拡張表示した。たちまち、複雑な数値の波形がモニターに広がる。
「私は《計数解析》を使用しています。これは視界内の構造・熱源・振動を数値で捉えるスキルで、通常のオペ画面とは別に補助処理を走らせる形です。あとはそれを読み慣れているかどうかの違いかと」
「……」
南雲は黙ったまま、表示されたデータを睨んでいた。
仁科がそっと笑った。
「三崎さん、実はログマニアなんです。支援ログ全部目を通してて……正直、支援班の一部より詳しいです」
「仁科さん、あまり煽るような言い方は……」
「す、すみません!」
肩をすぼめる仁科の背後で、南雲が鼻を鳴らした。
「ま、いいんじゃねぇの。どうせすぐ“現場の洗礼”で折れるだろうがな」
三崎は言い返さなかった。むしろ、その無言が空気を変えた。
(どこにでもいる……“立場にしがみつく者”は)
目の前の人物が敵になるとは限らない。ただ、“勝手に敵視してくる”。そんな存在が、この会社にはいる。
彼はただ、ログを閉じ、次の支援依頼リストに目を落とした。
(さあ、次はどんな“配属”か――)
⸻
【CHIPS:支援班とは】
ダンジョン探索において、探索者を直接送り込む「前衛部隊」の影で、その動きを支える専門部門がある。
それが――<支援班>。
支援班は、リアルタイムで探索者の状況を把握し、音声通信・センサーデータ・環境解析などを通じて後方から支援を行う存在だ。
役割は多岐にわたり、オペレーター、戦術支援アナリスト、データ技師、装備サポートなどで構成される。
探索者にとって、支援班は“現場にいないもう一つの目”であり、時に生死を左右する存在でもある。
ただし、現実にはその連携がうまく機能するとは限らない。
個人差、部門間の温度差、そして“社内政治”――それらが探索の危機を招くこともある。
支援班は探索者の鏡であると同時に、社内組織の縮図でもあるのだ。
⸻
「三崎さん、これから予定されている依頼……一応、見ておきますか?」
仁科が差し出した端末には、小規模な探索支援依頼の一覧が並んでいた。
補給路の確認、装備のテスト調査、訓練迷宮でのセンサーデータ収集など、いわば“肩慣らし”レベルの仕事だ。
「この辺り、たぶん今週中に割り振られると思います。あ、これは多分川崎課長の判断入ってますね」
「……理由は?」と三崎。
「支援班と連携して進行する案件ばかりです。多分、“どの支援員と相性が良いか”を見たいんですよ」
(適性チェック、というわけか)
そこに割って入るように、再び南雲が口を開いた。
「どうせ支援使うなら、お前、ちゃんと声出して連携とれよ。前回は無言が多すぎた」
「無言ではありませんでした。ただ、必要な情報は最小限に抑えました。過剰な発信は混乱を招きます」
「屁理屈だな。“声”があると安心するってのは、支援者の心理だ」
「ええ、そこは改善します。ただし、支援者側にも情報精度を求めます。現場では、迷いが命取りですから」
一瞬の沈黙。
仁科が「はいはいはい!」と両手をあげ、空気を和ませようとする。
「まあまあ、お互い歩み寄りで! 三崎さん、南雲さんは昔、第一迷宮で前線チームの音声管制やってたんですよ。超実戦派なんですから」
「昔の話だろ」と、南雲がボソリと返す。
三崎はそんな南雲を見つめながら、小さく頭を下げた。
「ご指摘、ありがとうございました。現場経験が浅い分、積極的に吸収していきます」
「……そうかよ」
そのやり取りを、仁科はじっと見ていた。
笑顔を浮かべながらも、目は鋭く観察している。
(この人……ただの優等生じゃない。完全に“計ってる”)
それが、自分に対してか、職場環境全体かまでは分からない。
けれど確実に――この男は、ただ“生き残る”ためにここへ来たわけじゃない。
「支援ログ、全部読んだってほんとなんですか?」
「全部ではありません。三年分までです」
「三年!?」
思わず素で叫んでしまい、仁科は顔を赤くした。
「……やばい人ですよ。間違いなく」
その時、支援班エリアの扉が開いた。
川崎優香が、資料を片手に入室してくる。
「仁科、先ほどの三崎とのやり取り、録音ある?」
「は、はい! オーディオログ取ってあります!」
「後で整理して。私が提出した“初期適性レポート”の補足資料に使う」
「了解です!」
仁科が姿勢を正したその横で、川崎は三崎を一瞥し、ほんの一瞬、口の端をわずかに上げた。
(……使えるかもしれない)
そう口に出すことなく、川崎はそのまま踵を返し、扉の奥へ消えていった。
支援班のミーティングブースを出た後も、仁科は落ち着かない様子だった。
「……三崎さん、ほんとに“特務”とか、目指してるんですか?」
廊下の角で、思い切ったように声をかけてくる。
「特に目指してはいません。ただ……必要とされるなら、力は尽くしたいとは思っています」
三崎の言葉はいつもと同じ、淡々とした調子だった。
だがその裏にある〈確信〉のようなものが、仁科の胸にわずかな焦りを生んでいた。
(やば……この人、マジでそうなるかも)
その時、別の支援班メンバーがすれ違いざまに呟いた。
「また“推薦者ログ”のフラグ立ってるってよ。課長が動いたらしい」
「うわ、またか。今度の奴、まだ二戦目だろ?」
「実力はあるって話。なんか人事の方でも目をつけてるってよ」
仁科の足が止まった。
(推薦者ログ……? まさか)
同時刻、探索本部の一角。
人事部のホワイトボードには、特務予備チーム候補者の名前がリストアップされていた。
その中には――
ID#71304 三崎 一郎(探索一課/見習い)
という記載が、赤く囲まれていた。
「この人事、課長経由か?」
「そう。“推薦状の非公式ルート”で来てる」
「川崎か……。あの人の目利きは鋭いからな」
人事課の担当者たちが、淡々と会話を交わす。
特務チーム――その名を冠するだけで、探索部内での地位は一変する。
権限、報酬、優先順位。すべてが変わる。
(……新人が急に上がると、現場がざわつくな)
誰かが、そうつぶやいた。
同じ頃、川崎優香は端末を片手に静かにため息を吐いていた。
《支援連携時、非公式ログの応答遅延。特定個人による介入が見られる。調査要》
ログの分析を終えた後、川崎はチーム内チャットに一文を送信する。
【黙ってても足を引っ張る奴は、いずれ数字が証明する。】
名前は書かれていない。だが、その意味を読み取れる者も少なくない。
南雲の端末に、その通知が届く。
画面を見つめた彼は、静かに舌打ちした。
「……あの新人、いい気になりやがって」
歯を噛みしめながらも、彼の指は勝手にログを開き、三崎の動きを確認していた。
確かに、無駄がない。
確かに、精度が高い。
確かに、何もかも“狙っているように”整っている。
(……チッ、面白くねぇ)
そう吐き捨てた声が、空調の音に吸い込まれていった。
だがその視線は、どこか怯えていた。
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